酒田機関区
1972.8.19 岩見沢第一へ転属
1973.11.30 廃車 解体

キャブの屋根の延長がよくわかる。

1972.4.16     新発田     Photo by K.Watanabe.

酒田のカマは数は多いが新津から秋田まで守備範囲が広く、相性悪いのは本当に会えないものだった。292もなかなか出会うことがなかったが、72年に入ってやっとお目にかかった。
羽越電化よりも一足先に渡道したが、比較的早く廃車になってしまった。

架線はまだ張られていないが、やはり撮影には気にかかる。

1972.2.13     坂町     Photo by K.Watanabe

坂町を発車する下り貨物。この年は平地は少雪だった。雪が少しでもあればビームの雰囲気を緩和できただろうに。残念。

D51292のサイドビュー。292初見参の時。

1972.1.15     京ヶ瀬     Photo by K.Watanabe

はじめて292を捕らえた写真。京ヶ瀬を通過する上り貨物。この日は天候が悪く、暗いレンズとISO100のフィルムでは高速シャッターが切れず、流し気味に撮らざるを得なかった。この時は幸運にもナンバーの所で止まった。しかし、残酷なことに当日はブレて使い物にならない写真の山が築かれた。C57や赤谷線回送のC11もあったのに!

ハーフサイズで撮影した白新線貨物を引くD51292。

1972.7.16     新発田     Photo by M.Watanabe

当時中学生だった私の羽越本線のD51は、すべてハーフサイズでの撮影だった。
しかも、父、兄、私によって酷使されたカメラの疲れが顕著になり、シャッターがまともにおりなかったり、巻き取り不良で多重露出になったりと散々な出来だった。撮った記憶はあるのに記録がないものが非常に多い。1972年の5月から9月にかけては試験前を除いて、ほとんど毎週でかけていたのだが、そのうちの3分の1はカメラの故障でだめにしてしまった。フィルムをスキャンしていると、当時の悔しさがよみがえってくる。
白新線の貨物は、酒田のカマの運用が多かったので、今日は何番が来るだろうかと楽しみだった。292がやってきたときは小躍りする思いだった。カメラもこの時は調子が良かった。(管理人)

北海道でも元気な姿を見ることができた。

1973.3.22    室蘭本線遠浅     Photo by K.Watanabe

292も後に北海道に渡ったが、活躍期間は短かった。羽越電化の半年後に北海道を訪れた時、北海道装備で元気にセキ列車を引く姿を見た。

 

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羽越本線のD51
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