火鉢


昭和26年(1951年)12月 新潟市学校町    撮影:渡邊 馨一郎


 

どの家も暖房が完備されている今では、電気や灯油の暖房器具のなかった時代の冬の寒さは想像できないでしょう。
実際、私が物心のついた頃(昭和30年代後半)の我が家の暖房設備は、掘り炬燵と火鉢でした。冷え込んだ朝などは、流しのたらいの水も凍るほどでした。
朝になり、起きる時間になってもなかなか布団からでる決心がつきません。布団の中はまだ前夜に母がいれてくれた豆炭あんかの暖かみが残っています。大声にせかされてしぶしぶ這い出たあとは炬燵へ向かっていちもくさん。炬燵の中が暖まっていなければ、今度は火鉢をかかえて動かなくなります。冬の朝はその繰り返しでした。
火鉢は底の方から半分くらい砂を入れ、その上に灰汁(あく)をのせていました。灰汁の中央に炭や豆炭が燃え、その上に五徳(ごとく)を置いておきます。隅のほうに火箸と灰ならしがあるのがおきまりでした。五徳に金網をのせ、餅を焼いたのも懐かしい思い出です。私の記憶では、我が家の火鉢は最初は炭を使っていましたが、しばらく後からは豆炭専用になりました。
上の写真では、まさに火鉢セットという感じですね。火鉢の真ん中の輪が五徳、その左に見えるのが火箸と灰ならしです。
下の写真は小型の火鉢で手あぶりと呼ばれていました。
ところで最初に石油ストーブがきたのは私が小学校にあがったあとだと思います。その暖かさは火鉢の比ではなかったのですが、ストーブに近づきすぎて、(兄弟そろって)たちまちセーターの背中を焦がす事態が続出してしまいました。また、ストーブの正面のいい場所をとろうとよく兄弟げんかになったものです。
それにしても昔の冬は、外はもちろん学校も家の中も寒かったと思います。でもその割に子供たちは外でも中でも元気に遊んでいました。

 

昭和26年(1951年)1月 新潟市赤坂町    撮影:渡邊 馨一郎

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