坂町機関区
1972.12.01 廃車 保存
   

新津駅で発車を待つ 1823レ のD51547

1972.4.21    新津駅    Photo by K.Watanabe.

D51547も、D1546とともに1970年に熊本から転属してきた。
最初は酒田区の所属だったが、後に坂町に移ったせいか、D51547よりは撮影の機会に恵まれた。

小雪のちらつく中を新津に向かうD51547

1972.3.15   新津    Photo by K.Watanabe

1972年の冬は暖冬だった。このため1〜2月は雪原を走る写真がほとんど撮れなかった。が、春の訪れは遅かった。上の写真のように3月半ばになっても雪のちらつくことが多く、真冬のような撮影ができた。
新津に到着する直前に能代川橋梁前の築堤を登る。当時は一面の田園地帯で越後名物のはさ木もバックに見えるが、現在は造成が進み、全く面影はない。

貨物列車の発車に待機するD51547

1972.2.19   新潟操車場     Photo by K.Watanabe

度々登場する新潟操車場は本数は少ないものの酒田と坂町のカマが間近に撮れる穴場だ。同業者に出会ったことも一度もなかった。この3年前には越後線のC56もゴロゴロしていたはずだ。
ちなみに、当時ここには「にいがたそうしゃじょうまえ」という停車場があり、日本一長い名前の駅として紹介されたこともあった。駅と行っても上り線と下り線のホームが広大な操車場をはさんで配置され、旅客の上下線の往来は不便きわまりないものだった。現在はまともな有人の「東新潟」駅である。

D51547のキャブ

1972.4.21    新津駅    Photo by K.Watanabe.

D51のキャブは尻餅をついたようになる場合があると鉄道雑誌で読んだことがある。この547はランボードの線とキャブの下縁がほぼ平行だが、カマによっては明らかにキャブが下がっているものがある。羽越のカマはキャブ屋根が延長されているが、そのやり方はいろいろで、547は如何にもつけたしの様相である。

煙をあげて京ヶ瀬へ向かうD51547の牽く 1881レ

1972.3.25    新津    Photo by K.Watanabe.

新津駅を発車すると、阿賀野川鉄橋にむけて築堤が続く。広々とした田んぼの中を通る築堤だったが、現在はほとんど住宅地になり、築堤ををみることさえ難しくなってしまった。発車直後の登り勾配で光線の具合も良い絶好のポイントだった。

 

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羽越本線のD51
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