酒田機関区
1973.8.10 廃車 保管
  千葉県 習志野市に保存

D51324の引く834レ

1972.2.6     坂町     Photo by K.Watanabe.

D51324は、新津区のD51135とともに、長工式デフが特徴のカマだった。羽越のD51はオーソドックスな姿を保ったままのものが多かったので、長工式デフをつけたD51324遠くからでもすぐ見分けが付いた。カマの調子が良かったのか、羽越線の末期にはかなりよく使われた。
羽越本線電化後も一年近くも予備機として残されていた。
長澤氏から提供していただいた資料によると、D51324は戦前から長岡に配置されたことになっている。おそらく新潟で一生を過ごしたものと思われる。

金塚を発車した D51324の 837レ

1972.4.16    金塚     Photo by K.Watanabe

羽越のカマたちは、4〜5月の夏期になると、みなクルクルパーを付けていた。筒型のものと皿形のものがあったが、とりわけ皿形のものは目立つので撮影をする側にとっては邪魔者だった。
すぐ下の写真を見るとわかるように、電化直前になると、みなクルクルパーをはずしてしまった。架線通電による車両限界の関係からと想像するが有り難いことだと思った。

新津の転車台に乗る D51324

1972.9.3    新津機関区     Photo by M.Watanabe

私の羽越本線のD51は、ほとんどがハーフサイズのオリンパスペンで撮ったものだ。僅かに6X6サイズの二眼レフで撮ったのが数コマ残っている。当時でもすでに20年以上たった代物で、取り扱いが難しくて私の腕では走行写真を写すのは至難の技だった。
上の写真は、奇跡的にまともに写ったコマの一つである。(管理人)

櫛形山脈を背景に、坂町を発車したD51324の引く1896レ 

1972.6.25    坂町     Photo by K.Watanabe

サイドビューからナンバーを確定できる数少ないカマだ。春闘も終息し、よく磨かれてサイドが光る。 

電化翌日のD51324。このまま火を落とした。

1972.10.3    新津機関区     Photo by M.Watanabe

羽越本線電化の翌日に、新津機関区で写したD51324。クルクルパーもなく、形式写真にもってこいの姿をしていた。電化開業日はまだ戻りのカマがたくさんあり、結構SL列車が残ったがさすがに翌日は激減した。
この日の新津には、まだ火のはいったD51がごろごろしていた。ただ、入出庫がないのでとても静かな印象を受けたのを憶えている。(管理人)

 

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羽越本線のD51
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