新津機関区
1972.12.09 廃車 解体
   

丸みを帯びたナメクジの顔。D5182は最もよく働いたカマの一つだった。

1970.8     新津機関区     Photo by K.Watanabe.

新津のナメクジは、最後まで非常によく働いた。撮影に行く度に3両の内のどれかが、ほとんど必ずやってきたものである。
特にこのD5182は、最も撮影数の多いカマの一つで我々になじみのカマだった。館長、管理人とも、初めて撮影したナメクジは、このD5182だった。

 最後の春。村上付近を行くD5182。

1972.4.23    村上ー間島     Photo by K.Watanabe

村上駅と三面川橋梁の間は交直切り替え区間があるせいか、架線工事着手が遅く、SL全盛時代の雰囲気が保たれていた。特に、この付近は村上茶の畑が多く、茶畑とD51の組み合わせが撮影できた。残念ながら、そのようなセンスは当時持ち合わせていなかった。実は、この周りは全部茶畑だったのに!この時は春闘の最中で、客車に落書きを消した跡が生々しい。

 新潟操車場では、常に何両かのD51が見られた。

1972.4.29   新潟操車場     Photo by K.Watanabe

新潟操車場はばかでかかった。一角にSLの駐機場所があり、常時数両のD51が見られた。学校の授業が終わると、時々自転車で出掛けた。転車台もあったが、今は跡形もない。かわりに新幹線の車両基地ができて景色は一変している。

 早春の新津を出発するD5182。

1972.3.25    新津ー京ヶ瀬     Photo by K.Watanabe

新津を発車するとすぐに築堤の登り勾配にさしかかるので撮影には好適であった。ここも現在は住宅地に造成され、このアングルでの撮影はできない。

 快走するD5182

1972.3.25   新津上ー京ヶ瀬     Photo by M.Watanabe

上の写真は、2つ上の写真と同じ列車である。初めて本格的に蒸気機関車の撮影をした日の作品であるが、兄の写真はきれいに列車が写っているが、隣で撮っていたはずの私の写真は上のようになぜか顔しか写っていない。ぶれていないだけでもましなほうか?!(管理人)

 

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羽越本線のD51
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