新津機関区
1972.10.18 長門へ転属。

ピントも絞りもきまった会心の一コマ。

1972.4.29     新潟操車場     Photo by K.Watanabe.

D511046も一生の大半を新潟ですごした。D5136、1031とともに西へ働き場所を移し、長門で最後を迎えた。長門で廃車になるまで一年もなかったので、全検の残っている機関車はとことん使い回しされていたのだろう。

D511046+C1163 555レ。C11は赤谷線の貨物用。

1972.1.15     京ヶ瀬     Photo by K.Watanabe

555列車は赤谷線の貨物用のC11が回送される列車でD51+C11の重連が定期で走った。最もC11はぶら下がりだったと思う。赤谷線も勾配が多く行けば良い写真が撮れたと思うが、効率が悪くて行くことはなかった。もったいないと今は思う。 

仕業前の待機

1972.6.18    新津機関区     Photo by M.Watanabe

オリンパスペンは1本のフィルムで2〜3コマだけ、時々思い出したように写りがよくなった。上の写真もその一つ。初夏の気持ちのよい日だった記憶がある。(管理人)

SL索引きたぐに51号の最後の夏は7番ホームからの発車だった。

1972.8     新潟駅     Photo by M.Watanabe

1972年の8月にも、きたぐに51号は蒸気機関車に牽かれるという情報があり、勇んででかけていった。ところが先頭のついていたのはD51で、ひどく落胆したものだった。急行牽引に選ばれたくらいだから、状態のよいカマだったのだろう。
7番線ホームからみえる広々とした駅構内は、今の新潟駅からは想像できない。(管理人)

京ヶ瀬に到着するD511046の客レ

1972.1.23     京ヶ瀬駅     Photo by K.Watanabe

暖冬で1月の雨の中京ヶ瀬から新津へ834列車で帰った。この日はハーフ(オリンパスペンS)の不調でろくな写真がなく後で泣いた。 

 

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羽越本線のD51
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