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                  | 酒田機関区 |  
                  | 1972.9 | 新津へ転属。 |  
                  | 1972.10.28 | 中津川へ転属。 |  
                  | 〜1974.3 | 廃車、保管 |  
                  |  | 静岡県島田市に保存 |  |  | 
    
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              | 834列車を牽いて新津に到着したD51101。 |  
              | 1972.1.15        
                新津     Photo by    
                K.Watanabe. |  | 
     
         
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            | とてもわかりやすい番号のこのカマは、D51標準形のトップンンバーといいたいところだが、実際は85〜90に続く7番目にあたる。 羽越本線電化直前に酒田から新津に移り、電化後は中津川へ転属して中央本線で活躍した。正確な廃車年月日は不明であるが、現在は島田市に保存されているらしい。
 番号のわかりやすさが幸いしたのではないかと思う。
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              | いまにも雨の降りそうな空の下を行く。 |  
              | 1972.4.16    中条       
                Photo by K.Watanabe |  | 
    
        
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            | 酒田のカマは秋田、新津両方面に進出したので、新津側で酒田のカマを撮る機会は多くなかった。運用スジに期待するしかなかったので毎回何が来るか心待ちにしたものである。101はそれでも比較的チャンスが多かった。 |  | 
    
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              | 12系の臨客を牽き三面川鉄橋を渡るD51101。 |  
              | 1972.4.23        
                間島-村上        
                Photo by K.Watanabe |  | 
    
        
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            | 70年代初めはまだDL不足で、行楽期の臨時列車には、よく蒸気機関車が使われた。この日もD51牽引の団体列車がやってきて、思わぬひろいものをした。 今では12系客車も珍しくなってしまったが、当時は12系とD51の組み合わせには違和感を感じた。
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              | 梅雨入り前の晴れ間を行くD51101。 |    
              | 1972.6.11    新発田        
                Photo by M.Watanabe |  | 
   
       
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            | 夏期になるとD51はみなクルクルパーをつけた。皿形の火の粉止めは、下から見上げて撮影しても目立った。電化準備が進み、架線に通電してからは火の粉止めは取り外された。電化でスタイルが復帰などとは皮肉なものである。 |  |