新津機関区
1972.9.22 廃車 解体

村上行き1821レ。この列車にはずいぶんお世話になった。

1972.3.15    新津     Photo by K.Watanabe.

D51135も、非常によく見かけたカマの一つだった。新津のカマの中では唯一両、長野工場式デフをしていた。概して新津のカマは酒田、坂町よりきれいに磨かれていた印象がある。
47.3ダイヤ改正で朝の秋田行き835列車が、村上までの1821列車になってしまった。村上以北(名勝笹川流れ)で撮影するには最悪の状態になってしまい、愕然とした記憶がある。

坂町駅に到着するD51135の牽引する貨物列車。

1972.3.11    坂町     Photo by K.Watanabe

長野工場式除煙板装備機は70年当時の羽越では135,324,735が新、酒、坂と仲良く1両づつ配置されていた。 蒸気機関車撮影の駆け出しの頃はこのたぐいはすべて「門鉄デフ」だと思っていた。これら3両は羽越廃止後の転属は無かったが、もし北海道に渡っていたらどうなったことかと思う。通常の切りつめと取り替えか、「切り詰め長工」になったか。後者だったら面白かったのにと思う。

架線もポールも何もない頃の坂町駅構内。D51135(左)と49681(右)

1970.12.29     坂町     Photo by K.Watanabe

70年の冬、坂町での一コマ。この1年後はビームだらけで絵にならなかった。当時はハーフしか持っておらず、友人のキャノンFTが羨ましかった。写真もこのとおり哀れ。
3号オープンリールで録音も行った。発車前に機関士さんに汽笛とドレンを懇願したら「よしきた」と快諾。録音は盛大な汽笛の連発とドレンで大迫力。大成功と思いきや、落とし穴あり。車掌さんにこのことを申告しなかったので、列車通過後、最後尾の車掌車から身を乗り出した車掌さんの「コラァーッ!」の大声もしっかり入った。汽笛の連発が我々への警告と勘違いされてしまったらしい。

D51135と1060の重連。

1972.4.30    加治-新発田     Photo by K.Watanabe

羽越本線の重連は定期では殆ど無かったが、運が良いと巡り会えた。荷が重かったか、回送がついたか?何れにせよラッキーだった! 

837列車D51135と834列車D511002の客車列車同志の交換。

1972.2.13     坂町     Photo by K.Watanabe

テンダ後部からみると重油タンクの大きさがよくわかる。重油タンクは羽越のC57には未装備で、ファンには喜ばれたが、これを装備したD51は乗務員には強い味方だったことは間違いない。 

新津のターンテーブルに乗るD51135

1972.7.25     新津機関区     Photo by M.Watanabe

 

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羽越本線のD51
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