![]()
PAGE3
落下する夕方 /
イノセントワールド /
TOKYO EYES
がんばっていきまっしょい /
踊る大捜査線 THE MOVIE /
生きない
犬、走る/DOG RACE /
SF サムライ・フィクション /
カンゾー先生 /
激しい季節
PAGE2 /
PAGE4 /
HOME
落下する夕方
リカ(原田知世)は4年間共に暮らした健吾(渡部篤郎)からいきなり別れ話を切り出される。
健吾は突然出会った華子(菅野美穂)という奇妙で不思議な魅力を持った女性に
一目惚れしてしまったというのだ。
リカはなすすべもなく、黙って部屋から出て行く健吾を見送り、
ただ彼が帰ってきてくれる事を信じて孤独な日々を送るだけだった。
そんなある日、華子がリカのもとを訪れ、そのままリカの部屋に住み着いてしまう。
そして、健吾は華子を目当てにリカのところにやって来るようになり、奇妙な三角関係が始まる。
可も無く不可も無い、といった感じ。
悪い作品ではないと思うのですが、登場人物の気持ちに入りにくいのです。
4年間一緒に暮らしてきた恋人が突然去ってしまったというリカの気持ちは理解出来るのですが、
そこに至るまでの説明が充分でないために、彼女の複雑な心境が掴みにくくなってしまっています。
つまり、彼女の“つらさ”が伝わってこないのです。
また、健吾がなぜ華子に惹かれてしまったのかも疑問。
突然ウサギの耳をつけて目の前に現れた華子に健吾は一目ぼれしたと言葉では言っていますが、
リカの部屋に押しかけてきた華子には、一目で気持ちを捕らえてしまうほどのインパクトは感じませんでした。
ストーリーの素材は良かったのに、特に良いと思えなかったのは、脚本と演出のせいでしょうか。
少し残念な気がしました。
レベル3
イノセントワールド
17歳の女子高生アミ(竹内結子)は、援助交際でお金を稼いでいる。
自分が父親の本当の娘でないことを知っていた彼女は、
自分の本当の父親=精子ドナーNo.307を探す旅に出ようと決心していたのだ。
母親にも、育ての父にも愛情を感じられないアミは、
自分が唯一心を許せる相手である、知能障害を持つ兄タクヤ(安藤政信)と一緒に、
人工授精を行った病院の教授を訪ね、精子ドナーNo.307の居所を聞き出す。
元はその教授の助手を務めていたという精子ドナーNo.307こと高森(豊原功補)が、
今は北の方で開業医をしていると聞いたアミは、タクヤと共に夜行バスに乗り込んで北に向かった。
やがてアミとタクヤは、北の海辺にひっそりと建っている高森の診療所へとたどり着く。
そして、そこでふたりは“人間感情の欠如した医者”高森と、
彼との結婚によって人間不信に陥った看護婦の妻・啓子(伊藤かずえ)に出会った。
B'zやサザンオールスターズなどのミュージックビデオを手がける下山天監督の作品。
ミュージックビデオ出身と言えば、言わずと知れた岩井俊二監督を始め、
最近では『SF サムライ・フィクション』の中野裕之監督など、映画の世界で活躍する人が増えてきました。
こういうミュージックビデオを作っている監督たちには、やはり独特の感性や才能があるのでしょう。
この『イノセントワールド』にも、岩井作品には負けず劣らずの映像美が存在したし、
登場人物たちのぶつかり合う気持ちの表現も素晴らしかったと思います。
母親には「あんたたちなんか、産まなければかった」と言われ、
生まれた時から一緒に暮らしてきたはずの“育ての父”にはソッポを向かれるという生活の中で、
自分の居場所を求めて“産みの父”を探しに行こうとするアミの気持ちは良く分かります。
自分には何かが欠けている気がして、それを埋めないことには自分は前に進めないという気持ちなのです。
もしも自分がアミだったら、必ず同じようにその人を探しに行くだろうと思いました。
作者の実体験を小説化し、ベストセラーなったという原作本では、
アミとタクヤの近親相姦がベースになっているため、この映画のイメージとはかなり違ったものになっています。
単にモラルの問題とかそういうことではなくて、
アミとタクヤが自分の探していたものを見つけるまでの過程を表現した作品という意味で、
私は原作よりも映画のストーリーの方が好きでした。
久しぶりに、観終わったあとに心地よい余韻に浸れる作品に出会えました。
レベル5
TOKYO EYES
東京ではひとりの男(武田真治)が人々に拳銃を向けては発砲し、脅かすという事件が連続して起こっていた。
犯人はぶ厚いレンズの眼鏡を掛け、“藪睨み”と称されて警察に追われていた。
刑事を兄に持つ16歳のHINANO(吉川ひなの)は、アルバイト先の美容院からの帰宅の途中、
電車の中で乗客をビデオで隠し撮りしている若い男に気を取られる。
やがてその男は、下北沢の駅で鼻歌を歌いながらプラットホームに飛び降り、改札口に消えて行った。
その日、帰宅した兄(杉本哲太)が持ちかえった“藪睨み”の似顔絵が
今日の電車の男によく似ていることに気づいたHINANOは、
翌日アルバイトに向かう途中で、下北沢の駅で何かに誘われるように電車を降りた。
下北沢の町をあてもなく歩き回るHINANOは、やがて彼の姿を発見し、
思わずその後をつけて彼のアパートへとたどり着いた。
別の日、今度はビデオカメラを手にして彼のアパートへと向かうHINANOだったが、簡単に彼に見つかってしまう。
“K”と名乗ったその男は、自宅でゲームソフトを作っているのだという。
「自分の作ったソフトを見せてあげる」と“K”に部屋に誘われたHINANOは一瞬困惑するが、
好奇心からその部屋に上がりこむ。
この映画、本当にフランス人の監督が撮ったのだろうかと思うくらい、
現在の日本(東京)の風景がリアルに表現されていることに、まず驚かされました。
電車の中で居眠りするサラリーマン、街角のテッシュ配り、半透明のごみ袋を集める収集車など、
普段私たち日本人が気にも留めないようなことを、鋭い洞察力でもって描かれていることが分かるのです。
ゲーム感覚で他人に拳銃を向けて楽しんでいる武田真治演じる“K”という男のような精神を持った人間も、
テレビゲームに明け暮れた少年時代を過ごした世代の中になら、その存在を否定出来ないでしょうし、
ストーリー上では彼が本物の“ワル”ではないところに、彼自身にある種の魅力すら感じ、
危険な匂いを感じながらも彼に惹かれていくHINANOの気持ちも理解出来ます。
HINANOを演じた吉川ひなのは、私はどちらかというと好きではないタレントであるし、
どのドラマや映画を観ても、お世辞にも演技は上手いとは言えませんでした。
でも、この映画に出てくる吉川ひなのは、HINANOという女の子にぴったりハマっていて、
びっくりするくらい可愛かったのです。
役者の持つ魅力を最大限に引き出し、その役者を好意的に思っていない観客までも引き込むことの出来る
このジャン=ピエール・リモザンという監督の手腕は凄いと思いました。
前半は先の見えない展開にドキドキものだったのに、
やくざ役の北野たけしが登場した後半では、一転して展開が読めてしまったのが残念。
もう少し謎でもって引っ張って行ってくれれば完璧だったのに。
それに、一番最後のHINANOのセリフは不要だったように感じました。
レベル4
がんばっていきまっしょい
1976年の四国・松山。
美しく穏やかな海に囲まれたこの町に生まれ育った悦子(田中麗奈)は、
京都大学に通う成績優秀で要領のいい姉に比べ、不器用で勉強も苦手。
高校入学を目前に控えても、心底打ち込めるものが見つからない苛立ちで、
ふらりと数時間の“家出”をする。
そこで偶然見かけた高校のボート部の練習に何か惹かれるものを感じた悦子は、
高校に入学したらボート部に入ろうと決意する。
しかし、いざ入学してみると、ボート部は男子だけで女子チームはないと門前払いをされてしまう。
「ないなら、作ればいい!」と考えた彼女は、女子部員集めを試みるが、
思うように部員は集まらず、結局男子に混じって練習させてもらうこととなった。
その年の夏、「新人戦に出場するまで」という約束で、4人の“にわか女子メンバー”が集められた。
全く運動部に所属した経験のないその4人は、とりあえず練習を始めてみるものの、やる気は全くない。
案の定新人戦は惨たんたる結果で、その時初めて味わった屈辱により、
「このままじゃやめられない」と、彼女たちはようやくやる気を起こすのだった。
この作品にノスタルジックなものを感じるのは、恐らく20代後半以降の人ではないでしょうか。
舞台は22年前の松山の高校。
22年前といえば、ピンクレディが『ペッパー警部』でデビューした年だそうです。
ちなみに私は小学生でした(年齢がバレるか・・・・)。
わざわざ22年前に時代を設定したということは、ストーリー上では何の関係もなさそうなのですが、
この作品に出てくる女の子たちのピュアな気持ちは、
“コギャル”と呼ばれた世代以降の現代の高校生では、決して表現出来ないように思えます。
例えば岩井俊二監督が『Love Letter』の中で描いていた中学校の教室のような
懐かしい匂いがこの作品には感じられました。
この作品で描かれている高校生と自分の高校時代には何年かの隔たりはありますが、
観ていて自分の高校時代とのギャップは感じませんでした。
例えば久しぶりに会った幼なじみの男の子に対する複雑な気持ちとか、
学校帰りに立ち寄ったお好み焼き屋さんでの会話、
合宿で友人と枕を並べながらなかなか寝入ることが出来ない様子や、夏の海で花火をしたことなど、
まるで高校時代の自分を見ているような懐かしさを感じてしまったのです。
最初は運動の経験ゼロでまるでやる気のなかった女の子たちが、ひとつひとつ経験を重ねるにつれて、
だんだんやる気を出してくるくだりも良いし、
何と言っても主人公の悦子の、思い込んだらどこまでも突っ走ってしまう性格が私は好きです。
私は運動部には所属していなかったので、スポーツに打ち込む人の気持ちを真から理解出来ていないと思うし、
それ故“スポ根もの”の映画にもあまり熱くなれないタイプなのですが、この映画は少し違いました。
何をしていいか分からないまま高校入学をしてしまった主人公が、
たまたま目にしたボート部に入部することを決意し、“何か”を見つけるために必死でボートを漕ぐ物語。
彼女にはそれを極めようなどというどん欲さはありません。
はっきりした目的もなく、ただ今の自分が出来る精一杯のことを夢中でやっているだけ。
そして、そうしているうちに、ボートが自分の全てになっていることに気づくのです。
過度の練習がたたって腰痛で動けなくなり、医者にも「もうボートは漕いではダメだ」と言われ、
練習出来ない悔しさに悦子が電車の中で涙するシーンや、
「私、ボートがないと何もないんです」とコーチにこぼすシーンなどは、グッとくるものがありました。
“青春時代”という古くさい言葉がぴったりな作品。
勝つとか負けるとかそういう問題ではなく、
ただがむしゃらに何かに打ち込んでいた、過ぎ去った日の自分を思い出させてくれるような作品です。
私は学生時代にそんな“何か”を見つけることが出来なかったので、
この作品に出てくる女の子たちがとても羨ましく思えました。
この映画に出てくる少女たちは、現在38歳。
今ごろどこでどんな生活をしているのだろうと、ふと考えてしまいました。
レベル4
踊る大捜査線 THE MOVIE
湾岸署管轄内の川で水死体が発見された。
解剖の結果、死亡した男性は猟奇的な犯人によって殺され、川に捨てられたと推定された。
早速、青島刑事(織田裕二)たちが捜査を開始しようとしたところ、
刑事課内で窃盗の事件が発生、署内は騒然となる。
そんな中、本庁の捜査員たちが、湾岸署の会議室に大々的な捜査本部を設置し始める。
警視庁の副総監が何者かに誘拐されたというのだ。
私はテレビシリーズを観て、この作品の大ファンとなったひとりです。
このテレビドラマをどうやって“映画”で見せてくれるんだろう、という興味があったのですが、
パンフにも書いてあった通り、製作者側は“テレビと同じように”という意向で作ったようですね。
だから私も、観ている時は“映画”を観ているのではなく、
大きな画面で大勢の人と一緒に2時間スペシャルの“テレビ”を観ているような気持ちでした。
つまり、映画館でワイドスクリーンを使ってテレビドラマを放映したという感じ。
でも、劇場を埋め尽くしたこの作品のファンたちのほとんどは、
テレビと同じ世界をスクリーンの中に求めていたのだと思います。
そのファンたちを満足させるには“映画”の本質に基づいた作り方ではダメだったのでしょうから、
製作者の意向がファンの希望と一致しているということで、それはそれで良かったのだと思います。
ただ実質1時間50分という時間の中では、少々ネタを詰め込み過ぎという感がありました。
せっかくの面白いネタが端折り過ぎ、という感じでもったいなかったです。
“最悪の3日間”をテレビで3話に分けてじっくりと放映して欲しかった気もします。
映画にするなら、前半・後半に分けて3時間ものでやるとか・・・・ねぇ。
あと残念だったのは、予告編で本編の重要なシーンを映し過ぎてるということ。
確かにあの予告編は非常に興味をそそるものでしたが、あれをさんざん観せられたおかげで、
次にどんなことが起こるかが全て予測出来てしまい、面白さが半減してしまいました。
そのためか、私の中ではこの映画版のエピソードは、
一番好きなテレビ版の最終話のエピソードを超えることが出来ませんでした。
何の情報も入れないまま観ていれば、超えていたかもしれません。
この作品の面白さはドラマの部分はもちろんのこと、
レギュラー陣のキャラが、みんな個性的で魅力的なことが見どころのひとつであるし、
テレビシリーズの回を追うごとに増える伏線で楽しんだり出来るのです。
劇場版を観る前に、テレビシリーズを第1回から順にスペシャル版まで全て観ることをお勧めしますが、
テレビシリーズを観ていない人にでも、もちろん楽しめる作り方になっています。
私自身はテレビシリーズからの伏線でもって楽しんだ作品なので、
これを独立した“1本の映画”として評価することは無理です。
“テレビシリーズの1エピソード”としての評価はもちろんレベル5です。
生きない
1997年12月30日、那覇空港から“沖縄初日の出ツアー”と銘打った
2泊3日のバスツアーが出発しようとしていた。
それは、多額の借金を抱えた参加者を募った、保険金目当ての集団自殺ツアーであり、
バスの運転手とバスガイド、そして添乗員の新垣(ダンカン)と10人の乗客を乗せて、
バスは予定の場所で崖から転落する計画だった。
しかし出発直前に、美つき(大河内奈々子)という少女が、
ツアーに参加するはずだった叔父の代理でバスに乗り込んでくる。
“自殺ツアー”のことは何も知らない少女を乗せたからといって、バスはもう後戻り出来ない。
かと言って、彼女を途中で降ろすということは、ツアーの企みがバレるという危険性がある。
口封じのためにも、美つきに自分たちと一緒に死んでもらうしかないと考えた新垣は、
他の乗客たちに、くれぐれも彼女にこのツアーのことを知られないようにして欲しいと釘を刺すが、
彼女の存在は乗客たちに思わぬ波紋を投げかける。
ロカルノ国際映画祭で、キュメニカル(全キリスト協会)賞を受賞。
この“キュメニカル賞”とは、
“キリスト教の教義に適合する人間の行動を描写すること、
あるいは、観客に宗教的、人道的、社会的な価値を認識させることに成功し、
かつ純粋に芸術的な才能を示した監督に与えられる”
という賞だそうです。
この受賞のもようでは、脚本を手がけていたダンカンが大きく取り上げられていましたが、
この説明を読むと、どうやら監督である清水浩氏が貰った賞のようです。
私はこの賞を、ダンカンが脚本の部門で受賞したと勘違いしていたので、
この作品の中で出てくる“しりとり”や“ものまね”を、
外国人の審査員たちがどう理解し評価したのかがとても不思議だったのですが、
賞の意味を知って納得したと同時に、今度はこの“死”をお遊びにしたブラックコメディが、
そんな権威のある賞を受賞したことが不思議に思えてしまいました。
もともとこの作品はダンカンのオリジナルではなく、
中原文夫という人の『不定期バスの客』という小説が元になっています。
作品を観終わり、エンドロールでこの『不定期バスの客』という文字を見て初めて気づいたのですが、
この話は、以前にフジテレビの『世にも奇妙な物語』でSMAPの中居正広主演でドラマ化されたものを
私自身が観たことがありました。
考えてみれば、主人公の視点が違うことや大まかな設定が違うほかは、
オチまで全く同じ話なのに、観終わるまではそのことに全く気づかなかったので、
それはダンカンの脚色の上手さなのかもしれません。(あるいは単に私がヌケているのか・・・・)
監督の清水浩氏は、北野武の助監督をしていた方で、撮影方法は北野監督の手法に良く似ていましたが、
ブラックのユーモアが中途半端になっているような気がして、あまり笑えませんでした。
これを北野武が撮れば、もう少し笑える作品になったのかもしれません。
『生きない』というタイトルは、黒澤明監督の『生きる』をパロってつけたそうですが、
このユーモアのセンスは好きなので、本編で笑えなかったのが残念でした。
大河内奈々子はすごく可愛いのだけど、しゃべり方がカン高くてうるさいのが気になりました。
後半でひとりの乗客が発作を起こし・・・というシーンこそが“キュメニカル賞”に匹敵するのだと思いますが、
ストーリー的には一番面白く感じられない部分でした。
“**紙が絶賛”などという客寄せのための誉め言葉では端っから信用はしていませんが、
この作品のように、外国の映画祭に出品して賞を取ると、必要以上に期待してしまうんですよね。
レベル3
犬、走る/DOG RACE
新宿警察署生活安全課の刑事・中山(岸谷五朗)は、まる2日間眠らずに事件を追いかけ、
かなりハイになっていた。
ひと仕事を終え、恋人の上海美女の桃花(冨樫真)と楽しんでいるところに、
韓国人情報屋・秀吉(大杉漣)がやってくる。
中山は秀吉と繋がり、現在新宿で売り出し中の愛虎組に情報を流して金を貰いながら
犯罪を追い続けるという、破天荒な刑事だった。
桃花はそんな中山に隠れ、秀吉と弟の健祐たちとで
チェンマネ、闇送金、売春、密入国、裏バカラ屋と荒稼ぎをしている
上海流氓(リューマン)の女ボスでもある。
中山と秀吉と桃花の3人は、何故かつるみ、新宿・歌舞伎町で己の欲望のままに生きていた。
しかしある時、秀吉が自分の家に帰ると、桃花が自分のベッドで死んでいた。
駆けつけた中山と秀吉は桃花の死体を担ぎ、原因究明のために新宿の街を彷徨する。
故・松田優作が主演するはずだった幻の映画『ドッグ・レース』の脚本を現代ふうに書き直し、
崔洋一監督が、崔作品の常連・岸谷五朗を主役に撮った作品です。
数年前、豊川悦司にもこの作品のオファーがあったということを聞いたことがありますが、
この脚本なら、岸谷五朗が主役で正解でしょう。
この作品を観ながら、新宿・歌舞伎町を舞台に在日外国人の抗争を描いた作品『不夜城』や、
走ってる映画『アンラッキー・モンキー』を思い出しましたが、
『犬、走る』は、この二作よりは数段面白く思いました。
岸谷五朗演じる中山の破天荒な刑事ぶりや、秀吉との妙な友情が見どころなのですが、
彼の相棒役の真面目な刑事・佐久間(香川照之)が、彼に影響されてキレて行くのがやけに可笑く、
この作品の面白さは、そのキャラの描き方にあると思います。
ただ『L.A.コンフィデンシャル』級の複雑な人間関係が、この作品の難点。
相対関係をある程度把握しておかないと、物語に置いていかれてしまいます。(実際、置いていかれました)
物語が始まった時点で中山は2日間眠っておらず、その後も不眠で走り回るというのが、
ラストシーンにおける、この作品の重要なポイントとなっているのですが、
時間的な経過が分かりにくい、というのにも少し不満がありました。
セリフによってそのあたりをもう少しはっきりさせて欲しかった気がします。
一通り観たあとで解説を読んで、ようやく納得出来た作品。
もう一度観れば、もっと面白く観られると思います。
レベル4
SF サムライ・フィクション
1696年、長島藩の家老の息子・犬飼平四郎(吹越満)が江戸から国へ戻ったところ、
お家では大騒動が起きていた。
殿様が強さに惚れ込んで刀番として雇った、浪人上がりの風祭蘭之助(布袋寅泰)が、
ひとりのサムライを殺した上、預かった宝刀を奪って姿を消してしまったのだ。
宝刀の盗難がバレると、お家は断絶。
慌てた藩の重役たちは、ニセモノを作って事件のもみ消しを図ろうとする。
しかし藩の軟弱な姿勢にキレた平四郎は、父親の制止も聞かず
幼なじみの黒沢(大沢健)や鈴木(藤井尚之)らと風祭の行方を追った。
やがて風祭を見つけた平四郎たちだったが、彼を斬るつもりが、逆にあっけなくやられてしまう。
通り掛かりの浪人・溝口半兵衛(風間杜夫)に助けられて命を取り留めた平四郎は、
取り逃がした風祭に復讐を誓い、なんとしても宝刀を取り戻そうとする。
ミュージシャンのビデオクリップの演出などを手掛ける中野裕之の初監督映画。
主役に布袋寅泰を起用している他、藤井フミヤ・藤井尚之兄弟など、
おそらく中野監督と一緒に仕事をしたことがあるのであろうミュージシャンたちが俳優として大勢出演していて、
J−POP好きの人なら、それを見ているだけでも楽しめます。
内容は遊び心いっぱい、でも意外と真面目なチャンバラ映画で、布袋寅泰は音楽も担当しています。
新鋭のビデオ出身監督らしく、モノクロの多用やカメラアングルなどは面白いのですが、
カット割りなどでは、どうしても“映画”というよりは“テレビ”を撮っているという感は拭えませんでした。
ストーリーも単純すぎで、もうちょっとヒネって欲しかった気もしますが、
『水戸黄門』が毎回同じ時間に印篭を出すように、変にヒネり過ぎないことが正しいことという、
時代劇の“お約束”にきちんと乗っ取っていることがこの作品の狙いなのかもしれません。
突飛なアイデアだけで売り込んだ作品のような気もしますが、娯楽作としては充分楽しめましたし、
この監督の今後の作品に期待したいと思います。
レベル4
カンゾー先生
昭和20年の岡山。
町医者・赤木風雨(柄本明)は、診た患者全てに“肝臓病”との診断を下すため、
“カンゾー先生”と比喩され、ヤブ医者呼ばわりされていた。
そこへ、ソノ子(麻生久美子)という若い女性が看護婦として来ることになった。
親を亡くした彼女は、幼い弟妹を養うために時々売春まがいのことをしていた。
それは“タダで身体を抱かせるのは生涯ひとりだけ”という、
女郎あがりの母親(清水美砂)の教えに基づくもので、ソノ子自身はその行為を少しも恥じてはいない。
そんなソノ子に困り果てた区長が、赤木に監視役を押し付けたのだった。
赤木はソノ子に自分の医院で働かせる条件として、二度と売春まがいのことをしないよう約束させる。
ソノ子は赤木の医院で働くうち、“ヤブ医者”と呼ばれていた赤木の肝臓病撲滅に対する情熱を知り、
彼の正義感に満ちた生き様に惹かれ、彼を自分の“生涯ただひとりの人”にしようと決心する。
しかし、やがて赤木の肝臓病に対する情熱は執念を超え、狂気へと近づいていった。
『うなぎ』でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した、今村昌平監督の作品。
正直言って、私は『うなぎ』がそれほど面白い作品だとは思えなかったし、
なぜそれがカンヌでウケたのかも分かりませんでした。
『うなぎ』以外の今村作品も観たことがないので、
私は失礼にもこの監督が“巨匠”と呼ばれる由縁が分からなかったのですが、この作品を観て大いに納得しました。
登場人物のひとりひとりがとても個性的で、その個性を存分に生かした展開。
ユーモアのセンスも抜群だし、かなりブラックが入っているのにも関わらず、全然嫌みは感じません。
そして、役者陣がみんな素晴らしい!
主役の柄本明をはじめ、脇を固める役者たちがみんな役にぴったりハマっていて、
この作品が面白くなったのは、その配役の上手さによるものと言っても過言ではないでしょう。
特にヒロイン役の新人・麻生久美子には、気持ちよいほどの潔さから、
その役にかける意気込みが感じられ好感が持てましたし、
彼女が演じた“ソノ子”という女性もまた、羨ましいほど激しくて真っ直ぐな女性でとても魅力的でした。
ストーリーだけを取り上げてみれば割と平凡で、それほどヒネリのあるものではないのですが、
これを“面白い作品”に変えてしまう力こそが、今村監督の才能なのでしょう。
バックに流れる明るいモダンジャズのメロディがとても印象的で、
シーンの盛り上げやテンポの手助けに大いに役立っていますが、
シリアスなシーンに流れるサックスの音だけはやかましすぎる気がしました。
レベル4
激しい季節
ある夜、酔って道路に急に飛び出した英樹(田辺誠一)は、京子(高橋理奈)の運転する車にはねられる。
怪我をした英樹は病室で自分を見舞う京子に接しているうち、彼女の不思議な魅力に惹かれて行く。
しかし英樹には婚約者があり、京子には夫と5才になる息子がいた。
しかも、京子の夫はヤクザ組織・久藤興業のトップで現在服役中あり、間もなく出所して来るのだった。
そんな絶望的な事実を前にしても、英樹は京子への想いを止められなかった。
仕事、婚約者、家族に至る全てを捨て、世の中全てを敵に回しても、英樹は京子への愛を貫こうとする。
京子は女としての自立と5才になる息子との普通の幸せを求め、以前から夫・久藤に離婚を申し込んでいた。
そして、そこに突然現れた英樹の情熱にほだされ、彼と共に生きたいと思うようになる。
しかし、そんな二人を久藤は決して許さなかった。
獄中から組織を操り、二人の周りの人間を傷つけることによって彼らの仲を引き裂こうとするのだった。
それでも二人は、もう後戻りが出来ないほどの“絶対的な愛”によって結ばれていた。
そんな中、久藤の出所の日がやって来る。
普通のサラリーマンがヤクザの姐さんに惚れてしまうという、
ストーリーからして、ちょっと時代錯誤かな?とも思えるような作品で、
いくら若手の人気俳優を使ってても、こんなの今どきの若者には流行らないよなって気がします。
ただ、これをマジにやってしまうだけならとても面白くないと思うのですが、
この作品は演出がめちゃくちゃで、結構笑えました。
冒頭のシーンから凄いです。
英樹は京子の車にはねられ、思いっきり飛ばされてゴロゴロ転がったにも関わらず、
大した怪我もなく、ただ「足が痛い」とうめくだけ。
そんな英樹を見た京子は「どうしよう・・・・」とうろたえながら、
救急車も呼ばずに彼を自分の車に押し込め、病院へと向かうのです。
頭とか打ってたらどうするんでしょうね。
でも心配は御無用。次のシーンでは、足に包帯を巻いただけのとっても元気な英樹の姿が。
「なんだ、骨折だけか」と思いきや、ただのネンザだったようで、
彼は精密検査のために2〜3日の入院を強いられるだけ。
しかも、退院の許可が下りる前に勝手に退院してしまい、走り回ってしまいます。
あれだけ派手にはねられて、ただのネンザだけなんて。
それも1〜2日で完治してしまうなんて、何てすごい強靭な肉体の持ち主なんでしょう。
冒頭から“あっぱれ”って感じで、もうそこから先は監督のやりたい放題。
“激しい恋”が撮りたいのは分かるのですが、設定や展開があまりにも強引で都合が良すぎ。
登場人物たちはそれぞれに自分の行動の理由を言葉で表現しますが、
どれもこれも簡単に納得出来るものではありません。
とにかく、監督大爆走の激しい映画でした。
こんなんが許されてしまうから、日本の映画は進歩しないのではないでしょうか。
レベル1.5