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アルマゲドン
ある日、ニューヨークに降り注いだ隕石が街を破壊し尽くし、人々はパニック状態となる。
天文台は時速35000キロで地球に接近している、テキサス州とほぼ同じ大きさの巨大な小惑星を観測、
このまま進めば18日後にその小惑星は地球に衝突、そうなれば地球の全生物は死滅してしまうことが分かる。
絶望的な時間との戦いの中、NASAが衝突回避のために最終的に提出した案は、
小惑星にドリルで穴をあけ、核爆弾で内部から破壊して軌道を変えるというものだった。
NASAは石油採掘技術者ハリー(ブルース・ウィリス )をNASAで訓練中の飛行士の教育係として呼び出すが、
ハリーは穴掘りに関しては素人の飛行士たちに、短期間での教育は無理だと判断した。
ハリーは石油採掘のプロフェッショナルである7人の部下たちを連れて自分たちが宇宙で作業するする決心をし、
短期間で重力に耐える訓練を行って、6人の宇宙飛行士と共にスペース・シャトルに乗り込んだ。
星の衝突ものと言えば『ディープ・インパクト』が記憶に新しいところ。
『ディープ・インパクト』では、地球に残った人々の様々なドラマを見せたのに対し、
この『アルマゲドン』では、宇宙に旅立つ側の男たちのドラマを見せてくれます。
地球の存続の運命を、石油掘りの男たちの手に委ねてしまうなどという設定は強引過ぎる気もしますが、
それを否定してしまえば、このエンターテイメントは成り立たないので、まぁいいとしましょう。
「そんな訳ないでしょう・・・」と思うようなことを無理矢理納得させてしまえるのも映画の力ですし。
ネタがかぶっているので、どうしても『ディープ・インパクト』と比べてしまいますが、
見どころのひとつとも言えるCG映像は、『アルマゲドン』の方が凄かったと思います。
特に、冒頭の隕石が降り注ぐシーンの迫力は圧巻。
これを観てしまうと、『ディープ・インパクト』の津波のシーンなどヘボに思えてしまいます。
登場人物の心理描写という点においても、納得いかないことだらけだった『ディープ・インパクト』に比べ、
『アルマゲドン』はなかなか良かったと思います。
特に、主役のブルース・ウイリスと、彼の娘役のリブ・タイラー、
そしてリブの恋人でブルースの部下であるベン・アフレックの3人を中心としたドラマは、
なんとなく筋書きは読めてしまうものの、入り込んでしまいました。
ただ、ラストシーンがどうしても納得いかないのです。
ネタばれになってしまうのでストレートには書きませんが、
**の**に対する気持ちって、あんなもんなのでしょうかねぇ。
ちょっとがっかり。
レベル4
ここが“がっかり”(ネタばれ)
マイ・フレンド・メモリー
中学1年のマックス(エルデン・ヘンソン)は、勉強が出来ずに2度も落第を繰り返し、
スポーツも全くダメなため、皆に“怪物”呼ばわりされ、いじめられている。
ある日、マックスの家の隣に、ケビン(キーラン・カルキン)という少年が引っ越して来た。
モルキオ症候群という難病で足が不自由なケビンは、
体が自由に動かない代わりに想像力が発達し、勉強が良く出来た。
お互いの足りないところを補い合ってふたりは親友となるが、不良グループたちはそんなふたりを馬鹿にする。
不良グループたちのいじめに黙って耐えているマックスを見かねたケビンは、彼らを挑発して怒らせ、
頭脳プレイで逆にやり込めてしまった。
自信をつけたふたりだったが、ケビンの病気は急激に悪化、余命いくばくもないと診断される。
そんな中、殺人の罪で刑務所に服役していたマックスの父親が出所し、マックスをさらって監禁する。
それを知ったケビンは不自由な体でマックスを救いに行く。
配給の松竹富士いわく、『マイ・ライフ』『マイ・フレンド・フォーエバー』『マイ・ルーム』に続く、
“感動の『マイ』シリーズ第4弾”なのだそうです。
“『マイ』シリーズ”というネーミングもいただけなかったし、
私は難病もので感動を押し売りするような、“お涙頂戴もの”的作品はあまり好きではないので、
その魂胆ミエミエの予告編を観てそれほど期待していなかったのですが、これがすごく良かったのです。
これは製作者側の意向と、宣伝する松竹富士の方針が完全にズレています。
本編では予告編で見せたベタベタの感動作というイメージはほとんど無いのです。
原題は“The Mighty”。字幕ではこれを“勇者”と訳していましたが、
この原題こそが、この作品の意味するところでしょう。
難病に侵され、体が思うままに動かないためにイメージの世界に生きる少年ケビンは、
自分の境遇を全て受け入れ、その中で精一杯生きています。
しかし、彼はマックスという少年と出会うことによって、その想像の世界を現実のものにしていきます。
逆にマックスは、すでに自分をあきらめ、やれることもやろうとしない少年。
不本意ないじめにあっても、されるがままであった彼が、ケビンと出会って“知恵”と“勇気”を与えてもらいます。
そして、現在の自閉的なマックスの人格を形成している過去の心の傷を克服していくのです。
お互いの足りない部分を補い合って、一人前の人間として認めてもらおうとする少年たちの友情の物語。
難病ものと言っても湿っぽいものはほとんどなく、感動を押し売りしている感もありません。
むしろ、カラリとして明るい少年たちの冒険物語に仕上がっていて、ユーモアたっぷりの彼らのセリフまわしは、
先日観たばかりの『エディ・マーフィーのドクター・ドリトル』の数倍は面白かったと思います。
少年役のふたりの演技が、また上手い!
特にケビン役のキーラン・カルキン(マコーレ・カルキンの弟くんです)の演技は絶品です。
ケビンの優しくて強い母親役のシャロン・ストーンは、今までにない地味な役どころでもぴったりハマっていたし、
『Xファイル』の“スカリー”ことジリアン・アンダーソンも、
すごくケバい化粧で出演していて、全くイメージの違うことに驚きました。
悲しいシーンも用意されていますが、それよりも少年たちの心の成長に泣かされる作品です。
バックに流れる曲もいいし、スティングが歌うテーマソングも良いです。
“お涙頂戴もの”が苦手な人や、松竹富士の“感動の『マイ』シリーズ”の前作に感動出来なかった人にも
この作品はオススメします。
レベル4
ドクター・ドリトル
医者のジョン・ドリトル(エディ・マーフィー)は、
幼い頃、動物の言葉が理解出来るという不思議な能力を持っていた。
しかし、ある日突然その能力を失い、今ではそんな能力を持っていたことすら忘れていた。
そんなある日、彼は車で轢いた野良犬が「気を付けろ!マヌケ野郎!」と怒鳴る声を聞く。
そして、その出来事をきっかけに、彼に様々な動物たちが話しかけてくるようになる。
忘れていた子供の頃の能力が蘇ったのだった。
初めはその不気味さに逃げ惑うドリトルだったが、
自分を頼ってやって来る、心に悩みを持つ動物たちに接しているうち、
彼は動物たちを診察することに自分の新しい生き甲斐を見つけ出した。
しかし、動物たちと会話しているドリトルを、周りの人間たちは精神異常者扱いし、
彼は病院に入れられていまう。
この作品が全米でヒットしている時、この作品を紹介していた
WOWOWの情報番組でチラリと見た感じでは面白そうだったのに、
いざ本編を観てみると、それほど面白くありませんでした。
これはエディ・マーフィーの演技で笑わせるコメディというよりは、
出てくる動物たちの動きやセリフで笑わせるコメディだと感じたのですが、
字幕に出てくるセリフ回しがイマイチ面白くないのです。
ここではあえて誰の字幕だったかは伏せておきますが、
WOWOWの番組で他の人が翻訳したものを観た時は結構笑えたので、
やっぱりコメディ映画における翻訳者のコメディセンスは重要なんだな、
と実感した作品でありました。
動物たちの声は、ハリウッドの俳優たちが演じているので、
原語ならそれなりに楽しめる作品なのかもしれません。
ストーリー自体も、大人が楽しむコメディというよりは、
完全にお子様向けの作品レベルだと思います。
レベル2
アンツ
アリのZ[ジー](声:ウディ・アレン)は、10億匹のアリが住む世界で働きアリとして過ごしている。
しかし、彼はその集団主義の世界に順応できずに悩んでいた。
ある時、興味から働きアリの集団の中に潜り込んだ王女バーラ(声:シャロン・ストーン)は、
集団からひとりはみ出しているZに声を掛ける。
それがきっかけでバーラに恋をしてしまったZは、
彼女に会うために親友の兵士ウィーバー(シルベスタ・スタローン)と摩り替わるが、
そのまま戦場に行かされるはめとなってしまった。
運良く彼は戦地でただ1匹生き残り、ヒーローとして帰還するが、
彼が働きアリであることはすぐにばれ、厳しい処罰を受けなければならなくなる。
Zはバーラを楯に抵抗するが、はずみでバーラと共に外の世界に飛び出してしまい、
そのまま彼女と共に、昆虫の楽園“インセクトピア”への冒険の旅に出る。
スピルバーグ率いるドリームワークスが贈るCGアニメーション。
主人公の顔が“E.T.”に似ているのは、やはり意識的なことなのでしょうか。
それにしても、初めて見た時からなんか気持ち悪くて、
どうしても好きになれなかったこのアリンコの顔なのですが、
静止画でも受け入れ難かったこのアリンコたちが
全身の筋肉の細部までリアルに動かしているので、気持ち悪くて仕方ありません。
後半はかなり慣れましたが、前半の蟻の巣の中のシーンで、
そんな無数のアリンコたちがウヨウヨいるところでは、本当に気分が悪くなってしまいました。
確かにCGの技術は凄く、ここまで出来るのかと感心はしました。
しかし、そんな凄いCGの技術を見せ付けられているだけの作品だったように思います。
ストーリーは、極めて単純でつまらないお話。
その上、集団生活の規律を守っている人たちや、社会の歯車となり働いている人たちを働きアリに例え、
皮肉っている作品のようにも感じました。
集団でダンスをしているシーンなどは特に、製作側から「お前らはバカだ」という隠されたメッセージが
伝わってきたような気がして、それもまた気分を害するものでした。
私自身も、会社の中では皆と同じステップを踏むことしか許されない働きアリなのですからね。
それは私の被害妄想だとしても、少なくとも“学校”というある程度の規律を皆が守らないと成立しない場所で
集団生活を余儀なく強いられる子供たちに向けて作られた作品ではないように思います。
声優陣は豪華で、上記の俳優たちの他、ジーン・ハックマンからジェニファー・ロペスまで、
主要な登場アリの全てをハリウッドのスターたちが演じています。
それも、何だか“客引き”に利用してるだけのような気が・・・・。
CGの技術だけは認めレベル2
それにしても、シルベスタ・スタローンはアリンコの姿になってまでも
やっぱり“筋肉隆々で力持ちでいい奴”の役をやってました。
アウト・オブ・サイト
過去20年間に渡って銀行強盗を生業としてきたジャック・フォーリー(ジョージ・クルーニー)は、
ある日銀行強盗に失敗し、3度目の投獄をされてしまう。
30年の刑期を言い渡されたジャックは、刑務所を脱獄して最後にひと山当て、
強盗生活から足を洗う計画を立てる。
脱獄計画実行の夜、女性連邦保安官カレン(ジェニファー・ロペス)は、
たまたま立ち寄ったその刑務所で彼の脱獄を目撃、阻止しようと銃を構えるものの、
外で待ち受けていたジャックの仲間バディ(ヴィング・レイムズ)に羽交い締めされ、
そのまま逃走車のトランクに詰め込まれてしまう。
ジャックもまた身を隠すためにトランクに入り込み、ふたりは密閉された暗闇の中で語り合って過ごした。
やがて途中でカレンは開放されるが、それ以来ジャックのことが忘れられなくなってしまう。
脱走犯に人質にされた女性保安官が、いつの間にかその男に恋をし、彼の脱走に荷担してしまうという、
いかにもハリウッド的なネタのお気楽ムービー。
おまけにその女性保安官が若くて美人でスタイル抜群、ミニのスカートをはいて現場に向う、
なんてシチュエーションはどう考えても出来過ぎです。
時間を複雑に交錯させるというタランティーノ風の手法が取られていますが、
それも登場人物の説明をするためのものにとどまり、芸術的なセンスは感じられません。
そんな手法を取り入れたことが、かえって話をややこしくしているだけのような気もし、
もっとすっきりと見せられなかったのかとも思いました。
とにかく、頭の中で時間の交錯を解いて組み立てるのが精一杯、
ハラハラドキドキする余裕すらなくなってしまったのです。
ジョージ・クルーニー扮する脱獄犯ジャックと、ジェニファー・ロペス扮する連邦保安官カレンに
人間的魅力を感じられなかったのも、この作品が面白くなかった原因のひとつ。
FBI捜査官と不倫の関係を続けているのに疲れ始めているというカレンの心情が、
ジャックに惹かれることになった引き金となったはずなのですが、それも伝わってきません。
劇中にカレンの「映画の中では、出会った男女がすぐに恋に落ちてしまうけど、あんなのウソよ」
というようなセリフがあるのですが、監督はそこまで分かっているなら、
このふたりがどうして惹かれ合ったのかを、もう少し映像でもってちゃんと説明して欲しかったと思いました。
レベル2
相続人
リック・マグルーダー(ケネス・ブラナー)は、裁判では8年間負け知らずの有能な弁護士。
しかし、仕事に熱中するあまり家庭を顧みなかったことが原因で妻とは離婚、
2人の子供は彼女に引き取られ、彼には自由に子供たちに会うことは許されていなかった。
その日、裁判で劇的な勝利を収めた自分を祝ってもらったパーティが終わり、会場を出たところでリックは、
雨の中で車を盗まれて激怒している若い女性マロリー(エンベス・デイビッツ)に出会う。
彼女を家まで送ることにしたリックは、車を盗んだのは彼女の父親ディクソン(ロバート・デュバル)で、
精神に異常をきたしている父親に、彼女が執拗にストーキングされて困っているとの説明を受ける。
涙ながらに苦情を訴える彼女にリックは心を動かされ、その夜ふたりはベッドを共にした。
翌日、再びマロリーの家を訪ねたリックは、彼女の飼い猫が天井から吊るされ、死んでいるのを発見する。
それをディクソンの仕業だと確信したリックは、私立探偵のグライト(ロバート・ダウニーJR.)に協力を頼み、
マロリーを保護するためにディクソンを強制入院させる手続きをとるべく動き始める。
裁判所はディクソンの精神異常を認め、彼の身柄拘束と精神病院への強制入院を勧告するが、
入院してまもなく、彼は仲間たちの手助けで病院を脱走してしまう。
マロリーは命を狙われるようになり、やがてリックの子供たちにも危険が迫ってくる。
『ザ・ファーム法律事務所』『ペリカン文書』『評決のとき』『レインメーカー』などの原作者で、
法廷もののベストセラー作家ジョン・グリシャムが映画用に書き下ろしたオリジナルストーリーを映画化。
一連のグリシャムものと違うのは、この作品が法廷ドラマではなく、
弁護士が担当した裁判に絡んで事件に巻き込まれていく、というサスペンスになっていることです。
先が読めない展開とスリル、といった点では観ている時はドキドキもので、
サスペンスとしてはまあまあの出来だと思うのですが、
観終わった時には今ひとつすっきりとした満足感が得られませんでした。
ラストの収め方があまりにもあっけなく、数々の疑問を残したまま終わってしまったのです。
“サスペンス”といっても、“ミステリー”の色も濃い作品なので、
ラストでそれまでに起こったひとつひとつの不可解な出来事の説明が無かったのがその原因だと思います。
父親がどういう感情を持って娘をストーキングしていたのかも結局分からず、
その辺も気持ち悪さを残すだけとなりました。
それにしても、この作品に何故『相続人』なんて邦題を付けたのでしょう。
確かにグリシャムっぽさはありますが、作品の意味するところから言ったら全く的はずれ。
原題は『THE GINGERBREAD MAN』。
これはマロリーが脅え、後にリックをも襲い始める、見えない敵を比喩している言葉なのです。
この原題こそが、この作品を語っています。
レベル3
マスク・オブ・ゾロ
19世紀の初め、スペインの植民地支配から独立したメキシコ。
ドン・ディエゴ(アンソニー・ホプキンス)は、民衆の英雄ゾロとして、
カリフォルニア再統治を企む元知事モンテロ(スチュアート・ウィルソン)と闘っていた。
しかし、モンテロに自宅を奇襲攻撃されたディエゴは、妻を殺され、
幼い娘エレナを奪われた上に投獄されてしまう。
20年後、それまで国を離れていたモンテロが戻ってきたことを知ったディエゴは、
彼に復讐するべく牢を脱獄する。
そしてディエゴは、モンテロ配下のラブ隊長(マット・レッシャー)に兄を殺された
盗賊あがりの若者アレハンドロ(アントニオ・バンデラス)に目を付け、
彼を2代目ゾロとして育てるべく洞窟の隠れ家で秘密の特訓を開始する。
一方、モンテロに自分の娘として育てられ、美しく成長したエレナ(キャサリン・ゼタ=ジョーンズ)は、
一連の訓練を終えて2代目ゾロに扮したアレハンドロを偶然見掛け、彼に心を惹かれる。
この作品、よくあるカッコいいヒーローものと思いきや、ちょっと違いました。
悪から民衆を救う“正義の味方”のゾロは、物語冒頭のアンソニー・ホプキンス扮する
ディエゴの20年前のエピソードのみ。
20年後再び姿を現したかつてのゾロは、民衆のためではなく自己の復讐のために2代目のゾロを育て上げ、
2代目のゾロも同じく、兄を殺された復讐のために戦うのです。
“復讐”とはいえ、物語の運びは徹底的にマンガチックで、重苦しいものもほとんどなく、
単純に楽しめる作品でした。
“復讐のため”に戦うというコンセプトも、実に分かりやすくて良かったと思います。
剣劇も凄いです。あそこまでやってくれると気持ちいいくらい。
それに、2代目ゾロはバリバリの2枚目ではなく、2枚目半といった設定がとても気に入りました。
かつてのゾロを師に戦い方を学んだところで、そんなに簡単にカッコよくなれるはずがなく、
とりあえずカッコはつけてみるものの、馬から振り落とされたり、2階から落っこちたり、
カッコ悪い姿を頻繁に見せてくれるのです。
声を出して笑える作品だとは思っていなかったので、その意外性が余計に面白く感じられた理由でしょう。
所詮マンガみたいな作品ですから、20年も使っていなかったゾロの隠れ家がどうしてあんなに奇麗なんだろうとか、
エレナの屋敷に行った時のディエゴとアレハンドロの衣装や招待状はどうやって調達したんだろうとか、
アレハンドロは盗賊あがりなのに、何であんなにダンスが上手かったんだろうとかいう、
細かい疑問には目をつむりましょう。
ただ欲を言えば、エレナが産みの親と育ての親の間で悩む姿を、もう少しきちんと見せて欲しかった気がしました。
レベル4
北京のふたり
アメリカの大手エンターテインメント企業のビジネスマン、ジャック(リチャード・ギア)は、
米中初の衛星事業契約交渉のため、中国の首都・北京を訪れていた。
ジャックはラジオ映画テレビ省でのデモンストレーションでかなりはっきりとした手応えを掴み、
その夜、大臣の息子リン・ダン(バイロン・マン)にナイトクラブへと案内される。
ジャックは、そこで出会った中国美女ホン・リン(ジェシー・メン)に惹かれ、
彼女を自分のホテルの部屋へと招いて甘い一夜を共にするが、
翌朝、部屋に入り込んだ警官に叩き起こされて見たものは、血まみれになって死んでいるホン・リンの姿だった。
事の顛末が分からないまま、ジャックは殺人事件の容疑者として連行され独房に叩き込まれてしまう。
彼はすぐにアメリカからの弁護士を要請するが、中国の警察はそれを聞きいれず、
彼を中国の法律で裁くと言う。
ジャックはろくな取り調べもされないまま突然法廷に立たされ、
しかも、法廷で初めて顔を合わせた、彼の担当の中国人の女性法定弁護人シェン・ユーリン(バイ・リン)は、
いきなり裁判長に有罪を申し立てるのだった。
驚いたジャックは彼女に激しく抗議するが、
彼女は「中国では罪を認めれば減刑、認めなければ1週間以内に銃殺される」とジャックに説明する。
出張先の中国で神秘的な東洋美女に腑を抜かれ、
まんまと罠にはめられてしまった、気の毒なアメリカンビジネスマンのお話。
ちょっと奇麗な女性から誘惑されるとすぐメロメロになっちゃって、
何の疑いもなくついていってしまうなんて、全く男の人ってどうしようもないですね。
「自業自得だっ!」と叫びたいのはヤマヤマですが、
リチャード・ギア演じるジャックがバツいちの独身という設定だったので、その点は許してあげましょう。
ジャックが誰にハメられたかなんて、最初から分かりきっているようなものなので、
サスペンスとしての出来はそれほど大したことはないように思えます。
殺人の物的証拠が出てくる時も、その入手経路が今ひとつはっきりしないまま、
事件解決の“鍵”として使われてしまっているのも不満が残りました。
サスペンスで一番肝心な“詰め”の部分がとても甘くなっているのです。
この作品は、どちらかと言うと、中国の閉鎖的な司法制度に浸りきっていたひとりの女弁護士が、
断固として無実を主張するアメリカ人の被告を引き受けることによって、
その考え方や生き方そのものが変化していく、という人間ドラマに重点を置いていると思います。
ただ、導入部からの見せ方は、どうしても“サスペンス”を期待させるものなので、
その部分をおざなりに人間ドラマを見せられたことが、
かえって観終わった時に中途半端なものを感じる原因になってしまいました。
そういえば、この作品ではジャックが行ったナイトクラブでファッションショーが催され、
その舞台の両隅で京劇を演じている、という非常に変わった演出がありました。
アメリカが日本を描くと、とんでもない勘違い描写をしていることがほとんどなので、
この作品で中国の現実がどのくらい描けているかは疑いたい部分もあります。
私たちは気にならなくても、もしかしたら中国人が観たら怒ってしまような作品なのかもしれません。
中国人に素っ裸にされ水をかけられたり、手錠をしたまま屋根の上を走りまわったり・・・
といった頑張りを見せたリチャード・ギアには拍手。
レベル3・・・と言いたいところですが、リチャード・ギアが頑張ってたので
レベル3.5
それにしても、邦題の『北京のふたり』っていうのは、なんとかならなかったのでしょうかね。
今年のワースト邦題候補にノミネート確実です。
ムーラン
昔、昔の中国。万里の長城はフン族によって攻められようとしていた。
時の皇帝はフン族の攻撃に立ち向かうため、各家から男子を兵士として一人ずつ出兵させるように命じた。
そんな頃、ファ家のひとり娘・ムーランは結婚を決めるための仲介人との面接を控えていた。
おとなしくて従順な娘のみが花嫁としての合格点をもらえ、良い縁談を紹介してもらえるため、
その場ではしおらしい女性を演じようとするが、根が自由奔放のじゃじゃ馬娘のムーランは、
粗相をして仲介人を怒らせ、追い返されてしまう。
家に帰るとすぐに、そんなムーランの家にも徴兵を伝える皇帝からの遣いがやって来た。
しかしムーランの家では、年老いた父親以外に男子はいない。
しかも父親は前の戦争にも出兵して傷ついており、その身体で従軍することは死を意味することだった。
父親を気遣ったムーランは、その出陣前夜、父の代わりに自らが男子として出陣する決意をする。
彼女は長い黒髪を自ら切り落とすと、父の鎧を着け、凛々しい若者の姿に身なりを整えた。
そして、何も知らずに寝静まったままの両親を後に、一人戦場へと旅立って行く。
“東洋のジャンヌ・ダルク”とも言われ、中国に古くから伝わる伝説の少女“ファ・ムーラン(=花木蘭)”を主人公に
ディズニーが、初めてアジアを舞台に描くスペクタルロマン。
アメリカでは最近ディズニーの独占市場だったアニメの分野に、
『アナスタシア』で20世紀フォックス、『キャメロット』でワーナーなどが参入してきていますが、
どれもこれもディズニーの真似のようで、目新しいものは感じられません。
そしてその大御所ディズニーは、そんなライバル社の追い上げを物ともせず、大胆に路線変更することで相手を引き離し、
“やっぱりディズニーはすごい”と思わせるような出来栄えの作品を作り上げたのです。
予想通りの展開に、予想通りのエンディング。
でも、いいんです。私はこの作品、とにかく好きです。
予告編で観た時からすでに泣きそうになってしまった私は、本編を観ながら1時間30分ほとんど泣きっぱなし、
家に帰ってパンフを読んで、もう一度泣いてしまいました。
“女は黙って男の後ろをついていけばいい”“良い結婚をして、元気な男の子を産むことが女性の務め”という
古いしきたりにとらわれず、自由奔放な心を持って懸命に生きていくムーランは、実に魅力的な女性です。
女性であることで様々な制約を受けなければならないことは、現代でも変わりません。
どんなに強い意志を持っていても、女性には到底男性にはかなわない部分があり、
女性には天から授かった“女性の役割”もあるのです。
そんな中、この強きヒロインは、世の女性たちが“不可能”だと思っていることを“可能”にして見せてくれました。
そしてそんなムーランを理解し、その強さに惹かれ、愛しいと思う男性の存在が描かれていることが、
ムーランの生き方に自分の理想を求める女性たちに、別の意味での希望を与えてくれています。
しかし、男性と同等の能力を持った女性が“男性と同等”と認めてもらうには、
“男性以上”にならなければいけないという厳しさがあるのも事実です。
それをこの『ムーラン』を観て改めて知らされると共に、
世の男性たちにも、そんな女性たちの秘めたる想いと苦悩と努力を知っていただけたら、と思いました。
レベル5
トゥルーマン・ショー
トゥルーマン(ジム・キャリー)は、保険会社のセールスマン。
彼は、シーヘブンという小さな島で、看護婦の妻メリル(ローラ・リニー)や
親友・マーロン(ノア・エメリッヒ)らに囲まれ、平凡だが平和な毎日を過ごしていた。
しかし、それらは全てテレビ番組のプロデューサーであるクリストフ(エド・ハリス)の手によって
作られた偽物の世界だった。
このシーヘブンでは、妻も、母親も、親友も、会社の同僚も、トゥルーマン以外の全ての住人が俳優で、
彼に対するジョークのひとつまでもがクリストフの演出によるものだったのだ。
29年前に生まれた時からその世界に置かれ、町のあらゆるところに設置された5000台の隠しカメラによって
24時間自分の生活を『トゥルーマン・ショー』という番組として生放送で全世界に中継し、
15億人の視聴者に見守られていることなど、トゥルーマン自身は知る由もなかった。
しかしある日、彼は幼い頃に水難事故で亡くなった父親にそっくりな人物を町で見掛け、
それ以来、自分の周りで妙なことが続いていることに気づく。
この作品、ジャンルとしてはやっぱりコメディの部類に入るのでしょうか。
確かにコメディかもしれませんが、今までのジム・キャリーの作品のように大笑い出来るものではありません。
これまでのジム・キャリーのコメディは、彼自身のオーバーな演技が笑いの根元になっているのですが、
この作品ではジム・キャリー扮するトゥルーマンを騙そうと奔走する人々の姿が滑稽に描かれ、
トゥルーマン自身は極めて真剣なのです。
もちろん、その生活を覗き見る全世界の人々を楽しませることができるほど、
トゥルーマン自身も明るくてユニークなキャラクターの男性なのですが、
それでもジム・キャリーはいつもの芸風を全く見せず、押さえた演技に徹しています。
もしも自分を取り巻く全ての人々が“演技”をしていて、
自分は生まれた時から誰かにプロデュースされた“虚偽”の世界で生きているとしたら・・・
なんて考えると、これはとても怖い作品です。
それはマイケル・ダグラス主演の『ゲーム』に通じる部分もありますが、
『トゥルーマン・ショー』の場合は、それがテレビ局やスポンサーの利益のために行われ、
騙され続けているトゥルーマンを全世界の人々が見守っているのだから、より怖いです。
番組を作る側は、トゥルーマンというひとりの男の生活を覗き見させることを趣旨としているのに対し、
番組の視聴者たちは、まるで“ドッキリカメラ”でも見ているように、
ひとり騙され続けているトゥルーマンを見て楽しんでいるようにも思えました。
そして、自分もまた、テレビ『トゥルーマン・ショー』の一視聴者と化しているような気がして、
観終わった時に色々考えさせられる作品でもありました。
レベル4
それにしても、この作品にもまた“変な日本人”が登場してたなぁ・・・。