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永遠と一日 /
バンディッツ
ガールズ・ナイト /
レッサー・エヴィル /
至上の恋/Queen Victoria
ライフ・イズ・ビューティフル /
自由な女神たち /
隣人は静かに笑う
ぼくらはいつも恋してる!/金枝玉葉2 /
セントラル・ステーション
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永遠と一日
不治の病で、入院を明日に控えた詩人アレクサンドレ(ブルーノ・ガンツ)。
彼はそんな人生最後の一日に、町でアルバニア難民の少年と出会う。
アレクサンドレは、少年を国境に送り返そうとするが、少年は彼から離れようとしなかった。
アレクサンドレは少年を道連れに、ひとときの幻想の旅へと身を委ねる。
98年のカンヌ映画祭パルムドール受賞作品。
しかし・・・・・私には分かりませんでした。
詩人が語る詩と幻想の世界。難しすぎます。
何が良くて、何が悪いのか、全く分かりません。
とにかく観てる途中で席を立って帰りたいという衝動に駆られっぱなしでした。
芸術性が高い作品が評価されるカンヌ映画祭で1番を取った作品なので、
それなりの作品だとは思います。
確かに、詩的で芸術的な作品でした。
ただ、私はそれを評価する目を持っていなかったのだと思います。
体調不良で、眠かったのが原因だったのかもしれません。
でも私は貴重な時間を返して欲しい気持ちで一杯なので・・・・・
レベル1.5
分からないものは、たとえ誰からどんなに良いと言われても分からない。
バンディッツ
音楽好きの女囚、ルナ、エンジェル、エマ、マリーの4人は、刑務所内でバンドを結成した。
ルナは強盗、エンジェルは結婚詐欺、エマは以前所属していたバンドの男性メンバーを殺し、
マリーは夫殺しの罪で、それぞれ服役中だった。
バンド名は“バンディッツ”。“悪党”という意味を持つ。
彼女たちは警察のパーティでのライブ・ステージを努めることになるが、
きっかけを見つけた彼女たちは、その場の勢いで脱走する。
捜査官・シュワルツは彼女たちを追いかけるが、彼女たちは上手くその追手をすり抜けながら、
ライヴハウスで人気バンドにのし上がり、CDデビューまでも果たしてしまう。
多額の金と名声を手に入れたバンディッツ。
しかし、彼女たちには“自由”は無かった。
警察からの逃亡を続けながらも、とうとう追い詰められてしまう。
とてもよく出来た、ミュージックビデオという印象。
“ドイツ映画”と聞いた印象からはとても想像出来ないくらい、斬新な映像に驚きました。
特にタイトルロールなんて鳥肌もんのカッコよさですし、テンポもいいし、音楽もいい。
もし、これが実在する『バンディッツ』というバンドの2時間もののストーリー仕立ての
イメージビデオ(スパイスガールズの『スパイス・ザ・ムービー』のように・・・・観てないけど)だとすれば、
私はとても高い評価をしたと思います。
でも、ストーリーものの映画という視点で観ると、少々短絡的なところが気になりました。
刑務所から脱走した女性4人組みが、警察の追手から逃れながら、
一躍人気バンドとなってしまうという流れは面白いと思うのですが、
“映像で見せる”ことに比重を置きすぎているために、ストーリー的にあまりにも強引、極端な部分があって、
その感覚についていけないところがあるのです。
メンバー内のもめごとや、ひとりひとりの心の内を描いた部分もあるのですが、
カッコ良すぎる映像の向こうに自分自身が入っていくことが出来ないため、誰にも感情移入出来ないのです。
ただ、4人のメンバーそれぞれが背負っている過去や、過去に犯した犯罪から見える彼女たちの本質に、
ストーリーに絡ませる辺りは、なかなか良く出来ていたと思います。
ミュージックビデオを観る感覚で、サラリと観ることが出来れば、また印象も変わってくることでしょう。
観て、聴いて、感じる作品だと思います。
レベル3.5
ガールズ・ナイト
イギリスの小さな田舎町。
ジャッキー(ジュリー・ウォルターズ)とドーン(ブレンダ・ブレッシン)は
同じ工場で肩を並べて働く40年来の親友同士。
平凡で退屈な生活を送る彼女たちの唯一の楽しみは、毎週金曜の夜、
公営ギャンブル場で開かれるビンゴ大会“ガールズ・ナイト”に通うことだった。
「もしも大金を当てたら・・・」という夢を抱きながらビンゴゲームに勤しむ彼女たち。
そんな時、ドーンが10万ポンド(約2,300万円)の大金を引き当てた。
しかし、そんな喜びもつかの間、数日後ドーンは脳腫瘍で余命幾ばくもないことを宣告される。
ドーンは延命治療を拒否し、家族に病名も打ち明けず病院を退院するが、
ジャッキーは彼女の異変を見逃さなかった。
ドーンの余命を知ったジャッキーは、彼女の「ラスベガスへ行きたい」という夢を叶えるため、
彼女をラスベガスへ旅行へ連れ出す。
自分の死期を知りながら、それに屈せず、精一杯生きていこうとする人の姿を描いた作品は
最近では『マイ・フレンド・メモリー』が記憶に新しいところ。
“難病もの”は基本的に苦手な私ですが、『マイ・フレンド・メモリー』はとても好きな作品でした。
この『ガールズ・ナイト』も、決して悪い作品ではありません。
死に直面しながらも、ただ寿命を延ばすのではなく、自分を生きる決意をして治療を拒否したドーンにも共感出来ます。
ドーンを演じたブレンダ・ブレッシンも、さすがといった感じで、ジャッキー役のジュリー・ウォルターズとふたり、
田舎から華やかなラスベガスに出てきたダサダサのおばさん役をコミカルに演じていました。
しかし、なぜか色んな疑問が出てきて、どうもしっくり行かない作品です。
ドーンは「夢はラスベガス」と語りながらも、その言葉だけで情熱が感じられないため、
彼女を連れ出してラスベガスへと向かうジャッキーにお節介のようなものを感じてしまったのです。
ドーンは果たして、自分の残り少ない時間を夫や子供たちと過ごすことよりも
自分自身の“夢”のために使おうと思ったのでしょうか。
その辺りの表現が曖昧になっているので、それでいいのだろうか、という気持ちで観てしまいました。
それに、死期が近い友人との残り少ない時間を共有するために、家族から引き離してしまうジャッキーの行動は、
結局は自分のことしか考えていないような気もします。
ラスベガスで出会ったカウボーイの存在も中途半端で、なぜ出てきたのかも分かりませんでした。
こういう作品を「面白くない」と言うと、批判されるかもしれませんが、
“美談”を前に出しすぎて、ドーンと家族との関係の表現に説明が不足しているため、
肝心な部分を誤魔化されているような気がするのです。
レベル2.5
レッサー・エヴィル
山林業を営むデレック(コーム・フェオーレ)の呼びかけで、ハイスクールの同級生4人が、
22年ぶりにデレックの山小屋で再開した。
アイヴァン(アーリス・ハワード)は神父、フランク(トニー・ゴールドウィン)は警官、
ジョージ(ディヴィッド・ペイマー)は弁護士と、それぞれに地位のある職業に就いている彼らの頭に、
22年前の忌まわしい出来事が思い浮かぶ。
16歳の少年たちが、些細な遊び心で持った拳銃が、殺人事件を起こしてしまったのだ。
ただの事故とも思えた殺人事件を隠すためにとっさにとってしまった彼らの行動は、
彼らを二度と引き返せない道へと踏み込ませていった。
それは彼らの心の中にだけ存在し、事件そのものは闇に葬られていたはずだったが、
22年経って、その時の拳銃が警察に発見されたのだ。
拳銃の持ち主であったデレックは早速刑事の尋問を受け、それで他の3人を呼び寄せたのだった。
誰もが自分を守りたいと思い、話を進めて行くうちに新たな真実も発覚する。
最後に彼らが下す結論は何なのか・・・・。
山小屋という密室空間を舞台にした心理サスペンス。
現在を過去を巧みに交錯させ、且つ、平行的に時間を経過させている脚本が素晴らしく、
演出も緊迫感を充分に感じさせるものでした。
主人公の4人の少年時代の描写では、4人それぞれの性格がはっきりと分かるように描かれ、
その性格が大人になった彼らにも反映されているという、手抜きのなさにも好感が持てました。
オープニングシーンがいきなり葬儀のシーンで、
「私は人を殺した・・・・」という神父アイヴァンのナレーションから始まるので、
彼がいったい誰を殺したのか、ということがこの作品のポイントになるのですが、
劇中にある親切な“ヒント”から、残念ながら私はこのオチが読めてしまいました。
それがなければ、最高に面白い作品だったと思うのですが・・・・。
レベル3.5
映画を深読みしすぎる癖が身についてしまったのも、良し悪しですね。
至上の恋/Queen Victoria
1861年、英国のヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)の夫、アルバート公が他界した。
深い悲しみに沈んだまま、女王はワイト島のオズボーン宮に蟄居したまま、喪服を脱ごうとはしなかった。
3年が過ぎても、女王は悲しみから脱することが出来ず、公務に戻ろうとはしない。
そんな彼女の心を慰めるために、亡きアルバート公の従僕・ブラウン(ビリー・コノリー)が呼び寄せられ、
彼は王室の規則を無視して女王の心に直接触れて行った。
やがてブラウンに心を開き始めた女王は、彼への想いが強くなっていることと、
亡き夫への悲しみの気持ちが薄れていっている自分に気づき、苦しむ。
また宮殿の中では、ブラウンが自分の地位を誇張し出し、彼をよく思わない者たちが増えて行った。
『恋におちたシェイクスピア』のジョン・マッデン監督作品。
同じく『恋におちたシェイクスピア』でコミカルなエリザベス女王を演じ、
わずか10分の出演ながら見事にアカデミー賞助演女優賞を手にしたジュディ・デンチが、
この作品のヴィクトリア女王の役で、98年のゴールデングローブ賞の主演女優賞を受賞しています。
亡き夫とブラウンへの気持ちの間で悩む女王を演じた彼女の演技はさすがに素晴らしく、受賞も納得出来ます。
特にその気持ちに耐えきれなくなった彼女が、教会の司祭のところに相談に行くシーンには涙が出ました。
しかし、私がグッときたのはそのシーンだけで、あとは今ひとつこの作品に乗り切れませんでした。
一番よく分からなかったのは、ブラウンの本心。
最初から彼がどういう気持ちを持って女王に取り入っているのかが分からず、どこか胡散臭い気がしたのです。
他の使用人たちが彼のことを疎ましく思うのがよく分かり、最後まで彼に感情移入して観ることは出来なかったのが、
この作品を面白いと思えなかった原因だと思います。
レベル2
ライフ・イズ・ビューティフル
1939年。ユダヤ系イタリア人のグイド(ロベルト・ベニーニ)は、トスカーナのある街にやって来た。
そこで彼は小学校教師のドーラ(ニコレッタ・ブラスキ)に恋をし、猛アタックを開始する。
ドーラには幼なじみの婚約者がいたが、その結婚に乗り気でなかった彼女は、
グイドのユーモアとロマンチックな人柄に惹かれ、彼のもとへと飛びこんだ。
やがてふたりの間には男の子が生まれ、親子3人の幸福な生活を送っていたが、
ある日、グイドと息子はユダヤ人収容所へ強制連行されてしまう。
そして、ユダヤ人ではないために一人残されたドーラも、自ら志願して収容所行きの列車に乗り込んだ。
収容所で絶望と死の恐怖に支配された世界を目の前にしたグイドは、
家族を守るために、ある“嘘”を思いつく・・・・。
かなり昔のことですが、ある方のエッセイにこんな印象的なフレーズがありました。
『嘘には4つの色がある。
1つは“赤”。これは“真っ赤な嘘”と例えられるように、それは人に害を与えるほどのものではない。
1つは“黒”。これは、人を欺いたり、おとしいれたりするための悪い嘘。
1つは“白”。例えば死期が近い人に「大丈夫よ」と言うように、人を安心させるためのもの。
1つは“金色”。「君は世界中で一番美しい」と言うように、人を気持ちよくさせるためのもの』
この『ライフ・イズ・ビューティフル』は、ユダヤ人収容所に入れられた幼い息子に
恐怖感を与えないため、“白い嘘”をつきつづける父親の物語です。
私の最初の印象は、とにかくセリフが多い映画だな、ということ。
この作品にはほとんど感情表現が無く、淡々としたセリフ回しでストーリーが進んでいきます。
“言葉にせずに多くを語る作品”に魅力を感じる私は、
怒涛のようなセリフ攻撃に、正直言って最初は少し引いていました。
しかし、後半の“嘘”が絡むシーンからは、その感情表現のなさこそが作品を引きたてていました。
辛く悲しいはずの収容所のシーンを、主演のベニーニは淡々と滑稽に演じます。
その感情表現のない世界は、幼い息子の目に映った、収容所のイメージそのもののように感じました。
あるいは、それがベニーニの狙いだったのかもしれません。
息子が風呂嫌いであることや、クイズ好きの医者の友人の存在など、
些細な事柄がすべてストーリーに大きく関わってくるという、脚本は見事です。
ベニーニの中には、細部まで計算し尽くされた、完璧な台本があったのだと思います。
“泣かせよう”としていないところが余計に悲しく、ラストのナレーションで一気に泣いてしまいました。
観終わった時には、いつまでも心に残る、優しい作品に出会えた喜びで一杯でした。
レベル5
自由な女神たち
デトロイトに住むポーランド移民一家の15歳の長女ハーラ(クレア・デーンズ)は、
夜な夜な地下の窓からこっそり家を抜けだし自由を満喫する無邪気な娘。
両親と4人の兄弟、兄嫁とその子供という大家族の中で生活しながら、
彼女は出来る限り自分の狭い世界から抜けだそうとしていたのだった。
ある日、カトリックの教会の処女祭でハーラは聖女の役を得ることになる。
母親ヤドヴィガ(レナ・オリン)とハーラは大喜びするが、彼女には一つ秘密があった。
地元警察官のラッセル(アダム・トレッセ)と、一夜の関係で妊娠してしまっていたのだ。
娘の妊娠を知ったヤドヴィガは、自分もまた15歳で妊娠したことを機に結婚したことを打ち明ける。
原題の“Polish Wedding=ポーランド風の結婚”には“出来ちゃった結婚”という意味があるそうです。
この作品、私にはとても難しい作品でした。
主役はハーラではなく、母親ヤドヴィガ。
若くして結婚し、多くの子供を持った母親の気持ちがネックとなっていて、
その気持ちがどこまで理解出来るかによって、この作品の理解度が変わるのだと思います。
もうひとつ重要なポイントは、“カトリック教徒の心情”。
無軌道に自由を追い求める気持ちと、カトリック教徒としての抑圧に悩むハーラの気持ちです。
残念ながら、そのふたつがほとんど分からなかった私には、
この作品は退屈なものでしかありませんでした。
“お嬢様役”のイメージが強かったクレア・デーンズが、タバコをふかし、不特定多数の男とセックスする、
擦れた女の子という役柄をこなしていることだけが新鮮な驚きでした。
レベル2
隣人は静かに笑う
ワシントン郊外の町で、テロリズムを研究する大学教授マイケル(ジェフ・ブリッジス)は、
道の真ん中で血だらけになって歩いている少年を見つけ、病院に運ぶ。
少年はマイケルの家の隣に引っ越してきた設計技師オリバー(ティム・ロビンス)の息子だった。
FBIエージェントだった妻を殉職で失って以来、10歳の息子と悲しみに耐えながら生きてきたマイケルは、
それをきっかけにオリバーの一家と親しく交際を始めるようになる。
しかし、ある日マイケルはオリバーが嘘をついていることに気づき、
それ以来、彼の正体に疑問を持つようになる。
ティム・ロビンスが不気味な隣人に扮する、驚愕のサスペンス・スリラー。
タイトル・ロールからマイケルが血だらけの少年を発見するオープニングシーンまでの映像が
すごく凝っていて、興味を惹かれました。
しかし、面白いと思ったのは最初だけ。
サスペンスというジャンルには違いありませんが、タイトルが表すとおり、
怪しい隣人が予想通りの人物だった、というところはあまり面白みがありませんでしたし、
途中までの展開は全て予想出来てしまい、スリルに欠けていたと思います。
どちらかというと、背後に突然現れたり、大きな音を出したりして観客の恐怖を誘うという演出は
“ホラー系”のノリに近かったと思います。
ラストまでその調子で走ってしまえば大した作品だとは思いませんでしたが、
オチが意外な展開だったので、とりあえず及第点。
レベル3
ぼくらはいつも恋してる!/金枝玉葉2
ようやく気持ちが通じ合ったウィン(アニタ・ユン)とサム(レスリー・チャン)。
ふたりは晴れて恋人同士として一緒に生活を始めた。
しかし、いざ一緒に住んでみれば、ふたりの気持ちはすれ違うばかり。
おまけに、男性アイドルとして復帰したウィンは大人気で、超多忙な生活を送るはめになる。
そんな中、以前ローズ(カリーナ・ラウ)が住んでいたサムの部屋の階下に、
大スターの女性フォン(アニタ・ムイ)が引っ越してくる。
ウィンと上手く行かないサムは、はずみでフォンと寝てしまい、
それを知らないウィンは、フォンと接しているうちに、次第に彼女の魅力に囚われてしまう。
大好きな香港のロマンティック・コメディ『君さえいれば/金枝玉葉』の続編。
一旦ハッピーエンドで終わらせた前作の直後から物語が始まり、
主役ふたりの間に新たに起こる問題を描いています。
前作では、サムのゲイ疑惑問題など、コメディの部分を全面に押し出しながらも、
その裏でサムとウィンの気持ちの揺れや切なさなどを丁寧に描いていたところが魅力でした。
しかしこの2作目では、とにかく冒頭からコメディ部分だけで笑わせ、
“気持ち”の部分はほとんど無視されています。
面白いことは面白いのですが、前作で良かったと思った部分が、全くなおざりにされているのです。
その上、中盤の展開は乱雑で滅茶苦茶。
これでもかというくらい徹底的にかき回し、どうしようもないところまで行きついて、
今度はそれをラストで一気に“泣かせ”で解決に持って行きます。
いくら何でも、これはズル過ぎでしょう。
それでも、監督の策略に見事にハマって、涙ぐんでいる私が情けないです。
レベル3
完全なる続編なので、前作を観ていなければ全く面白くはないでしょう。
でも、この続編は出切れば作って欲しくなかった・・・・。
セントラル・ステーション
ブラジルのリオ・デ・ジャネイロの中央駅で、字が書けない人を相手に代筆屋を営んでいる
元・教師の初老の女性ドーラ(フェルナンダ・モンテネグロ)。
地方から都会へと集まって来た人々は、毎日彼女の前に列を作り、
故郷に残した家族や恋人へ、真心のこもった言葉を託して手紙を書いてもらっていた。
しかしドーラは、その手紙を投函せずに毎日家で破り捨て、切手の料金すらもせしめていたのだった。
ある日、アンナという女性が9歳の息子ジョズエ(ヴィラシウス・デ・オリビア)を連れて、
ドーラに代筆を頼みにやってきた。
彼女は10年間も離れて暮らし、息子の顔を見たことのない夫に向けて、自分の思いを手紙に綴ってもらう。
しかし、その直後、アンナはジョズエの目の前でバスに轢かれて死んでしまうのだった。
ひとりきりになったジョズエは、駅で寝泊まりするようになり、見かねたドーラは彼を家に連れて帰る。
金に目がくらんだドーラは、ジョズエを養子縁組を斡旋している者たちに売りつけるが、
彼らが養子縁組ではなく、子供の臓器を売買していると知り、慌てて彼を連れ戻した。
彼女はジョズエをアンナが託した手紙にある住所を頼りに、父親のもとへ届けることを決意する。
99年ゴールデングローブ賞の最優秀外国語映画賞他、数々の映画賞を受賞しているブラジル映画。
心の汚れた初老の女性と、小生意気な9歳の少年のロードムービーです。
“代筆屋”という商売は、字が読めないということが考えられない先進国では成り立ちません。
われ先にと、列車の窓から乗りこんで座席を取る人々や、万引きしただけで射殺されてしまうという現実など、
“代筆屋”だけでなく、ブラジルという国独特のルールを垣間見ることが出来るのも、
この作品の興味深いところです。
ひょんなことから少年の父親探しに借り出される女性の話と言えば、それほど珍しいものではなさそうですが、
その背景にある“読み書きが出来ない人の存在”と“手紙”というものが、ストーリーに重要な役割を果たし、
このロードムービーを独特のものに仕上げています。
人の真心のこもった手紙を破り捨てることを何とも思っていないドーラの境遇もしかり。
身寄りのない彼女が、家族や恋人のある人たちを妬んで、そのような行為に及んでしまうのも、
納得出来ない話ではありません。
しかし、ジョズエと旅を続けて行くうちに、彼女の心が少しずつ変化していきます。
孤独故に荒んだ心を持っていたドーラが、人の心を取り戻していくのです。
それもまた、ある意味では平凡な展開かもしれません。
でも、彼女が心の奥底にしまいこんでいた自分の父親への気持ちをジョズエへの“手紙”に託したラストシーンは、
この作品ならではの特別なものであったように思います。
レベル5