新津機関区
1972.10.7 岩見沢第一へ転属。
1973.11.8 廃車 解体

新潟操車場に並ぶ D51331とD51547

1972.2.19     新潟操車場     Photo by K.Watanabe.

D51331も新津を代表するカマだった。ランボードの白線が新津区の特徴である。復活したC57180にも、この伝統の白線がひかれている。
新潟操車場は、いつも数両のD51が休んでいた。横からみると、キャブの屋根の延長がよく分かる。自宅から自転車で1時間足らずの距離で、もっと足を運べば良かったと悔やまれる。
北海道で後日再会したが、他の渡道した羽越のカマと同様に、屋根は元どおりに短くなり、重油タンクは撤去され、切り詰めデフに二つ目と見事な北海道仕様になった。キャブの屋根などはこのままでも寒冷地向きで良さそうなものだが、結構な手間をかけても改造するものだと感心した。

笹川流れのトンネルを抜け出た D51331

1971.7.29    今川     Photo by K.Watanabe

羽越本線を訪れる人の多くは、名勝"笹川流れ"をめざす。山が海に迫っており、変化に富んだ撮影地だった。71年は羽越で架線なしの撮影ができた最後の夏だった。同時に、奥羽電化直前の夏でもあり、ちょっと遠出してC61でも撮れば良かったと悔やまれる。

ピークを越えて新発田へ向かう D51331

1972.5.7    新発田−加治     Photo by K.Watanabe

このページでも度々登場する加治川橋梁周辺。上下線の間隔が広く、安心して撮影できる上に、必ず力行するので絶好のポイントだった。不思議に、同業者に出会ったことがない。

坂町構内に並んだ 1896列車D51324と D51331+63の3554列車。この後相次いで発車した。

1972.6.25     坂町     Photo by K.Watanabe

この頃になると、坂町駅の構内は架線もしっかりと張られていた。だが、蒸気機関車の運用に全く変わりはなく、この日の午後も多くの列車が出発していった。この日3554列車は坂町から重連となり、迫力のある録音も残っている。

D51331と63の重連が坂町駅を発車

1972.6.25     坂町     Photo by K.Watanabe

一つ上の写真の重連が発車したところ。

荒川を渡り、坂町駅へ向かう3554列車 D51331

1972.6.25     坂町     Photo by M.Watanabe

1972年6月25日は、兄弟で坂町へ撮影に出かけた。この日撮影したネガを見ると、坂町駅から村上側の荒川で撮影していたかと思うと、坂町機関区へ向かい、さらに新発田側へかなり歩いたところでも撮っている。このころは撮影のために歩くことが全く苦にならず、ずいぶん体が鍛えられたと思う。また、あきれるほど多くの列車が写っている。1本の列車を1コマしか撮っていないのが悔しい。ちなみに、この列車は坂町から次位に63がついて重連になった。(前の写真)

 

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羽越本線のD51
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