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新津機関区 |
1972.10.30 |
廃車 保存 |
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新潟県新発田市に保存 |
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一仕事を終えて一服中のD51512
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1972.9.1 新津機関区 Photo by
K.Watanabe.
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D51512は、D511107などとともに新津を代表する機関車だった。
最後までよく使われた機関車で、撮影の機会も多かった。
現在、新発田市の公園に保存されていて、その説明板には昭和15年の新製配置以来昭和47年に廃車されるまで、一度も新津を離れることがなかったと記されてある。
しかし、昭和44年の車両配置表では直江津の配置になっている。翌年には新津に戻っているので配置表の誤りかもしれないが、説明板の出典もわからないので今となっては何ともいえない。
羽越末期でもそうだが、貸し出し?のような一時配転は記録が散逸してわからない場合もあろう。ところで、現在の512の状態はお世辞にも良好とはいえず、D51324の様な結末にならないことを願う。 |
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ようやく春めいてくる新潟の4月。D51512の牽く荷4048レ
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1972.4.16 金塚 Photo by K.Watanabe
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荷4048はC57牽引で有名だった荷2048の伝統を受け継ぐ青森と大阪を結ぶ名列車である。当時は全国の荷物輸送のネットワークの主役は鉄道だった。利便性は自動車より劣るかもしれないが、エネルギー効率を考えると長距離物流の手段としての鉄道をなくしていいものか考えてしまう。 |
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荒川鉄橋を渡るD51512の単機回送
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1972.6.25
坂町 Photo by K.Watanabe
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羽越本線では、単機回送はめったにみることがなかった。運休で機関車の回送が必要になると、だいたい定期のスジにくっつけて重連にしていたと思う。 |
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臨客を牽いてきたのだろうか。新潟駅で休止中のD51512。
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1972.5.10 新潟駅 Photo
by K.Watanabe
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現在の新潟駅は、新幹線ホームができ、運転所の施設もなくなってしまったため、昔に比べるとずいぶん狭くなってしまった。
当時は、駅裏に出るにはひどく大回りをしなければならなかったが、道路のすぐ近くの待機線には常時EF58、EF81がゴロゴロしており、運が良ければ(羽越本線、磐越西線の)臨客用の蒸気機関車も姿を見せていた。
この日はお召しのC571の練習があるかも知れないとの情報で放課後に出掛けたのだが、予想に反してD51512が休んでいた。(お召しとは無関係)
新潟駅には現在も転車台が残っているが、1972年当時では臨客用の機関車が回送されてくるのはいつもバックであった。したがって越後線側を向いている上の写真は、臨客を牽いてきた後のものだと思われる。
ちなみに、D51512は1972年9月3日にも、臨時列車のために新潟駅へ来ているのを確認している。 |
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D51512の顔
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1971.3.31 京ヶ瀬駅 Photo by K.Watanabe
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新津の一駅先に京ヶ瀬があるが、当時は有人で交換待ちの長時間停車があった。この時も乗務員と話をしたり、キャブに入れてもらったりした。当時は現在と違い、おおらかな時代だったと思う。この列車と同じスジの写真はこのサイトでも他にもいくつか掲載されている。 |
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