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真夜中のサバナホーム・アローン3マーキュリー・ライジング
アナスタシア悪魔を憐れむ歌L.A.コンフィデンシャル
ディープインパクト大いなる遺産レインメーカー追跡者

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真夜中のサバナ

ジョージア州・サバナは、歴史的建物が立ち並び、花が咲き乱れる北米一美しい街。
そんなサバナ一の豪邸に住む骨董商ジム・ウィリアムズ(ケビン・スペーシー)が毎年開くクリスマス・パーティは、
古い伝統が残るこの町の中で最も華やかな行事だった。
そのパーティを取材するためにニューヨークからやってきたジャーナリスト・ジョン(ジョン・キューザック)は、
パーティの夜、思いがけない事件に巻き込まれる。
ジムが自宅に住み込みで働いている若者・ビリー(ジュード・ロウ)を射殺したとして、逮捕されてしまったのだ。
その事件によりジムが同性愛者で、殺されたビリーはジムの恋人であったことが分かり、
しかもビリーの死に不審な点があることが発覚する。
不可解なこの殺人事件と、サバナに住む変わった住人たちに興味を持ったジョンは、
そのままサバナに滞在し、この事件の真相を追求することにする。

1994年に実際にサバナで起こった事件を綴ったノンフィクション小説をクリント・イーストウッドが映画化。
“見えない犬を散歩させる老人”“頭にハエを飼う男”など、この映画に出てくるサバナの妙な住人たちは
みんな実在の人物だというのには驚きです。
予告編もすごく妖しくて面白そうだったのに・・・・。
イーストウッドが何を撮りたいのか、全く分からない作品となってしまっています。
元はたぶんミステリーでしょう。でも、全然ミステリーになっていないのです。
そればかりか、コメディやオカルトのテイストも盛り込まれ、その上たっぷり見せてくれた裁判シーンで、
何だかよく分からない作品になってしまったように思いました。
サバナの住人たちがいかに妖しいかは、よく分かりました。
でも、それがストーリーに上手く生かされていなくて、
妖しい人々をわざわざ登場させなければならなかった理由にまで至っていません。
大ベストセラーになったという原作はきっと面白いのでしょうが、
脚色次第でこんなつまらない作品になってしまうんだ、という例にもなる作品でしょう。
だいたい2時間35分もの時間をかけて語る作品ではないし、
予告には全く無かった、退屈な裁判のシーンが約半分の時間(推定)を占めていたのには
騙された、という気持ちが拭えません。
レベル1

ジョン・キューザックは二枚目なんだけど、口がいつも開いているのが気になった・・・・。

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ホーム・アローン3

国際的4人組みのハイテク犯罪集団が、
盗んだアメリカ国防省のトップ・シークレットを収めたマイクロチップを、
オモチャの車の中に隠してサンフランシスコ空港へ降り立った。
しかし、そのオモチャの入った紙袋が、老婦人のヘスの紙袋とすり替わってしまう。
ヘスはそのオモチャを、雪かきの駄賃として、
隣に住む8歳の少年アレックス(アレックス・D・リンツ)にあげてしまった。
やがてオモチャの行き先を突き止めた4人組みは、アレックスの家ヘ侵入しチップ奪回を試みるが、
水疱瘡のために一人で留守番をしていて、数日前から泥棒が付近を徘徊しているのに気付いていたアレックスは、
彼らの動きを察知し、あの手この手で撃退の知能戦を展開する。

私はこの「ホームアローン」シリーズの、第一作目と第二作目を観ていません。
ですので、それらを観た上で第三作めであるこの作品を観た場合とでは、印象が異なるかもしれませんが、
ここでは、この三作目だけを観た上での感想になりますので、ご了承下さい。
コメディ映画にも色んなタイプの作品がありますが、
コテコテのコメディアンがパフォーマンスで笑わせるコメディのような嫌みはなく、
単純に笑える作品で面白かったです。
いくらハイテクオタクと言っても、8歳の、それも水疱瘡で発熱している子供に
あれだけの仕掛けを短時間で一人で作るなんて、とても無理な話でしょう。
でも、いいんです。コメディ映画はとにかく笑えれば。
悪役の4人組が、オープニングの登場シーンで相当カッコつけてただけに、
8歳の子供にやり込められてボロボロになっていく姿は、とにかく痛快でした。
観ているうちに、自分が彼らに悪戯を仕掛けているような気分になり、
引っ掛かると嬉しくて仕方なくなっているような気さえしてきました。
こういう作品は、何も考えずに単純に楽しむに限ります。
レベル4

でも、本当にあんな子供が居たら、やだな。

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マーキュリー・ライジング

全世界におけるアメリカのスパイ活動を保護する、
絶対に判読不可能だと言われている極秘コード“マーキュリー”。
この国家最高機密のコードを管理するふたりのプログラマーが、実験的にパズル雑誌にそれを載せた。
しかし、誰にも解けるはずの無いそのパズルを、
9歳の自閉症の少年・サイモン(マイコ・ヒューズ)は、いとも簡単に解いてしまった。
その事実を知った国家安全保障局のニコラス(アレック・ボールドウィン)は、
サイモンを危険人物と判定、すぐさま彼の殺害を命じ、サイモンの家に殺し屋を派遣する。
殺し屋はサイモンの両親を殺害するものの、サイモン本人は取り逃がしてしまった。
一方、サイモン失踪事件の捜査に加わったFBIエージェント、アート(ブルース・ウイリス)は、
自室の物置の中で脅えながら隠れているサイモンを発見し、
彼がただならぬ事件に巻き込まれていることを察知して保護する。
しかしニコラスの手先の殺し屋は、執拗にサイモンを追い掛け、抹殺を試みるのだった。
固く心を閉ざしたままのサイモンを殺し屋の手から守りながら、
アートはやがて何故サイモンが狙われているのかを知っていく。

とにかく、サイモン役のマイコ・ヒューズの演技が上手いのには感心してしまいます。
天才子役と呼ばれているそうですが、心に傷害を負った少年の役を完璧に演じています。
「ギルバート・グレイプ」でディカプリオが演じた障害者の役に
負けずとも劣らずの演技ではないでしょうか。
でもそれだけが突出していて、あとは特に見せ場がないような気がしてしまいました。
何と言っても、殺し屋の手から少年の身を守りながら逃避行を続けているのがブルース・ウイリスなので、
彼ならきっと守ってくれるだろうという安心感を持って観てしまい、
窮地に立たされた時もハラハラドキドキしないのです。
国家の最高機密であるコードが解読されたからと言って、
すぐその少年を殺してしまおうと判断するニコラスの考えも強引すぎ。
解読されたなら、解読されない別のものを作ろうと考えるのが普通でしょう。
解読した少年が何か政府に対して不利になるようなことをしでかした訳でもないのに、
解読しただけで殺してしまおうと判断するまでの過程が説明不足で、その強引さだけが気になりました。
ラスト近くの屋上でのクライマックスシーンも、そこに至るまでの過程が省略されすぎているような気がして、
なんか、あっと言う間に終わってしまったような印象を受けました。
レベル3

肝心なシーンでアートと殺し屋の間を横切るのは、日本人の観光団体?
とってもバカっぽい扱いですが、これがアメリカ人の目から見た日本人の姿なんでしょうね。

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アナスタシア

1916年ロシア、8歳になる皇女・アナスタシアは、宮殿で幸せな日々を送っていた。
しかし、宮殿から追放された邪悪な魔法使い・ラスプーチンが、皇帝一家に呪いをかけ、
ロシア革命が始まってしまう。
王を始め、皇帝一家は皆殺しにされてしまうが、その混乱の中、
アナスタシアは宮殿で働く少年に助けられ、皇太后マリーとともに屋敷から逃げ出すことに成功する。
逃げる途中、マリーとはぐれてしまったアナスタシアの手には、
マリーがくれた「パリで会いましょう」と書かれたオルゴールの鍵だけが残った。
10年後、子供の頃の記憶の無い孤児・アーニャは、詐欺師・ディミトリに出会う。
パリに住む皇太后マリーが、行方不明のアナスタシアを探し出した者に
莫大な報酬を払おうとしているという話に目を付けたディミトリは、
アーニャを偽のアナスタシアに仕立て、皇太后から謝礼金を巻き上げる計画を立てる。
しかし、アーニャこそが本物のアナスタシアだった。
記憶の無いアーニャも自分の過去を取り戻すため、たったひとつの手がかりである
「パリで会いましょう」と書かれたオルゴールの鍵を持って、ディミトリと共にパリへと向かう決心する。
一方、死んだと思い込んでいたアナスタシアが生きていたことを知ったラスプーチンは、
再びアナスタシアを殺すべく、彼らのパリ行きの邪魔をし始めるのだった。

20世紀フォックスが、初めてアニメーション界に参入、3年の月日を費やして作ったという作品。
アーニャ=アナスタシアにはメグ・ライアン、ディミトリには「コンエアー」のジョン・キューザックが
声優として参加しています。
元ディズニー映画の製作スタッフが加わっていることもあり、実にディズニー映画によく似た作品となっています。
実際、会場からも「これ、ディズニー映画じゃないの?」という声もちらほら。
違うんです。この作品はディズニー映画ではないのです。
確かに、作品としては悪くはありません。
しかし、どうしてもディズニー映画の真似をしているようにしか見えない部分が気になるのです。
画そのものはもとより、途中でミュージカル仕立ての音楽が入り、邪悪な魔法使いを登場させる・・・・
せっかく新分野に参入したというのに、どうしてもう少しオリジナリティに富んだものが作れなかったのでしょうか。
ロシア革命が魔法使いの呪いによって起こされたという設定で、すでにお子様向けアニメになってしまっていますが、
これはアナスタシアとディミトリの身分を越えた恋愛の物語でもあるので、
魔法使い抜きでその部分をもう少しじっくり見せた、大人向けの作品に仕立てても良かったのではないかと思いました。
ドレスアップしたアナスタシアが、シャネルのお店から出てくるシーンだけは、
真似事の中にもディズニー映画とは一味違うものを感じ、面白かったです。
レベル3.5

それでもかなり泣けたシーンもあったので、案外ハマっていたのかも・・・・。

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悪魔を憐れむ歌

連続殺人犯・リース(エリアス・コーティアス)の死刑が執行された。
そしてその後、彼を逮捕した殺人課の刑事・ホブズ(デンゼル・ワシントン)の周りで
リースの犯行そっくりの連続殺人事件が起こる。
現場の壁に犯人が残した文字と、リースが処刑直前に話していた言葉が同じであることを
奇妙に思ったホブズは、その言葉の意味を調べ始める。
しかし、それが30年前に自殺した警察官の名前だと分かったとたん、
上司はその事実を隠すように、ホブズにその調査をやめるように忠告するのだった。
自殺した警察官の死に疑問を持ったホブズは、上司の忠告を振り切って更に調査を進めるうち、
彼の死に悪霊が関わっていたことを知る。
そして、その悪霊が現在まで生き続け、今回の連続殺人を引き起こしていると知ったホブズだったが、
上司はこの事件の犯人を警察内部の者と推定し、ホブズにその容疑をかける。

観ている時はそこそこ楽しめたものの、観終わったあと納得がいかない点がたくさん出てきました。
なぜ誰にでも乗り移れる悪霊が、ホブズには乗り移れなかったのか。
なぜ悪霊はホブズに30年前の事件を知らせようとしたのか。知らせることに意味があったのか。
なぜ上司も自殺した警察官の娘も、ホブズに事件について調べるなと言ったのか・・・
うーん、分からない。
それに、物語を先に進めるための強引すぎる設定も多々見られました。
リースが自分のドキュメンタリーを撮っているとか言って、処刑直前の映像を撮らせたのも、
後で語学学者が登場するために、実に都合よく使われているし、
ホブズが自分の身を守るために発砲したのに、死なせてしまった相手がたまたま信頼の厚い教師だったため、
“世間を納得させるため”と言われ警察をやめさせられるのも、考えてみれば変な話です。
悪霊が人から人へと乗り移るのに距離的な制限が設けられていて、
その距離の範囲内で乗り移らないと悪霊自体が消滅してしまう、なんていう設定は
その強引さに呆れてしまいました。
何かに乗り移っていないと存在が消滅してしまうなんて、そんな悪霊あるのでしょうか。
いくら“作り話”だって言っても、ちょっと納得出来ません。
悪霊に取り憑かれた人たちが口ずさむ歌は、ローリング・ストーンズの「Time is on my side」。
“時間は俺の味方”と歌うこの歌が、悪魔を憐れんでいる歌なのでしょうか。
うーん、分からない。
ストーンズの曲に「悪魔を憐れむ歌」というタイトルのものがあるようですが、
言葉の響きだけで“いただき!”とばかりに邦題を付けた気がします。
ちなみに原題は「Fallen」。“堕落した”という意味です。
納得出来ない点だらけの作品ですが、観てる時は退屈しなかったので・・・・
レベル3

一番の疑問点はコレ。“悪魔”と“悪霊”は違いますよね。

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L.A.コンフィデンシャル

1953年、ロサンゼルスのダウンタウンのコーヒーショップで殺人事件が発生、6人の男女が惨殺されていた。
犠牲者の中には、ロサンゼルス警察の刑事バド・ホワイト(ラッセル・クロウ)の元相棒の刑事も含まれ、
殺人課に配属になったばかりのバドは、躍起になって事件の捜査を始める。
そして、殺害された女の知り合いのリン(キム・ベイシンガー)の身元を調べたバドは、
彼女を含め、有名女優に似た女たちを集めた売春組織“白ユリの館”の存在を知る。
間もなく、バドと同じ署内の警部補エド・エクスリー(ガイ・ピアース)の手により犯人が逮捕され、
事件は一旦は解決したように見えたが、すぐに彼らが真犯人ではないことが判明。
そして“白ユリの館”が絡む別の殺人事件が発生し、それに関わった刑事ジャック・ビンセンズ(ケビン・スペイシー)は、
エドと手を組んで2つの事件の関係を捜査する。
一方、単独で事件の捜査をしていたバドは、ひとつづつ事件の裏に隠された真実を知って行く。
そして3人の刑事の捜査する事件は複雑に絡み合い、やがてひとりの黒幕が浮かび上がる。

私の映画を観る時における最大の欠点は、人物の名前を覚えるのが苦手というところです。
この作品では、その私の一番痛いところを突かれてしまいました。
主要な人物が最初に登場する時、彼らの名前が画面に文字で表示されます。
つまり“この人は**さんです”と、文字で説明されるのです。
そしてそれからはもう、観ている側はそれを理解しているものとして、
当人がいないところで名前だけで彼らを表現するセリフがポンポンと飛び出します。
それも名字で呼んだり、名前で呼んだりなので、私のように人物の名前を覚えるのが苦手な人や、
彼らの名前をちゃんと覚えていなかった人は、その時点でチンプンカンプンになってしまうのです。
これからこの作品を観る人は、登場人物の名前をちゃんと把握しておくことをオススメします。
作品としては、よくありがちな登場人物の誰かを黒幕にしている“謎解きもの”なので、
その黒幕の正体などには特に目新しいものは感じませんでしたが、
複雑に入り組んだ事件がやがてひとつの結末へと向かっていくというストーリーは、
評判どおり上手く出来ていると思いました。
バド、エド、ジャックという3人の刑事の全く違う性格や、
彼らの気持ちが変化していく様も、実に上手く表現されていたと思います。
50年代という時代設定には興味深いものがありましたが、
ハリウッドスターを夢見てL.A.にやって来た人たちを巻き込んだ殺人事件なので、
時代背景や当時のスターについて、多少分っていた方が楽しめる作品だと思います。
女優ベロニカ・レイクそっくりの娼婦リンを演じたキム・ベイシンガーが、
その役で各賞の助演女優賞などを受賞しましたが、ベロニカ・レイク自身を知らない私には、
彼女の演技がそれほどまでのものなのかどうかが分からないのか残念でした。
アメリカ映画でよくある“正義のために自己を犠牲にする”とか、“とにかくハッピーエンド”という
ラストにとどまらなかったのが、この作品を評価するべき点だと思います。
レベル4

もうちょっと“分かりやすさ”が欲しかったような気がしました。


《 L.A.コンフィデンシャル/2回目》
最初観た時から2ヶ月が経ち、もう一度改めてこの作品を観てみました。
そして、この作品がいかに完璧であるかが分かりました。
この映画は“謎解きもの”なのではありません。
3人の男たちの“人間ドラマ”だったのです。

「L.A.コンフィデンシャル」ネタばれ解説へ

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ディープインパクト

ニュースリポーター・ジェニー(ティア・レオーニ)は、偶然知った“エリー”という謎のコードを
ワシントンのセックス・スキャンダルと考え、その事実を知るために大統領(モーガン・フリーマン)の元側近に接近する。
しかしその直後、ジェニーはFBIに連行され、そこで大統領から直にそのスクープの報道を2日控えることを要請されるのだった。
2日後、ホワイトハウスから大統領の緊急記者会見があった。
そこで大統領は、地球に接近している彗星が1年後に衝突することで、人類絶滅の可能性があることを発表する。
この危機を回避するために、アメリカはロシアとの共同開発の宇宙船で、
タナー(ロバート・デュバル)ら宇宙飛行士が彗星に降り立ち爆破させるという計画を進めるとともに、
最悪の事態を考え、地下に巨大なシェルターを建設。
しかし、そこには100万人の“選ばれた人”しか収容することができないのだった。

こんな地球規模のパニックであるにも関わらず、自国のことしか語らない超アメリカ中心的作品であり、
数多い登場人物の中の誰を一番の主役ともさせない作りは、大味で「ID4」に似ているものを感じました。
スクープを手に入れたニュースリポーター、彗星を発見した少年、
そして彗星を爆発させるべく宇宙へ旅立つ宇宙飛行士たちと、
色んな人のドラマを変わるがわる見せながらストーリーを展開していくため、感情移入する隙がありません。
そして、冒頭の車の衝突シーンから、誰がシェルターに入れる人として選ばれ、誰が選ばれないかということや、
登場人物たちが次にどういう行動をとるかということまで全て先が読める展開です。
監督ミミ・レダーは確かに絵的にはかなりのものを撮れる人で、評価もされているようですが、
映画の見せ方といった部分では、私個人的にはあまり評価は出来ません。
予告編でさんざん見せられた“現在2つの彗星が地球に接近しており・・・”という大統領の会見は
物語が4分の3過ぎたところでようやく登場してくるので、これは宣伝の仕方にも問題があったのではないでしょうか。
つまり1時間30分が前振りで、ラストの30分で一気に終結してしまうという作品になってしまっているのです。
シェルターに入れる一般の人はコンピュータで無作為に選ぶ、という設定も何だか強引過ぎ。
そんな大統領の発表に反発する人が皆無だというのも、リアリティに欠けています。
そういう事態になれば、反乱や暴動が起こるのは間違いないと思うのです。
それに、家族も恋人も知り合いもみんな選ばれなかったのに、自分だけが選ばれた人は幸せだと言えるのでしょうか。
アメリカ全土に一体何億人の人が住んでいるのか分かりませんが、
周りに知る人が全くいないのに、自分だけが選ばれて2年間を穴ぐらで過ごし、
そこから出たら国の再建のために尽くせと言われても、私だったら嫌だと思いました。
この作品の中ではその大切なことに全く触れていませんが、
コンピュータで抽選される一般人のドラマをきちんと見せて欲しかったです。
レベル3

ニュースリポーター・ジェニーの最後にとった行動だけが唯一良かったと思えたシーンでした。
このシーンでは、泣きました。

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大いなる遺産

絵を描くことが大好きなフロリダの小さな町に住む10歳の少年フィンは、
幼い時に両親を亡くし、姉の手で育てられていた。
ある日フィンのもとに、30年前に婚約者に棄てられてから気がおかしくなってしまったという
大金持ちのディンズムア夫人(アン・バンクロフト)から、
姪のエステラの遊び相手として毎週土曜日に屋敷に来て欲しいという依頼が来る。
貧しい暮らしをしていたフィンは“仕事”としてそれを承諾するが、
美しい少女エステラに心を惹かれていた彼にとっては、それは嫌なことではなかった。
やがて7年の時が過ぎるが、フィン(イーサン・ホーク)は
相変わらず毎週土曜日エステラ(グウィネス・パルトロウ)のもとへと通い続けていた。
フィンは幼い頃からエステラを愛し続けていながら、住んでいる世界が違いからその想いを告げることが出来ず、
自宅でひとり、ひたすらにエステラの絵を描き続けていた。
しかし、初めてフィンの自室を訪ね、部屋に飾られた自分の肖像画を見てフィンの自分への気持ちを確かめたエステラは、
翌日黙ってヨーロッパへ旅立ってしまう。
エステラが急に自分の前から居なくなってしまったショックで、フィンは絵を描くことをやめてしまった。
それからまた7年たったある日、
フィンの絵の才能を買っているある人物の使いだという者が、フィンを訪ねてやって来る。
その人物はニューヨークで彼が個展を開くための援助をしたいと申し出ていると言うのだった。
その人物が誰かとも知らされず、絵への夢も捨て切っていたフィンは一度はそれを断るが、
やがてこれを引き受け、再び絵を描こうと決心する。
そしてニューヨークへ行ったフィンは、そこで今はニューヨークに住んでいるエステラと再会する。

この映画はハリウッドの大作のくくりにされていますが、全くハリウッド映画の匂いはなく、
どちらかというとアート系映画の部類に属すると思いました。
だからハリウッド映画のテイストを期待して観に行く人には、少し退屈な作品かもしれません。
これは大筋だけで語れば、きっと30分位で映画が終わってしまうようなとても簡単なお話で、
「大いなる遺産」というタイトルも、その大筋だけで語られる部分からきています。
宣伝ではヒロインのエステラがクローズアップされていますが、
この作品はあくまでもフィン自身の人生を描いたもので、エステラはその本筋にスパイスを与える形で登場するのです。
大筋だけで語れば30分で終わってしまうような簡単なお話に“魔性の女”を登場させ、
主人公の気持ちを翻弄させることで2時間の作品に引き延ばしているのですが、私は全く退屈しませんでした。
むしろ2時間たっぷりと、その映像世界に浸っていました。
この作品を撮ったアルフォンソ・キュアロンは、かつて「リトル・プリンセス」という作品で、
その予告編だけで私を泣かせたという実績のあるメキシコ人の監督です。
この監督と、「雲の中で散歩」で美しいキアヌ・リーブスを魅せてくれたカメラマンが描く世界。
とにかく美術センス、カメラワーク、心理描写、音楽と、全てが素晴らしく、
その映像に取り憑かれてしまったような、不思議な感じの残る作品でした。
そして、幼い頃からただひとりの人を愛し続け、その恋に苦悩するフィンを演じる
主演のイーサン・ホークがとても良いです。
久しぶりにもう一度観たい、サントラが欲しいと思った作品でした。
レベル5

ヒロインにグウィネスを起用したのは、やっぱり絵に描きやすい顔をしてるから?

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レインメーカー

“レインメーカー”とは、一流の法律事務所で金払いの良い依頼人に囲まれ、
雨のごとく金を降らせて成功を収める弁護士のことをいう。
法律学校を出たばかりのルーディ(マット・デイモン)の夢はこの“レインメーカー”になることだった。
しかし、コネも金も住む家もない彼は、悪徳弁護士として名高いブルーザー(ミッキー・ ローク)に雇われる。
司法試験に何度も落ちていながらも法律世界に詳しいデック(ダニー・ デビート)と組み、情熱を持って仕事に取り組むが、
彼らの金のためのセコい仕事の取り方に疑問を持ち始めていた。
そんな中ブルーザーの事務所にFBIの手入れがあり、
ブルーザーは担当していた保険会社を相手取った裁判を放棄して姿をくらませ、
成り行きでルーディがその裁判を担当することになる。
それは、白血病と診断された青年に保険会社が保険金の支払いを拒否したために起こされた裁判だった。
保険金が支払われないために手術を受けられず、瀕死の状態が続いている原告の白血病青年と接し、
保険会社の汚いやり方に怒りを覚えたルーディは、何としてでも彼を救おうと裁判に挑む。

ジョン・グリシャム原作の「原告側弁護人」を、巨匠フランシス・フォード・コッポラが自らの脚本で映画化。
「グッド・ウィル・ハンティング」で屈折した青年を好演したマット・デイモンが、
今度は若き弁護士に扮しているのですが、これが見事に役にはまっていました。
理想に燃えて弁護士事務所に入ったことはいいのですが、そこでのセコい仕事の取り方を知り、
法律学校では教わらなかった現実に戸惑ったり、
まだ弁護士としての資格を持っていないのに成り行きで法廷に立つことになり、
相手のベテラン弁護士にあの手この手でやり込められながらも、
“営利”のためではなく、自分が信じる“正義”のために戦っていく姿には好感が持てます。
ジョン・グリシャム原作の法廷もの映画の中でも、善悪がはっきりしているので分かりやすく、
法廷ものが苦手な人でも大丈夫な作品に仕上がっています。
夫の暴力に脅えるクレア・デーンズ演じるケリーとのエピソードはストーリーには直接関係ないものですが、
一本調子では退屈になりがちな裁判ものに、ほどよく変化を与えて効果的に使われていたと思います。
彼が弁護士として初めて担当した白血病の青年の保険金をめぐる裁判を通し、
法社会の表と裏、“レインメーカー”の理想と現実を知り、ひとつの結論を下すというラストも良かったです。
レベル4

ただ、音楽が最悪。映画の良さを見事にぶち壊しています。
コッポラもよくあれでOK出したもんだ。

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追跡者

シカゴで運転手をしていたシェリダン(ウェズリー・スナイプス)が、
ニューヨークでの殺人事件の容疑者として逮捕された。
シェリダンは他の囚人たちと共に護送機に乗せられるが、
機内で彼を殺そうとした中国人が起こしたトラブルにより機体が墜落し、
事故に紛れて姿を消してしまった。
同乗していた連邦保安官・ジェラード(トミー・リー・ ジョーンズ)は、
すぐにシェリダンが逃亡したものと気づき、現場に部下たちを呼び寄せて彼の追跡を始める。
しかし捜査を進めて行くうち、ジェラードはシェリダンが元CIAの工作員であることを知り、
彼が殺人の罪で逮捕された裏に、ある陰謀が隠されていることに気づく。

1993年のハリソン・フォード主演の「逃亡者」で、ハリソン演じるキンブル医師を執拗に追い掛けた
トミーリー・ジョーンズが演じたジェラード保安官が主役となり、別の逃亡者を追いかけるというお話です。
前作でジェラードの部下を演じたメンバーが、そのままの顔ぶれで出演しています。
「逃亡者」でのジェラード保安官は、脇役でありながらその存在感は光っていて、
トミー・リー・ジョーンズはこの役でアカデミー助演男優賞を受賞しました。

「逃亡者」の、サスペンスでありながらも丁寧に描かれた人間ドラマが大好きだった私は、
この「追跡者」にもかなり期待していたのですが、ちょっと期待外れの感がありました。
まず逃亡者のシェリダンが、“ある者”の陰謀によって無実の罪で逮捕されたという設定が
前作のキンブル医師と同じであるにも関わらず、“いい人”だったキンブルとは違い、
シェリダンは逃亡の途中で一般人を巻き込み、銃で脅したりしている分“いい奴”には思えないのです。
冒頭のカー・クラッシュのシーンなどはかなりの迫力がありましたし、
アクション面に関しては前作を上回っていると思いますが、
私が一番期待していた“人間ドラマ”はほとんど無く、
陰謀の鍵を握る怪しい人物もまる分かりで、予想通りの展開にサスペンスとしても不出来でした。
ジェラード保安官の徹底的な追跡ぶりは相変わらずでしたが、
トミー・リー・ジョーンズの演技は脇役だからこそ光っていたものがあったのではないかと感じました。
視点を“逃亡側”から“追跡側”に移したことは、成功とは言えなかったのではないでしょうか。
冒頭の車の事故で腕を骨折したシェリダンが、逃亡の途中で腕にしていたコルセットをはずし、
すぐにボートを漕ぐことが出来てしまったり、なぜかシェリダンがジェラードの名前を知っていたりと、
不可解な点もちらほらと見えてしまった作品でした。
レベル3

「逃亡者」のレベルは期待してはいけませんが、「逃亡者」を観ておいた方が楽しめる作品です。

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