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おもちゃワンダフルライフ39/刑法第三十九条
共犯者鮫肌男と桃尻女完全なる飼育
ニンゲン合格のど自慢リング2京極真珠

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おもちゃ

京都の花街。
西陣で機織りの仕事を営む貧しい家に育った少女・時子(宮本真希)は、
家計を助けるために中学にも行かず、芸者置屋の藤乃家で住み込み奉公している。
寡黙ながらもよく気の回る時子は、やがて自分自身が舞妓となる日を夢見て、
早朝から深夜に至る雑用を、一言の愚痴もこぼさずこなしていった。
藤乃家の先輩芸妓の口喧嘩や掴み合いや、男をめぐる自由奔放な恋の駆け引き、
女将・里江(富司 純子)とパトロン吉川(津川雅彦)の言い争いなどを毎日のように見せつけられながら、
時子はその様々な出来事を冷静に受け止め、女たちが逆境に立ち向かいながら生きていく術を学ぶのだった。
やがて、そんな時子にも舞妓として世に出る日がやってくる。

予告編から受けた印象はあまりよくなかったのですが、たまたま観る機会を与えられたので、
全く期待せずに観に行き、思わぬ拾い物をしたような気持ちになった作品です。
男と女の愛憎や、愚かだったり、したたかだったりする部分を新藤兼人が見事に脚本に描き、
それを名匠・深作欣ニが映画化したものです。
舞妓になるために、芸者の家で住み込みで働いているひとりの少女が、
一人前の舞妓として世に送り出されるまでという説明めいた話を、
周りの芸妓たちなどの性と人間模様を絡めてテンポよく進めていき、退屈させません。
時子があまりにもけなげな良い娘で、観ていて自然に彼女の応援モードに入ってしまい、
監督の戦略にまんまとハマった形となったのだと思います。
時子役の新人・宮本真希は、セリフ回しなどには多少拙さを感じましたが、
真っ直ぐな“瞳”が印象的で、純な少女役にふさわしく、とてもいい演技をしています。
彼女の周りも個性的な魅力を持った人たちばかりで、それを演じる役者たちがみな、
それぞれにとてもいい味を出していました。
藤乃家の女将・里江役の富司純子は、凛とした女の強さを貫禄充分に演じ、
芸妓3人組みの南果歩、喜多嶋舞、魏涼子はそれぞれに個性の強い女を気持ちよく演じていて、
それがこの作品の魅力を倍増させていましたし、
それ以外にも、ほんの脇役に至るまで、配役には手抜きが感じられませんでした。
無知な私は“舞妓さん”というものが、どんな道を通っていかなければならないのか知らず、
この作品によってその裏事情を知り、驚きと同時に悲しくなってしまいました。
“舞妓になること”というのは、普通の女として生きるということを捨てること。
ひとりの女としては、それはとてもつらく悲しいことなのに、
それを「ありがとうございます」と受け、みんなに「おめでとう」と言われる・・・・。
皆がそれを明るく騒ぎ立てるほど私は悲しくなってしまい、涙が止まらなくなってしまいました。

しかし、時子が無事、舞妓として送り出されたところで感動のエンディング・・・と思いきや、
そこで新たなフィルムに切り替わってしまいました。
そこからフィルム1巻分、観たくないシーンを見せられ、ガックリ。
“舞妓の説明”としては必要だったのかもしれませんが、ラスト15分は文芸としても芸術としても、
全く必要のないシーンだったと思います。
取って付けたような説明臭いシーンで、それが作品のレベルを著しく下げてしまっていたのが
非常に残念でした。
最後の15分を観なかったことにすれば、
レベル4

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ワンダフルライフ

とある古い建物の中に、22人の人々が入っていく。
そこは、亡くなった人たちが天国に行くまでの7日間を過ごす施設だった。
死者たちは、そこで生前の思い出から大切なものをひとつだけ選ぶ。
選ばれた思い出は職員の手で映画として撮影され、最後の日に上映会を行う。
そして、死者は他の思い出全てを捨て、その思い出だけを胸に天国へと旅立つというのだ。
職員の望月(ARATA)、川嶋(寺島進)、杉江(内藤剛志)、しおり(小田エリカ)たちは、
死者からの思い出を聞き出し、撮影の準備を進める。
しかし、中には思い出を選べない者、思い出を選ぼうとしない者が出てくる。

『セントラル・ステーション』の中に、代筆屋であるドーラを前に
一般の人が自分の家族や恋人への想いを語る、というドキュメンタリー調のシーンがありました。
そして、この『ワンダフルライフ』でも、同じように一般の人が、
カメラの前で自分の人生の思い出話を熱心に語るドキュメンタリー調のシーンが多分にあります。
しかし、このシーンが長い長い・・・・。
本筋とはあまり関係ない人々の思い出話を延々と聞かされ、思いきり退屈を感じてしまいました。
せっかく出演してもらった人たちの話を、フィルムにちゃんと残してあげたいという監督の気持ちなのでしょうか。
ひとりひとりの話がとにかく無意味に長く、観ている側はちっとも進まないストーリーに
イライラさせられっぱなし。
あれらのシーンをあと15分削ってあったら、もっと締まった作品になったのに。
監督の自己満足も、観客を退屈させるレベルになってしまったらダメだと思うのです。
ストーリー自体は嫌いではありません。
死後の世界を描いた映画では、先日『奇蹟の輝き』を観たばかり。
こちらは、その世界観に“決めつけ”や“押しつけ”が感じられ、あまり好きではありませんでしたが、
この『ワンダフルライフ』の方は、完全に監督の作り出した“おとぎばなし”として楽しむことが出来ました。
“人生の中で最も思い出に残るシーン”を映画として撮影する、という発想は、
監督が監督である前に、ひとりの映画好きの人間であるというところから生まれているような気がします。
印象的だったのは、職員・しおりが、やりきれない嫉妬の気持ちで雪を蹴散らすシーン。
このシーンは、切なく心に痛みを感じました。
ストーリー的に不満だったのは、今まで思い出を選ぶことが出来なかった職員・望月の、
その明確な理由が分からなかったこと。
ラストの彼の選択がなかなか面白かっただけに、その部分が残念に感じました。
ドキュメンタリー部分に退屈を感じたために評価は低いですが、
そのシーンをもう少し削れば、もっと評価は上がる作品です。
レベル2.5

「あなたはお亡くなりになりました。あなたの人生の中から大切な思い出をひとつだけ選んで下さい」
という予告編のクレジットがとても印象的でした。
丁度それを観た時、私は身近な人の死に触れたばかりで、
その文字を見ながら、私は彼女のことを考えていました。
私が知っているのは、彼女の人生のほんの一部に過ぎません。
最後の数年は決して幸せではなかったけれど、私は彼女が幸せだった時も知っています。
でも、私が知らないもっともっと幸せな時もきっとあったに違いありません。
彼女は、その長い長い人生の中で、いったいどの瞬間を選んだのでしょうか。

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39/刑法第三十九条

猟奇的な夫婦殺害事件が起こった。
捜査にあたった警視庁捜査一課の刑事・名越(岸部一徳)は、現場に残された証拠品から、
劇団員の柴田真樹(堤真一)を犯人と断定し、公演中の柴田を舞台の上で逮捕した。
取り調べで室で柴田は殺害そのものは大方認めたものの、殺意を否定。
殺害当時の記憶がなかったことを主張した。
やがて裁判が始まり、裁判長が柴田に罪状認否を問いかけた途端、彼は態度を一変させ、
人格が変わったように狂暴な顔つきになる。
それに気づいた柴田の国選弁護人に指名された長村(樹木希林)は、柴田の司法精神鑑定を請求した。
柴田の精神鑑定をとりおこなった大学教授・藤代(杉浦直樹)は、彼が二重人格者であると主張するが、
その鑑定に疑問を感じた藤代の助手・小川香深(鈴木京香)は、検事に直訴し、再鑑定の鑑定人として動きだす。

刑法第三十九条とは・・・
心身喪失者の行為はこれを罰せず、心身耗弱者の行為はその刑を減刑する、というもの。
つまり、たとえ殺人を犯したとしても、精神に異常が見られる場合は全く罪に問われないとか、
非常に軽い刑で済んだりすることなのです。
この作品は、残虐な殺人を犯した男が二重人格の疑いがあり、それを罪に問うかどうかの裁判を背景に、
ヒロインの精神鑑定人が男の正体を暴いていく物語です。
この非常に興味深いテーマを『(ハル)』『失楽園』の森田芳光が監督しました。
こういう作品は、監督の演出力はもちろんのこと、役者の演技力が作品の出来を大きく左右すると思うのですが、
さすがに堤真一は上手く、彼が演じた二重人格者は、観る者に大変な心理的圧迫感を与えることに成功しました。
この作品に出てくる重要な人物たちが、みんなどこか屈折していたり、普通の精神状態でないことも、
妙な緊迫感や緊張感を増幅させます。
殺人の発覚からエンディングに至るストーリーの流れを含め、ミステリーとしての出来もなかなか。
日本映画の法廷ものの秀作です。
レベル4

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共犯者

ブラジルへの移送を偽装し、服役していた刑務所から脱出したブラジリアンマフィア・カルロス(竹中直人)は、
服役前に戦っていた日本のヤクザ組織との決着をつけようとしていた。
カルロスは偶然立ち寄った蕎麦屋で、夫の暴力に怯える店員・聡美(小泉今日子)と出会う。
店にまで押しかけて暴力を振るう夫から自分を救ってくれたカルロスに心を惹かれた聡美は、
彼のあとを追いかけ、彼に協力する決意をする。
一方、カルロスが刑務所から出たということを知ったヤクザ組織は、
彼を倒すべく超一流の殺し屋(内田裕也&大沢樹生)を呼び寄せる。

『BE-BOP-HIGHSCHOOL』の原作者・きうちかずひろが監督した、バイオレンスムービー。
『鮫肌と桃尻女』は映画を“漫画”にして見事に成功しましたが、
この『共犯者』は映画を“劇画”にしようとして、見事に失敗してしまった作品です。
主役の竹中直人が“ブラジリアンマフィアのボス”で、名前が“カルロス”といういうだけでも
かなり胡散臭さは感じましたが、彼がシブさを強調しながら広島弁を喋っているのは失笑ものでした。
そして、カルロスに絡んで来る聡子は、夫の暴力に日々耐えているという、絵に描いたような不幸な女。
理由不明のまま、勤め先の蕎麦屋に怒鳴りこんできて、いきなり暴力を振るい出す聡子の夫。
たまたまその蕎麦屋に居合わせたカルロスは、その夫を一発でやっつけ、
聡子はそんな通りすがりのカルロスに感激し、裸足のままどこまでも彼を追い掛けていく・・・・・。
ストーリーの導入部は『鮫肌』にも似ている気がしますが、
それを劇画調に大マジメにやられては、とてもついていけません。
そして、途中から登場する“殺し屋”内田裕也には絶句です。
名前も国籍もない男という設定ですが、ちゃんと入国審査を通ってきたらしく、成田空港から登場。
どうやって持ち込んだか、身体にしっかり銃も携帯していました。
彼の“イッちゃってる、なりきりスタイル”だけでも充分に呆れましたが、
中途半端な棒読み英語をまじえた臭いセリフには、脱力感の極限まで達してしまいました。
演出のヘボさとキャスティングのミスマッチが、致命傷となった作品でした。
『鮫肌』の監督が、『鮫肌』のキャスティングで撮っていたら、
きっともっと面白い作品になっていたと思うのに。
本業が漫画家の監督が“趣味”で作った作品らしいですが、その監督がひとりで酔いしれていて、
キャストも観客も置いていかれているような気がしました。
レベル1

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鮫肌男と桃尻女

叔父ソネザキ(島田洋八)の経営する森の中のプチホテルに勤めるトシコ(小日向しえ)は、
彼の傲慢なやり方に絶望し、いつもそこから抜け出したいと考えていた。
そしてある日、彼女はついにホテルから脱出ことを決意する。
いつものように郵便局に行く振りをしてそのまま逃げてしまおうと、車を走らせていたところ、
森の獣道からパンツ一枚で男(浅野忠信)が飛び出して来た。
その男に気を取られた瞬間、トシコの車は男を追ってきた車と衝突してしまう。
逃げてきた男はサメハダと言い、自分が所属していた暴力団の金1億円を持ち逃げしたために、
組の連中に追いかけられていたのだった。
サメハダは気を失ったトシコを乗せたまま、トシコの車を走らせて彼らから逃げた。
一方、トシコを携帯電話で呼び出したソネザキは、その電話にサメハダが出たことで
彼女が男と一緒にいることを知ってひどく嫉妬し、
殺し屋・山田(我修院達也=若人あきら)に男の抹殺を依頼する。

コミックの映画化ですが、この映画もまさに漫画。
アクの強い俳優たちが続々と登場し、強烈なキャラクターを嬉々として演じています。
特にあの“海釣り失踪事件”からトンと姿を見せなくなっていたコメディアン若人あきらが演じる
殺し屋・山田のキャラクターは凄すぎ。
オハコの郷ひろみのモノマネも、もちろん忘れてはいません。
単発ギャグの連続ですし、ストーリーにもヒネリがあるわけではありませんが、
徹底的に“漫画であること”を追求した作りが気持ちが良いです。
キャラクターの面白さとセリフの面白さ、そして映像と音楽のカッコ良さが見事にマッチした作品でした。
主役であるはずの“サメハダ”こと浅野忠信は、
周りの個性的なキャラクターに比べると幾分地味めに見えてしまいますが、
それでもその存在感で、自分の位置はちゃんとキープしています。
上手い役者たちが揃い、その持ち味を最大限に引き出した作品なので、
トシコ役の小日向しえの“棒読みセリフ”だけが、やけに鼻についてしまうのが少し残念でした。
レベル4

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完全なる飼育

ランニングの途中の女子高生・邦子(小島聖)が、待ち伏せていた男に拉致された。
邦子が気づくと、そこはオンボロアパートの一室だった。
毛布の下は全裸。手には手錠を掛けられ、足首は紐で縛られている。
そして、目の前にはひとりの中年の男(竹中直人)がいた。
岩園貞義と名乗ったその男は、“完全な愛”を求めて邦子を誘拐したと言う。
彼の願望である“心と身体が結ばれた完全なセックス”のために、彼女を監禁して“飼育”すると言うのだ。
邦子は激しく抵抗するが、身動きの取れない状態でなすすべもなく、
その日から邦子と岩園との生活が始まるのだった。

プロットの面白さに惹かれて観に行ったのですが、出来はイマイチ。
観ている時はそれほど感じなかった疑問が、観終わったあとにボロボロと出てきました。
1番の問題点は、小島聖に初々しさがないということでしょう。
かなりハードなセックスシーンがあるので、現役高校生を使うのは無理だとしても、
撮影当時22歳の彼女は、どうしてもバージンの高校生には見えません。
最初のシーンに黒ぶち眼鏡にさつま芋色のジャージ姿で登場させ、
イモっぽさをアピールしたところで、それは初々しさとは違います。
それに、18歳のバージンの少女が得体の知れない変態男に対して吐いた
「やるならさっさとやって、私を返してよ!」という言葉は、
女の私からは到底考えられないものです。
彼女の気の強さを表したセリフのつもりなのでしょうが、
彼女の立場なら、たとえ何日監禁されたとしても、
変態男には指1本触れて欲しくないと思うのが普通でしょう。
監督・脚本とも男性が担当しているだけあり、そういう女ごころには気付かないのでしょうね。
それでも、前半は岩園と邦子の“駆け引き”がストーリーを引っ張って緊張感もあり、
それほど退屈はしなかったのですが、後半が全くダメでした。
このストーリーで一番重要だと思われる邦子の心境の変化の表現や、
彼女が少女から大人の女に変貌していく様はおざなりになっていて、
その代わりにまるで安っぽいHビデオのようなセックスシーンを延々と見せられ、ゲンナリ。
挙げ句に、意外性もなにもないオチで簡単に片づけられ、気が抜けてしまいました。
原作は実際にあった事件を取材した『女子高校生誘拐飼育事件』というノベライズ。
それを新藤兼人が脚本化、和田勉が監督をした作品です。
原作がどの程度のものかは分かりませんが、せっかくこんなに面白いプロットなのに、
男性たちの女性に対する“欲望”だけで構成されてしまった、
ただのエロ映画になってしまったのが残念でした。
レベル2.5

隣の部屋の大学生だけは面白かったけどね。

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ニンゲン合格

病室のベッドの中で豊(西島秀俊) は目覚めた。
彼は14歳の時に交通事故に遭い、10年のあいだ昏睡状態のまま眠り続けていたのだった。
10年という歳月は世の中だけでなく、彼の家族をも変えていた。
両親は既に離婚、父親は宗教活動に興じ、母親は誰かと一緒に新しい生活を始め、妹はアメリカへと旅立っていた。
豊の退院する日、家族は彼を出迎えず、代わりに彼を迎えに来たのは藤森(役所広司)という風変わりな中年の男だった。
父親の友人である藤森は、数年前から誰も居なくなった豊の家に住み着き、
敷地の一角で釣り堀を営むかたわら、廃材処理業をしたりと気ままな日々を送っていた。
豊はかつてポニー牧場であった自宅の敷地が、今は荒れ果てた姿をさらしているのを見て呆然とする。
そんなある日、一頭の馬が敷地に迷い込み、豊はその馬の手綱を杭につないで世話を始めた。
そしてそれをきっかけに、豊の心に牧場を再建したいという思いが芽生え始める。

『CURE』の黒沢清監督の作品。
私は公開当時から『CURE』は観たかった作品なのですが、いまだに観ることが出来ていないので、
この監督の作品を観るのはこの『ニンゲン合格』が初めてです。
『CURE』の評価がかなり高かったので、相当期待して観たのですが、正直な感想は「まあまあ」といった程度。
10歳の時に事故に遭ったまま、空白の十年間を昏睡状態で過ごし、24歳になって意識を取り戻した青年のお話。
体は24歳なのに14歳の少年の心を持つ男性のお話なのに、私はそのギャップが今ひとつ読み切れませんでした。
24歳らしからず、ダダをこねるシーンなどもありますが、遠景撮影だったためか説得力に欠けていた気もするし、
中学時代の悪ガキ仲間とイタズラを仕掛けるシーンなども、それほど24歳という年齢に違和感を感じませんでした。
10年経てば彼の家族だけではなく、周りの色んなことも変化しているはず。
そのギャップに、浦島太郎状態となっている彼自身がもっと驚いて欲しかったし、
突然24歳という社会的責任を持った年齢なってしまった事実に悩んで欲しかった気がします。
でも、失ったものを取り戻そうとする主人公の気持ちの描写は良かったと思います。
そして交通事故の被害者だけでなく、事故を起こした加害者も色んなものを失うという現実や
一度壊れたものは、二度と元には戻らないという現実の残酷さは心に迫るものがありました。
レベル3

一番印象に残ったのは、テレビに写った父親の姿を見ながら、彼が宗教について語り始めたとたんに
テレビの音声を消したという妹の行動でした。

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のど自慢

群馬県桐生市。
あの“のど自慢”がやって来るということで、町の人々は浮き足立っていた。
4000通もの応募者の中で、土曜日の予選会に出場出来るハガキを受け取ったのは250組。
その予選会で日曜日の本番に出場出来る20組が選ばれるのだ。
4人の子供を抱えて失業してしまった荒木圭介(大友康平)は、
新しく就職を希望している焼き鳥屋のチェーン店の試験に向けて、焼き鳥を焼く特訓中。
しかし、彼が楽しみにしていた“のど自慢”の予選の日と試験の日が重なってしまう。
一方、持ち歌“おしどり涙”のキャンペーンのために故郷の桐生市にやって来た、
さっぱり売れない演歌歌手・赤木麗子(室井滋)は、
地元ですらCDがほとんど売れず自信喪失に陥っていた。
そんな時、彼女はこの町に“のど自慢”がやって来ることを知り、
偶然手に入れた出場ハガキで、他人の名前を借りてエントリーする。
もし予選が通らなかったら、もし本番で合格の鐘が鳴らなかったら、
麗子は歌手を辞めることを決意していたのだった。
しかし予選の日、地元の女子高生・里香(伊藤歩)にプロの歌手であることを見破られてしまう。

日曜日のお昼にテレビでやっている、誰もが知っている“のど自慢”を舞台に、
そこに出場した人々の、それぞれの生活や人間模様を描いた作品。
作風は『Shall we ダンス?』に似ていますが、外国でもウケた『Shall we ダンス?』とは違い、
“のど自慢”という、日本人にしか理解出来ない文化を描いているのが特徴でしょう。
昔の“のど自慢”の本物の司会者、金子辰夫さんを番組の司会者として出演させ、
セットも本物に酷似、ゲストも本物の坂本冬美と大川栄策を出演させるという徹底ぶりで、
どこから見てもNHKの“のど自慢”なのに、作品の中には“NHK”という文字は一切出て来ません。
協賛にも協力にもNHKは名前を連ねていないので、ある意味では“パロディ”とも受け取れるでしょう。
ひとつの出来事にまつわる色んな人々の、それぞれの生活や思いを代わる代わる見せるというのは、
『ディープ・インパクト』で使われている手法です。
この手法の一番の問題は、主役が次々と交代してしまうため感情移入が難しいということですが、
この『のど自慢』では、そこを見事にクリアしていました。
出てくるキャラクターが全て愛くるしく、その生活や気持ちの見せ方が非常に上手いのです。
色んな人が色んな思いを持って“のど自慢”に出場し、その思いを歌に込めて唄う・・・。
私はどのキャラにも自然に感情移入し、彼らを応援し、気づくと泣いていました。
そんな主役たちの脇で頑張っている変な人たちが、いい味付けをしています。
『あずさ二号』を上手くハモれない工事現場の二人組みや、カラオケ搭載のタクシーで歌いまくる運転手、
『サン・トワ・マミー』を熱唱する銀行員などなど。
室井滋や伊藤歩などの女優たちに歌わせて、昔本当に歌っていた尾藤イサオやリリィなどを
歌わない脇役で出演させているというキャスティングも面白いし、
現役の本物ロッカー、ハウンドドッグの大友康平が我がもの顔で尾崎紀世彦を歌っているのも面白いです。
特に大友康平は、コミカルな役にぴったりハマっていて驚きました。
とにかく笑えて泣ける作品で、観終わった時にハッピーな気持ちになれました。
オススメです。
レベル4

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リング2

浅川玲子(松嶋菜々子)と息子の陽一(大高力也)が失踪してから一週間、
玲子の職場に、高野舞(中谷美紀)が彼女を訪ねてやって来た。
舞から話を聞き、玲子が追っていたビデオテープにまつわる事件が
彼女の失踪に関係あると考えた同僚の岡崎(柳ユーレイ)は、
玲子のあとを引き継ぎ、独自で取材を始める。
そんな時、玲子の父親が自宅から遺体で発見された。
その死因に不信を抱いた刑事・大牟田(石丸謙二郎)は、
彼の死を、同じ死に方をした高山竜司(真田広之)と玲子の失踪を関連付けて考え、捜査を開始する。
一方、玲子の姪が亡くなった時に一緒に居た友人・雅美(佐藤仁美)が入院している病院を訪ねた舞は、
そこでビデオテープに込められた怨念の存在に気づき、岡崎に取材を中止するように忠告した。
しかし、岡崎は取材で出会った女子高生・香苗(深田恭子)からそのビデオテープを手に入れてしまう。

『リング』の続編として同時上映された『らせん』では、『リング』のラストで出たひとつの結論を全く覆され、
“怨念”という目に見えない恐怖が、いつの間にやら“DNA”という科学的なものに摩り替えられてしまったことに
とっても不満を持った私でした。
しかし、この『リング2』は『らせん』を全く無視し、改めて『リング』の続編として作られたものです。
つまり、『らせん』は無かったものとして語られているのです。
この作品の恐怖の対象は、やはり“貞子の怨念”。
やっぱりホラーはこうでなければいけません。
前回『リング』を監督した中田秀夫氏が監督を勤めているだけあり、
『リング』の出来を損なうことない作りとなっていて、続編としての出来は上々です。
しかし、続編はやはり続編。
前作よりも怖くはないですし、前作を上回るレベルではありません。
前作では恐怖の対象が“得体の知れないもの”だったのに対し、
今回はそれが何かという謎解きがされた上で、恐怖の対象に立ち向かっていく主人公を描いているため、
観ている側の“恐怖感”は薄れてしまっているからだと思います。
『らせん』の評判があまりにも悪かったため、それを挽回するためにとりあえずは作ってみた作品といった感じで、
実際のところ、あえて作る必要があるものとは思えませんでした。
やっぱり『リング』は『リング』で完結してもらい、その後の成り行きは観た人の想像に任せてもらえれば、
いちばん良かったような気がします。
それにしても、この映画で印象的だったのは、アイドル系で売り出し中の深田恭子ちゃんでしょう。
以前『エコエコアザラク』という作品で、デビュー当時でアイドルとして売り出し中の菅野美穂が
とんでもない役で出演していたのを観てびっくりしたことがあるのですが、
この映画での深田恭子も見事にやってくれています。
彼女はただのアイドルじゃないなと思い、ちょっと嬉しくなってしまいました。
中谷美紀は『BeLRiN』での演技くらいしか知らなかったのですが、上手かったです。
何と言っても、この映画で一番ゾッとさせられたのは彼女の一言のセリフでしたから。
今後が期待出来る女優さんです。
レベル3

わずか1週間余りで、陽一くんがずいぶん大きくなっていた(苦笑)。

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京極真珠

千年京都。祇園の一隅。
時の流れに取り残されたような廃ビルの一室にひっそりと暮らす鏡子と珠子。
互いの手首を紐で結びあって眠る二人は言葉を交わすこともなく、ただ何度も唇を重ね合う。
殺風景な部屋の中心では鍋の中にぐつぐつと鳥ガラが煮立っている。
ビルと繁華街を隔てる鴨川。
川に架かる四条大橋では千年の昔からそこに立っていたかのように 坊主が経を唱えつづける。
その日、珠子は鍋の材料を手に入れるために橋を越えて街へと向かっていた。
珠子の首にかかる丸鏡が反射し、その光が坊主を射した瞬間、
古都の一隅で永い年月、闇に封じ込められていた物が秘かに解き放たれた。
街を行く珠子の前に現れては消えてゆく招かざる隣人たち。
珠子が部屋に戻ると、そこに鏡子の姿はなかった。
鏡子を探して街を彷徨う珠子の前に再び現れる坊主。
珠子は坊主に誘われるまま、街中にぽっかりと現れた迷宮に舞い込み、
甘美な陶酔の中に飲み込まれてゆく。

例えばギャスパー・ノエの『カルネ』や、岩井俊二の『undo』と同じジャンルに属する、
恋愛をテーマにした難解なカルト映画、とでも言うのでしょうか。
こういう作品は、全て監督の頭の中のイメージで作られていて、
観る側はそれを自由に解釈すればいいのだと思うのですが、
いずれにしても、1度観ただけで簡単に理解出来るものではないでしょう。
要するに、その作品を好きになるかどうかということは、
その作品を何度も観たい気持ちになるかどうかということなのです。
私は『カルネ』を観た時は、もう二度と観たくないと思いましたし、
『undo』は3回観てようやく作品を理解することが出来、4回目に観た時に泣きました。
この『京極真珠』もまた、1度観ただけではとても語れるものではありません。
ただ、私の解釈は1000年も生きられる運命を持った女性が、
愛した人のために、その運命を投げ出してしまう物語かなぁ・・・・と。
坊主が言った“京極真珠”という女の人は、実は珠子自身で、
彼女は、鏡子にも自分と同じ運命に導こうと“真珠丸”を与え続けていたのではないでしょうか。
しかし逆に、珠子は1000年生きられる運命に疲れていたようにも思えました。
だから、時々見る“死”への幻影に支配されかけていたのではないか・・・と。
だって、私だったら1000年も生きたくないし、逆にその運命を恨むでしょうから。
でもあくまでも、これは私の解釈であって、もっと別の受け取り方もあると思いますし、
監督は別の解釈で作っていらっしゃったのかもしれません。
何度も観たら、どんどん彼女の気持ちに近づけるようになり、
もっと深くこの作品を理解出来るようになるのだと思います。
・・・・という理由で
レベル設定無期保留

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