まるこの日常生活の記録と映画鑑賞記

2000.5.21〜5.31


5月20日(土)
 ホリプロから“身長が150センチを超えたらクビ”という3人の小柄な少女のユニットがデビューするらしい。誰かクビになったら代わりに私を入れてくれないかな。一度入れてくれれば、もうぜーーーーったいに身長が原因でクビになることはないと思うから。だって身長なんて、もう10年以上前に止まってるだもん♪ お買い得よ。ダメ?
 髪がボサボサになってきたので美容院に行った。
1月8日以来なので、4ヶ月半ぶりにもなる。どうりでボサボサにもなるはずだ。前回は店長にお任せにしてかなり短くされたので、今回はあまり短くしないようにお願いした。だって、匿名希望くんが「あまり短くしない方がいいよ」って言ったんだもん。何でこの私が14歳の後藤真希にうつつを抜かしているようなオトコの言うことを聞かなきゃならないかよく分からないけど、それが女の悲しいサガというものなのだろうか。『オール・アバウト・マイ・マザー』のセリフを借りれば「女は愚かよ」といったところか。でも、今日美容院に行く本当の理由は、明日リンダの結婚式の二次会に出席するためだったりする。匿名希望くんは「結婚式の二次会なんて合コンの予備会みたいなもんだろ」と言う。そうなの? それなら余計に楽しみじゃん。美容院に行って、少しでも見栄えを良くしておかなきゃいけないじゃん。実は女は“したたか”なのさ♪
 夜は、14日の飲み会でご一緒させてもらったテニスサークルのメンバーが企画した“『アメリカン・ヒストリーX』ツアー”に参加。しかし、この映画って体育会系のメンバーがツアーを組んで観に行くような作品なのだろうか? 終わった後に、どんよりとした空気が流れたりしないか? ちょびっと心配ではあったが、とりあえず、この重そうなテーマの作品を8人の団体で観に行くこととなった。

 父親を黒人に殺されて以来、デレク(エドワード・ノートン)は、ナチスに傾倒する白人至上主義グループのリーダー的存在となった。弟のダニー(エドワード・ファーロング)は、そんな兄を憧れのまなざしで見ていた。ある日の夜、デレクは父の形見である車を盗もうとした黒人グループを惨殺し逮捕される。手錠をかけられながらも、勝ち誇った表情でダニーを見つめるデレク。しかし3年の刑期を終えて出所した時、デレクは別人のようになっていた。彼は自分のそれまでの行動を悔やみ、ネオナチのグループから足を洗うと言い出した。デレクを崇拝し、出所の日を待ち望んでいたダニーは、そんな兄の姿を見て戸惑う。

 『ファイト・クラブ』のような暴力的な映画を想像していたら、全く違っていた。この作品ではアメリカならではの人種問題を表立ったテーマにしながら、憎しみ合う人間たちの愚かさや、腕力や権力に支えられて強がっている男たちの弱い部分を描いている。
 『オール・アバウト・マイ・マザー』の主人公の女性は、息子を失った悲しみを憎しみに変えることなく、全てを自分の中で消化して旅に出た。『アメリカン・ヒストリーX』のデレクは、父を失った悲しみを全ての有色人種への憎しみに変え、暴力的になることで自分を保とうとした。この2本の映画は、それぞれに女の強さと男の弱さを極端に表現している作品のような気がする。『アメリカン・ヒストリーX』の中でも、やはり女たちは強い。デレクと弟のダニーがいつまでも父親の死に囚われてネオナチにのめり込んで行く一方、母親と姉は悲しみを乗り越えて自分たちの元の生活に戻ろうと努力している。本物の強さとは、腕力や権力なのではなく精神力なのだ。
 揺るがない精神力の強さに比べ、腕力や権力で築き上げた強さがどれだけもろいものなのかが、この作品で表現されている。そして、人を良くも悪くも変えることが出来るのは、やはり人の力であり、心であるということも。単純に“人種差別は悪いこと”とか“人間同士が憎み合うことは意味がない”と言っているだけの作品なのではなく、とても深いものを感じることが出来た作品だった。
 しかし、肝心の人種問題についても、きちんとさりげなく訴えてくるものがある。黒人を殺したデレクは3年間で刑期を終えたのに対し、テレビを盗んだだけの黒人は、身に覚えの無い罪までもなすりつけられ、懲役6年を言い渡されている。これもアメリカの現実なのだろうか。これを映画の中で表現されたひとつの事実として捉えると、消防士であったデレクの父親が勤務中に黒人の麻薬ディーラーに殺されたというエピソードも、もしかしたら警察が黒人の麻薬ディーラーを逮捕するためにでっち上げた嘘だったのかもしれない。そうだとすれば、この物語はますます悲しいものになってしまう。  レベル4.5


   どんよりとした空気を漂わせることもなく、お腹をすかせた“アメヒスツアーご一行様”8名は、ゴハンを食べられる場所へと移動。とりあえず、手近にあったわりと大きめのチェーン店の居酒屋に入ろうとしたところ、あと15分でオーダーストップだと言われてしまった。あのー、まだ9時半なんですけど、マジですか?って感じだ。生まれた時からずっと名古屋人をやってるけど、名古屋駅新幹線口の、この夜の早さにはちょっとしたカルチャーショックを受けた。そんなんだから、いつまでも“駅裏”って言われちゃうんだぞ。

 
5月19日(金)
 5月1日の映画の日には激混みで、毎回立ち見が出たとも聞いていた『オール・アバウト・マイ・マザー』も、もうそろそろ空いてきた頃かな…とは思っていたけど、思いの他劇場はガラガラだった。公開当時は混んでいたというのに、一般客の評判が人を呼んでいないということなのだろう。既に観た友人の話を聞いても「よく分からない」「いまいち」「期待しすぎるべからず」という声が多い。小難しい映画やマニアックな映画でもかなりイケるクチの友人たちの評判がこれなので、普段あまり映画を観ない人たちを相手にしては、相当キビしい作品なのだろう。確かに、去年のアカデミー賞外国語映画賞を取った『ライフ・イズ・ビューティフル』は、公開後1ヶ月以上経っても劇場は混んでたもんね。

 38歳の移植コーディネーター、マヌエラ(セシリア・ロス)は、女手ひとつで育ててきた息子エステバンとマドリードで暮らしていた。しかし、エステバンは17歳の誕生日に、マヌエラの目の前で車にはねられて死んでしまう。エステバンが肌身離さず持っていたノートの最後には「父親に会いたい」と書かれていた。マヌエラは息子の死と、彼の最期の想いを伝えるため、17年前に別れたきりになっていた彼の父親に会いにバルセロナへと旅立つ。

 私がこの作品を理解しきれなかったのは、私が母親になったことがないからだろうか。TIME誌は「この映画を観て何とも感じない人は、心臓専門医に診てもらうことをお薦めする」と書いたらしい。各方面からこの映画で描かれている女性の生き方は絶賛され、今年度のアカデミー賞外国語作品賞も受賞した。何も感じなかったわけではない。でも、私にはとても難しい映画だった。この映画がなぜそこまで絶賛されたのだろう。
 例えば、私自身が溺愛している誰かを事故で失ったとしたら、私はその事故を引き起こした“何か”をものすごく恨むと思う。それを“何か”のせいにして悲しみを怒りに変え、怒りをぶつける対象を持つことで自分自身の精神を保とうとするに違いない。しかし、この作品の主人公の女性・マヌエラは全てを許し、悲しみを自分の中で消化してしまっている。彼女はあまりにもたくまし過ぎる。たくまし過ぎて、彼女についていけない。そして、この作品に出てくるもうひとりの女性、シスター・ロサ(ペネロペ・クルス)もまた、自分に与えられた過酷な運命を、誰のせいにするでもなく静かに受け入れる。マヌエラもシスター・ロサも、まるで聖母のようだった。この作品では“女性”という生き物を偶像視し、美化し過ぎている印象を受けた。まるで、男性であるペドロ・アルモドバル監督が描く女性の理想像を見せつけられたようだった。
 女は自己を犠牲にしてまでも子供を産み、育てていかなければいけない生き物なのだろうか。この映画では、女が全ての苦しみを引き受け、決して相手の男を責めようとはしない。女はそこまで寛容で強いものなのだろうか。この映画が、男性の手によって女性が都合良く描かれているように感じたのは私だけなのだろうか。  レベル3
 

   ちなみに、一緒に観ていた匿名希望くんはゼンゼンだめだったらしい。どこにも感情が入る場所がなく、淡々とし過ぎているというのが彼の感想だった。「ペネロペに“北極の氷を取ってきて”と言われたら、オレは取りに行くね」と言うほどペネロペ・クルスにぞっこんの彼が、「ペネロペ点を入れても、レベル2」と言っていた。確かにペネロペは可愛かったけどね。でも、匿名希望くんは劇場の外に貼ってあった『ピンチランナー』の後藤真希のポスターも、なんだか嬉しそうに眺めていたぞ。「後藤真希になら、あげてもいい」というのも口癖の彼のこと、どうやらこの映画が相当気になっているらしい。ペネロペなら許せる。でも、後藤真希は何だか許せないよなぁ。「『ピンチランナー』観に行きたいんでしょー」とからかってやったら「行きたくねーよ」と返してきたものの、きっとひとりでこっそりと観に行って、誰にも内緒にしておくんだろうな。

 
5月18日(木)
 最近、また歯医者に通っている。私の通っている歯医者さんはとても丁寧でユニークな歯医者さん。まず、歯のレントゲン写真を本人に見せ、自分の歯がどういう状態になっているか、そしてこれからどんな治療をするのかきちんと説明してから治療に入る。私は今まで5ヶ所の歯医者に通ったことがあったけど、ここの先生の丁寧さに慣れてしまうと、もう他のところには通いたくなくなってしまう。そればかりではなく、今日は私に手鏡を持たせた状態で治療し、実際に歯を削っているところを見せてくれた。こんな体験は、したくてもなかなか出来るものではない。しかも約15分間、あんなに激しい治療をしたのに治療費は110円だった。自分の歯を削ってるところを見れたという、あのめずらしい体験だけでも110円以上の価値がありそうなものなのに。この前は、1本の歯の神経を抜くのに4回通ったのに治療費はタダだった。3月の中旬からもう6回も通っているのに、私は220円しか払っていない。ここの先生って、歯を治すことを“仕事”ではなくて“趣味”でやってるような気がする。
 レディースデイなので何か映画を観ても良かったのだが、特に心惹かれる作品がない。『アメリカン・ヒストリーX』と『オール・アバウト・マイ・マザー』は他の日に友人と観る約束をしているし、『イグジステンズ』『SLAM』『ジェネックス・コップ』『川の流れのように』『かもめ』『名探偵コナン』には全く興味なし。『玻璃の城』には興味があるけど、劇場がレディースサービスデイを実施していない。アーロン・クォックは好みのタイプだけど『風雲/ストームライダーズ』は馬鹿馬鹿しそうなので観る気なし。『どら平太』という気分でもないし、行きつく果ては『アンドリューNDR114』か…とも考えたけど、ああいう役柄のロビン・ウィリアムズには食傷ぎみだし、観ても怒りが沸きそうなのでパス。特にリピートしたい作品もない。仕方がないのでKinKi Kidsのベスト盤CDを買って帰った。私は岡田准一くんの次に堂本剛くんが好きなのさ。彼の歌声を聞いてると、エクスタシーを感じるのさ。悪い? でも、生まれて初めてジャニーズアイドルのCD買っちゃったよ。豪華な写真集も付いてた(笑)。
 帰りに、派手にドリームジャンボ宝くじを売っている売り場の横を通った。買いたい気持ちがうずいたが、KinKi KidsのCDを買ってしまったので財布の中身が淋しくなり、買えなかった。相変わらずビンボーである。もしも私が今日、KinKi KidsのCDを買わずに宝くじを買っていたら、その後にその売り場で宝くじを買った人の番号は、少しずつずれていたはずだ。今日買っていれば、それは3億円の当たりくじだったかもしれない。KinKi KidsのCDは、私自身の人生を変えるばかりでなく、全く見ず知らずの人の人生を変えたかもしれない。私はそんなふうに考えればキリのないことを考えるのが好きだ。
 でも、とりあえず発売終了日までに買っておかなければ、いくら“ドリーム・キャッチャー”に「3億円が当たりますように」って柏手を打っていても、当たるはずはないよね。


5月17日(水)
 譲ってもらった試写状で『マン・オン・ザ・ムーン』の試写会。ペア券だったので、券が余るといつも私を誘ってくれるジョージアを誘った。保険会社がネットで募集した試写会だったからか、会場はいつになく空いている。いつもめちゃくちゃ早くから並んで会場のベストポジションを陣取る“試写会軍団(…と私たちは呼んでいる)”も居なかったし、30分も並んでくれていたジョージアのおかげで、試写会にしてはとっても見やすい位置をキープ。いつもは“試写会軍団”にリザーブされていて絶対に座ることが出来ない座席での鑑賞となった。

 人を笑わせることが大好きで、いつかはカーネギーホールに立つことを夢見ていた少年は、十数年後に各地のクラブを回り、コメディパフォーマンスで舞台に立つ青年となっていた。その青年アンディ・カフマン(ジム・キャリー)のパフォーマンスは、有名なプロモーター、ジョージ・シャピロ(ダニー・デビート)の目に留まり、彼は大人気のバラエティショー『サタデー・ナイト・ライブ』のゲストとしてテレビデビューを果たす。彼はスターへの階段を上り始め、ついにはスーパースターの座も手に入れるが、一方では自分がしたいパフォーマンスを制限されて満たされない気持ちが暴走を始めていた。

 この作品は、ジム・キャリーのコメディアンとしての演技を期待して観に行ってはいけない。ジム・キャリーは、この作品ではアンディ・カフマンという実在した伝説のコメディアンになりきっている。彼が映画の中で披露しているのは、ジム・キャリーのギャグではなく、アンディ・カフマンのギャグなのだ。私は実際のアンディ・カフマンという人は知らないが、ジム・キャリーがこの役で数々の主演男優賞を受賞しているところを見ると、本当に似ているんだろうと思う。
 正直なところ、私はこのアンディ・カフマンのギャグが面白いとは思えない。だから、映画の中でどんなギャグを見せられても笑えるところはなかった。そればかりか、全米を一気に引かせたと言われるほどのアンディの奇抜なパフォーマンスは、観ていた私自身も完全に引いてしまった。アンディは、とても複雑な精神を持った変人なんだと思う。彼があまりにも複雑過ぎて、周りの人間はみんなついていけない。どこまでが本当で、どこまでがパフォーマンスなのか分からない。だから彼が死んだ時、誰もがそれをジョークだと思ったのだ。彼のギャグは好きではなかったが、自分の死までもパフォーマンスの一部だと人々に思わせてしまう、その彼の真のエンターテイナーとしての生き方に私は感動した。彼はパフォーマンスは、死んだあとにその真価が認められたのだと思う。まるで彼は、死後に伝説を残すために35年という短い人生を生きたのではないかと考えてしまった。
 この作品はコメディではなく、あるひとりのコメディアンの人生を描いた人間ドラマだ。エンターテイナーとして脚光を浴びながらも、自分がやりたいこととテレビ局にやらされていることのギャップに悩む、複雑なひとりの男性の気持ちが描かれている。ジム・キャリーは、自分自身が持つコメディアンの才能をフルに使ってコメディアンとしてのアンディ・カフマンを演じているだけではなく、彼の心にある“影”の部分を見事に演じきっていた。『ライアー・ライアー』から『トゥルーマン・ショー』、そしてこの『マン・オン・ザ・ムーン』と、最近のジム・キャリーは一作品ごとに凄い“俳優”になっていっている気がする。私はこの作品を観て、また少しジム・キャリーのことが好きになった。  レベル4



5月16日(火)
 3年くらい前まではドラマフリークだった私が、最近はほとんどテレビドラマを観なくなった。あれほど話題になったキムタクと常盤貴子の『ビューティフル・ライフ』も、最初の2回だけ観てやめた。理由は、2回観たけど面白いと思わなかったから。だから、アメリカのお土産で“ドリーム・キャッチャー”をもらった時も、「???」というリアクションしか出来なかったのだ。キムタクと山口智子というキャスティングで人気があった『ロング・バケーション』も、一応最後まで観ていたが特別に面白いドラマだとは思わなかった。だから2回観たけど面白いと思わなかった『ビューティフル・ライフ』も早々に見切りをつけてしまったのだ。
 映画と違ってテレビドラマは、長いスパンでもって徐々に登場人物に感情移入して行く。だから、きっと何となくでも5〜6回観ていれば、自然にそのあとまで観てしまうのだろう。でも、まだ登場人物に感情移入していない最初の1〜2回で、ストーリー的にグッと引き込むものがなければ、きっとその後の展開にもあまり期待は出来ない。テレビドラマを暇つぶしに観るものと考えるのなら、また話は違うと思うのだけど。
 私が一番最近、毎週きちんと観ていたテレビドラマは98年秋の『タブロイド』だった。その前は97年冬の『きらきらひかる』だった。両方とも1話完結ものだが、その中で新人である主人公が成長していく過程が描かれていて、且つ、1話完結のドラマとは別に、ラストに向かっての1本の伏線が張られたストーリーがあって面白かった。ちなみに、両方とも井上由美子さんという人の脚本だった。かなり前になるが『王様のレストラン』も好きだった。これは人気の三谷幸喜の作品で、やはり1話完結のストーリーでありながら、ダメダメレストランのスタッフたちが、一流のレストランのスタッフへと成長していく姿を描いている。私は、どうやらこういう系統の作品が好きらしい。「面白いよ」と聞いて、再放送でチェックしたら見事にハマってしまった『踊る大捜査線』もそうだったし。
 ドラマの面白さは脚本の良さとキャスティングによって決まる。これは誰でも知っている。でも、演出家(つまり、映画でいう監督)の良し悪しによっても、大きく変わってしまう。これに気付いている人は少ない。と言うより、気にしている人が少ないのだと思う。何年か前に、深夜に『3番テーブルの客』というドラマをやっていた。三谷幸喜が書いた1冊の同じ脚本を、毎回、監督と俳優を変えて見せてくれるという企画もののドラマだった。同じ脚本を使ったドラマが、監督の演出方法によって全く別の作品になってしまうということを知ることが出来た、とても興味深い番組だった。
 96年に『白線流し』というドラマが放映された。松本市の進学校に通う、高校3年生の夏休み明けから卒業までの6ヶ月間を描いたドラマだったが、私はこの作品に見事にハマってしまった。受験という壁にぶつかりながら、自分の進むべき道を探せないままでいる高校生たちの苦悩や友情を描いたドラマで、大好きな映画『Love Letter』の持つノスタルジックな部分に通じるものがあった。私はこのドラマを、涙でグジュグジュになりながら観ていた。しかし、毎回毎回グジュグシュになって泣いて観ていたわけではない。不思議なことに、泣ける回と泣けない回があるのだ。そして、私は途中であることに気がついた。このドラマは2人の監督が交代で演出をしていたのだ。そして私が泣いた回には、必ず岩本仁志という監督が演出をしていた。つまり、岩本監督が演出した回は泣けるのに、もうひとりの監督が演出した回では泣けない。私はひとりの脚本家が書いた1本の連続テレビドラマでも、演出家が違えば視聴者が受ける印象は変わってしまうという事実を知った。そして、私は岩本仁志監督のファンになった。
 私は今クール、久しぶりにテレビドラマを観ている。それは『ナースのお仕事3』。96年に放送された1作目では、観月ありさが演じるとんでもない新人ナースの朝倉いずみが、患者の生と死にぶつかりながら成長していく過程を描いていた。やはり1話完結のストーリーだが、その1話の中で前半は徹底的にふざけているのに、後半はものすごくシリアスになるという、一風変わった作りが面白く、またしっかり泣かせてもくれるのでお気に入りだった。そしてこのドラマは、岩本仁志監督が『白線流し』の次に演出を手がけたドラマでもあった。
 『ナースのお仕事2』もずっと観ていたが、正直に言ってつまらなかった。ナース2年目となった朝倉いずみが、新しい病院で陰湿ないじめに合うという話だったのだ。主人公いずみの能天気さは相変わらずだったが、彼女がいじめられている姿は見ていてつらかった。岩本監督も演出としてスタッフに名前を並べているが、担当した回はほとんどなかったと記憶する。しかし今回の『ナースのお仕事3』では、ナース4年目になったいずみが、とんでもない新人ナース(神田うの)の教育をするというストーリーで、これがまた面白い。そしてまた、不用意に泣いてしまう回が何度かあった。それは必ず岩本仁志監督が演出した回だった。今日はベテラン看護婦の医療ミスをテーマにした重い内容だった。そして、観て泣いた。エンドクレジットには、やはり岩本監督の名前があった。


5月14日(日)
 14日になってしまった。
電話のおじさんは、無事にイイダさんに会えたのだろうか。ちょびっと気になる。
 「最近、誰も飲み会に誘ってくれないから、まるこ、淋しいの…(くねっ)」と書いたからかどうかは不明だけど、ボブが所属するテニスサークルの飲み会に誘ってくれた。嬉しい♪ 初対面の皆様に失礼のないように、服装にも気を使わなきゃ。相手はスポーツマンばかりなので、可愛がってもらうために本日のスタイルは“中学生の夏休み”に決定した。
 運動オンチの私は、子供の頃からことごとくスポーツは避けて通ってきた人なので、体育会系の集団に混じるのも初めてのことである。みんな激しい。すごく激しい。それは、私の想像をはるかに超えた世界だった。これ以上はとても書けない。


5月13日(土)
 去年、私の映画の感想文をずっと掲載してくれていた
PHP研究所のHPの担当の人から久しぶりにメールが入った。今年の1月で一旦終了していたPHP研究所の映画情報のサイトが7月からリニューアルオープンするので、また感想文の転載をお願いしたいという趣旨のメールだった。やっぱり嬉しいし、励みにもなる。2月に仕事が忙しくなって1ヶ月間更新をストップした時、あのままやめなくてよかったと今は実感してる。何も言わないまま更新を止めていた1ヶ月間でも、毎日100人以上の人が訪問してくれていたし、1ヶ月間のブランクのあとも、毎日のカウント数はほとんど変わっていなかった。あの時、私を見捨てないで、ずっとこのページに足を運び続けてくれた皆さんに心から感謝。また頑張って、いいものを書いていかなければ…と思ってる。これからもよろしくね。
 映画仲間のリンダが21日に結婚するので、今日はそのお祝いを兼ねた飲み会。仲間が集まるのは新年会以来だし、私が飲み会に参加するのも(4月2日の花見を除けば)2ヶ月ぶりになる。1年前は何も名目がなくてもみんなで飲んで騒いでいたのに、最近では何か名目がないとみんなで集まらなくなってしまい、ちょびっと淋しい。去年の4月に付き合いを始めた頃には十数人のサークルだったものが、1年もたつとどんどんとネットワークが広がって行って、ちょっとした飲み会を開くのも難しくなってしまうから仕方ないのだけどね。実際「お花見をやるよ」と言えば、40名以上の人が集まってくるのだし。だから、最近では飲み会にどこまでの人を誘うのかということは、全部幹事の判断によって決められる。今回は私が幹事を買って出たので、久しぶりに1年前の初期メンバー18人だけに声を掛けた。そして、その中で9人が集まってくれることになった。
 メンバーに送ったメールには、ちゃんと「遅刻したら反復横飛び100回」と書いておいたのに、常習犯のナタリーとジョージア、そしてピーチパイが遅刻してきた。しかし、一番遅刻してきたのがゲストのリンダとリンダのダンナさんになる人(ポールと呼ぶことにしよう)だったので恩赦が適用され、3人は反復横飛びの刑を辛くも免れることが出来た。運がいい娘たちだ。
 最近の私は飲みすぎて記憶を失うということが多い。幹事は飲み過ぎてはいけないなどという原則も、たぶん私には通用しない。だから、あらかじめ“幹事ですが飲みます宣言”をしておき、思考能力が極端に低下している(…というより、限りなくゼロに近い)と思われる会計時のために、ナタリーにサブ幹事を頼んでおいた。結果は大正解だった。花見のときを100%のヨッパー状態だとすれば、今回は70%くらいかな。しかし、瓶ビールは危険だ。自分がどれだけ飲んでるか分からなくなるから。
 19時から始めた飲み会が終わったのは23時前だった。土曜日は店もヒマそうなので追い出しもしないし、2時間制限の飲み放題も時間オーバーになっても受け付けてくれた。いい店だった。
 それにしても、リンダも1年前にはまだポールと出会っていなかったというから、縁というのは不思議なものだと思う。確かに、私自身も今と1年前とは追いかけている人が違う。2年前はまた違う人を追いかけていたし、3年前もまた違う人を追いかけていたし、4年前はトヨエツを追いかけていた。最近は追いかけてばっかじゃん。だいたい私が追いかけるのは一筋縄ではいかない変人ばかりなので、なかなかハートをゲット出来ないというのが実情である。追いかけられるよりは追いかけるほうが楽しくて好きなんだけど、いい加減幸せになりたい気もしてきた。ポールはとってもマトモな人だ。幸せそうなふたりを見ていたら、うらやましくなった。私もそろそろマトモな人に目を向けてみようかな。また“ドリーム・キャッチャー”に柏手でも打っておこっと。「ふんどし先生のような素敵な人と出会えますように♪」


5月12日(金)
 探せば週末でも暇な人は居るもんだ。「映画オゴるから、マイカル桑名まで連れてって♪」と頼んだら、「オゴってくれるなら、いいよ」と来た。…という訳で、無事『アイアン・ジャイアント』の劇場にたどり着くことが出来たが…しかし、まぁ、何ですね。この前の
フリマの荷物運びといい、友達は多くても、オゴらないと頼み事が出来ない関係の人ばっかっていうのも虚しいですな。早いとこ、「まるこっちが望めば、地球の裏側まで連れて行ってやるぜ!」と言ってくれる人を探そっと。部屋に飾った“ドリーム・キャッチャー”に柏手でも打っておこうか。

   ロックウェルという小さな町に住む9歳の少年ホガースは、森の中で50フィートもある巨大なロボットを発見し、仲良くなって家に連れて帰った。しかし、この巨大ロボットを目撃した人の口から噂は広まり、町はエイリアンの侵略ではないかと大騒ぎになる。騒ぎを聞きつけて調査にやってきた政府のエージェント、ケントは、ホガースがこのロボットを隠していることに気付き、彼を執拗に追い回す。
 アニメ界のアカデミー賞とも言える“アニー賞”を9部門独占で受賞したという実績を誇るアニメーション作品。全国のワーナー・マイカル・シネマズでの独占上映なのだそうだ。
 異星人を追いかける者と守ろうとする者の葛藤を描いているという点では『E.T.』や『スターマン』を彷彿させるものがあった。ストーリーは王道中の王道で、展開は全く予想を外さないが、予想通りの展開にホッと出来る、癒し系の作品とも言える。ディズニーのアニメーションは、子供には分からない部分で大人を楽しませてくれるが、この『アイアン・ジャイアント』は大人が子供に戻って楽しむことが出来る作品だという印象。しかし、完全に子供向けに作られたと思われる単純なストーリーの中でも、“銃”がどういうものであるかということをちゃんと説明しているところがアメリカらしい。それに、悪どいだけの悪役を登場させるのではなく、嘘をつく人間の汚さや、嘘をついたために彼が受けるハメになった仕打ちなども描かれている。単純なストーリーながら、この作品が(特にアメリカで)高く評価されたのは、そういった子供のための教育映画的な要素がふんだんに盛り込まれた作品であったからのような気がする。 レベル3.5


 マイカル桑名に行ったのは、ものすごく久しぶりだった。この前来たのはいつだったか、観た映画の記録で調べてみたら、97年の8月に『ロスト・ワールド』を観に来た以来のことだった。2年9ヶ月ぶりになる。3番街の2階はずいぶん変わってたね。


5月11日(木)
 チェリー姫から『エニイ・ギブン・サンデー』の試写会に誘ってもらう。アメフトのスポ根映画だ。スポ根はちょびっと苦手かもしれない。でも、監督がオリバー・ストーンというのと、笑わないキャメロン・ディアスというのが気になったりもする。映画の前に司会のお姉さんが「映画の中で男性のあそこが写っているシーンがありますが、これはちゃんと映倫を通ったものです」と説明していた。そんなの最近はバンバンじゃん。今更、それって説明しなきゃいけないのかな? 最初にそんなこと聞くと、妙に力みが入ったりしちゃうじゃん。

   トニー(アル・パチーノ)が率いるプロ・フットボール・チーム、マイアミ・シャークスは、連戦連敗でどん底状態だった。ダマトは弱小チームのやる気のなさだけではなく、シャークスの若き女性オーナー、クリスティーナ(キャメロン・ディアス)の商業主義にも頭を悩ませていた。そんな中、怪我で戦列離脱をしたベテランのクォーターバック、キャップ(デニス・クエイド)の代わりに起用された無名選手ウィリー(ジェイミー・フォックス)が予想に反し大活躍をし、チームを勝利へと導く。しかし、一気にスターダムにのし上がったウィリーは自己中心的なプレーを続け、チームの和は乱れ始める。
 上映時間2時間半は、正直言って長かった。特に、フットボールの試合シーンが長いので、それにのめり込めなかった私は、完全に置いていかれてしまっていた。アメフトはムキムキした人たちがぶつかり合う、格闘技のようなスポーツなので、余計に入りこめない。だって、身体の大きな黒人選手がたくさん出てきて怖いんだもん。スポーツやスポーツ観戦に熱くなれる人はOKだと思うが、そうでない人と、ムキムキした男性が苦手な人は観ない方がいいかもしれない。でも、オチは結構好きだったかも。 レベル2.5


 司会のお姉さんの言った例のものは、ばっちり写ってた。言われたから余計に気になってじーっと見ちゃったじゃない。
 何となく気になっていた『アイアン・ジャイアント』が明日で終わってしまうことを知った。観たい! でも、観れるとしたら明日のレイトショーしかない。マイカル桑名にレイトショーで行こうと思うと、車でないと無理だ。私には自転車しかない。そうなると、大至急、誰か車に乗せていってくれる人を探さなければならない。週末だというのに「明日の夜、暇?」と聞いて「暇だよ」と答える人が果たして居るのだろうか。まるこっち、焦る。




2000.5.1.〜5.10.

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