酒田機関区
1972.08.21 五稜郭へ転属。
1973.05.19 鷲別へ転属。
  岩見沢第一へ転属。
〜1975.3 廃車、解体。

新津に到着したD51104とD511100の重連貨物2560列車。

1972.5.7     新津     Photo by K.Watanabe.

 D51104の火の粉止めは皿形でなく、まだ体裁はましである。また、テンダの下部が白く塗られていた時期があり、104のマーカーにできた。
2560列車は日曜日に限り坂町新津間が重連になる有難い存在だった。この日も加治で撮影した104が、坂町で折り返してきたものだ。

837列車。通過するとススキの穂が激しく揺れる。

1971.9.26     平木田     Photo by K.Watanabe

D51でも旅客となれば結構飛ばすし、加速もはやい。電化工事のビームを避けて駅から距離をおいて待っていると、速度が出ているのでシャッターチャンスが限られた。今と違い、モータードライブは一部のプロだけの持ち物で、フォーカスも手動。フォーカスリングを回しながらフィルムを巻き上げてシャッターを切るのは結構忙しいものだった。 

D51104の牽引する834レ。

1972.3.11     坂町     Photo by K.Watanabe

米坂線の終焉直前に坂町に出掛けた。越後名物はさ木(収穫期にはこれに横棒を通して稲を干す)が目に付いたので絵に入れた。この木も今は跡形もない。 

春の陽気をいっぱいに受けて、長い貨物列車が行く。1993列車。

1972.5.7    加治-新発田     Photo by K.Watanabe

加治川橋梁めざして上下列車ともに登り勾配を駆け上がる。この日は春の日差しが暑いくらいだったので排気が見えず惰行の様だが、実は目一杯力行である。録音にも好適地だった。この日104は坂町で折り返し2560列車で戻ってきた。 

貨物仕業のため坂町機関区を出庫するD51104。

1972.6.25    坂町     Photo by M.Watanabe

坂町始発や、坂町で機関車を交換する列車が日に数本あった。この日も坂町で待機していたD51104が、酒田へ向けて貨物列車を牽いて出発して行った。

渡道後のD51104(右)。左は長万部のD511017。

1973.3.31     函館本線森     Photo by K.Watanabe

104はその後北海道に渡り、SL末期まで活躍した。五稜郭では引退期にあったD52の代役を果たし、その後は鷲別で室蘭本線を活動の本拠とした。半年ぶりに再会を果たしたが、キャブの延長屋根や重油タンクが無くなり、切りつめデフの二つ目と、大変身ぶりに感心したものである。ここでも労使紛争のあおりで落書きが目立ち、がっかりした。
蛇足であるが、隣は長万部の1017で、その後何回出くわしてもナンバープレートが判読不能なほど汚く、これが特徴?たった。(もしかして鋳鉄製プレートの生き残りか?)

 

  《 

index

 》


羽越本線のD51
のTOPに戻る