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ムービー・デイズニノの空女と女と井戸の中
天使が見た夢パパラッチノストラダムス
鳩の翼恋の秋フェイス知らなすぎた男

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ムービー・デイズ

60年代の初め。
アイスランドの街に住む人々にとって“映画を観る”ということは、一大イベントであり、
映画館に集まる人々は、みな最高のおしゃれをして来ているのだった。
10歳の少年トーマスの日々も、そんな大好きな映画と共にあった。
夏休み、トーマスの父は彼に田舎での生活を体験させるために、親戚の家に彼を預ける。
トーマスはそこで、様々な不思議な体験をするのだった。

まだテレビが普通の家庭には無かった頃の、映画が大好きな少年の物語。
アイスランドの監督、フリドリック・トール・フリドリクソンが撮った、
アイスランドとドイツとデンマークの合作という映画です。
大好きな『ニュー・シネマ・パラダイス』のような作品を期待して観に行ったのですが、
ちょっと想像とは違い、私には全くダメでした。
映画好きの少年の日常と、彼が体験した奇妙な出来事を断片的に見せているだけで、
ストーリー性もなく、そこから伝わってくるものは何もないのです。
あとで解説を読んでみたら、この監督の少年時代の体験記だったとか・・・・。
この監督の他の作品は観たことがなく、ファンとは言えない私にとっては退屈なだけの作品でした。
監督の自己満足に付き合わされただけって感じです。
レベル1

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ニノの空

フランスの“地の果て”と言われ、多人種の住むブルターニュ地方。
カタロニア系スペイン人の靴の訪問販売員のパコ(セルジ・ロペス)は、車で仕事をしている途中、
ふとしたことがきっかけで、風変わりなヒッチハイカーの男(サッシャ・ブルド)を乗せる。
ところが、イタリア産ロシア人で名前をニノと名乗るその男に、途中でパコは車を乗り逃げされ、
無残にも高速道路上に残されてしまった。
そこにたまたま車を止めた、通りすがりの女性マリネットは、そんなパコに同情し、
金もなく帰ることも出来なくなった彼を一晩家に泊める。
“ヒッチハイカーを乗せてはいけない”という会社の規則を破ったパコは、
容赦なくクビを言い渡されて途方に暮れるが、反面マリネットとの出会いには喜びを感じていた。
パコとマリネットはお互いに惹かれ合い、一緒に生活を始めるのだった。
そんなある日、偶然に街でニノに遭遇したパコは、反射的に彼を追いかけ、
殴り飛ばして入院させてしまう。
しかし、職を失う原因となった男のはずなのに、ニノの不思議な人柄と、
マリネットとの出会いを与えてくれた感謝の気持ちが交錯し、パコは彼を憎みきることは出来なかった。
毎日ニノを見舞いに行くうちに、パコとニノの間には奇妙な友情が生まれてくる。
一方、パコとマリネットの関係は、彼のついた小さなウソのせいで溝が出来てしまい、
その溝を埋めるべく、パコとニノはふたりで旅に出ることになる。

仕事の途中でたまたま社用車にヒッチハイカーを乗せてしまったために、
運命を大きく変えてしまうことになった男と、そのヒッチハイカーとの奇妙な友情の物語。
1997年カンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した作品です。
たまたま他人を車に乗せたことがきっかけでふたり旅をするはめになってしまった男たちの話といえば、
『八日目』にも似ている部分があります。
パコがニノを車に乗せ、それが引き金となってマリネットと出会ったり
会社をクビになったりしてしまうという、ストーリーの運び方がとても上手いですし、
いかにもモテそうな風貌のパコと、どう見てもパコの引き立て役にしか見えないニノが並んでいる画や、
ニノと居るうちに、二枚目であるはずのパコが三枚目に転じていく姿も面白いです。
フランスを舞台にしていますが、出てくる人物たちは、ほとんどが純粋なフランス人ではありません。
当事国の人間でなければ、深く理解することは出来ない、
純粋なフランス人でない彼らならではの立場や心境が織り込まれている作品だとも言えます。
その象徴とも言えると思うのですが、エンドロールでスタッフ・キャストの名前のところに、
その人がどこの国の掛け合わせの人間かということを表示するというアイデアは、なかなかのものでした。
欲を言えば、パコのラストシーンにもう少しひねりが欲しかった気がしますが。
レベル4

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女と女と井戸の中

長い間、広い農場で年老いた父親と二人で生活してきた中年女性ヘスター(パメラ・レイブ)のもとに、
若い家政婦キャスリン(ミランダ・オットー)がやって来た。
初めはぎこちない共同生活を送っていた彼女たちだったが、
次第に二人の間には不思議な親近感が生まれて来る。
やがて父親が亡くなり、遺産を相続したヘスターは広い農場と家を売って大金を手に入れ、
片隅に残した小屋でキャスリンと贅沢な暮らしを始めた。
ある夜、酔って車を運転していたキャスリンが、小屋の近くで男性を轢き殺してしまい、
怯えるキャスリンに代わって、ヘスターは死体を庭の枯れ井戸の中に捨てる。
翌日、小屋に立ち寄った近所の人から空き巣に遭ったという話を聞いたヘスターは、
小屋の中に隠しておいた大金が跡形もなく無くなっていることに気づいた。
二人は、昨晩轢き殺した男が空き巣だったに違いない、
ということは、金は男の死体とともに井戸の底にあるということだと考えた。
ヘスターはキャスリンに、井戸の底に下りて金を取ってくるように命じるが、
人を轢き殺した恐怖で、キャスリンは精神状態が不安定になっていた。

オーストラリアのアカデミー賞で数々の受賞をした、女性の新人監督の作品。
ブルーを基調にした映像と、オートスラリアの自然が融合した、美しい作品です。
ふたりの女性が親密になっていく経緯が少々分かりにくいのが残念でしたが、
同じオーストラリアの女流監督ジェーン・カンピオンの『ピアノ・レッスン』同様、
この作品も“言葉にせずに気持ちを語る映画”なので、
二度三度観るうちに主人公の気持ちに同化していくような気がします。
でも少なくとも、ヘスターがキャスリンに好意を抱いた瞬間というのは、
キャスリンがヘスターのピアノに合わせて歌った時だと感じましたし、
キャスリンは最初からヘスターを利用することしか考えていないようにしか見えませんでした。
冒頭にキャスリンが男性を轢くシーンがあり、
そこからキャスリンがヘスターの家にやって来たシーンへと時間が戻るため、
かえってふたりの関係が分かりにくくなってしまっていました。
冒頭のふたりが、まるで親子のように見えたので、
キャスリンが家政婦であることを納得するのに、ずいぶん時間がかかってしまったのです。
でも、それはもしかしたら、ヘスターのキャスリンに対する感情の表現だったのかもしれません。
後半、サスペンス色が濃くなっていくのも、面白かったです。
レベル4

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天使が見た夢

フランス北部の都市、リール。
街から街へと気ままに移り歩く生活をしているイザ(エロディ・ブシェーズ)は、
カフェで出会った男に、裁縫工場での仕事を紹介される。
イザはその工場で、マリー(ナターシャ・レニエ)という同年代の女性と出会い、
泊まる場所のないイザは彼女のアパートに泊めてくれるに頼みこんだ。
マリーが住む広いアパートは、交通事故で重体になった母娘の部屋のもので、
彼女はその母娘の親戚から頼まれ、留守番を兼ねて間借りしている。
性格は全く違うが妙に気が合うふたりはたちまち仲良くなり、
いつの間にかそこで共同生活を始めていた。
ある日、アパートの持ち主の娘サンドリーヌの日記を見つけたイザは、その内容に興味を持ち、
重体の彼女が入院している病院を訪ねる。
サンドリーヌは意識不明の昏睡状態で、彼女の母親は既に死亡していた。
見舞い客もない病室で眠りつづけるサンドリーヌに心を打たれたイザは、
それからしばしば彼女の病室を見舞い、彼女の回復のために日記を読んでやるようになる。
一方、アパートを追い出されることを恐れてサンドリーヌの回復を望まないマリーは、
そんなイザの態度に反感を持ち、ふたりは衝突を繰り返すようになる。
ふたりの関係がぎくしゃくしはじめた頃、
マリーは金持ちのプレイボーイ、クリス(グレゴワール・コラン)と出会い、付き合い始めた。
マリーがいつか捨てられ、傷つくことを恐れたイザは、彼女に付き合いをやめるように忠告するが、
クリスに夢中のマリーは、聞く耳を持たない。
イザとマリーの間に出来た溝は、どんどん深くなっていくのだった。

久しぶりに頭をガツンと殴られたような気分になりました。
この感触は2年前に『奇跡の海』を観て以来のものです。
この作品はイザとマリー、という2人の女性が偶然に導かれて出会い、
その出会いによってそれぞれの運命を変えて行くという物語。
そして、彼女たちの物語と平行して語られている昏睡少女サンドリーヌも、
イザとの出会いによって大きく運命を変えていきます。
3人の女性は、もしも出会うことがなければ決して進むことのなかった道を進み始め、
ラストシーンで、それぞれにひとつの結論を出すのです。
見事なまでに計算し尽くされた脚本と、細部までこだわった演出、
それに98年のカンヌ映画祭で主演女優賞をW受賞したという、
イザとマリーを演じた二人の女優の演技の素晴らしさも手伝って、
完璧な作品に仕上がっていました。
『奇跡の海』ではラストシーンの鐘の映像に不満を抱いた私ですが、
この作品には非のつけどころがありません。
レベル5

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パパラッチ

業界ではトップクラスの腕前を持つパパラッチ、ミッシェル(ヴァンサン・ランドン)は、
サッカー観戦中の不倫タレントの激写に成功し、その写真は見事にゴシップ誌の表紙を飾った。
しかしその写真には、夜警の仕事をサボってサッカー観戦に出かけていた、
中年男フランク(パトリック・ティムシット)の顔も写っていた。
仕事をサボっていたことがバレて、上司からクビにされてしまったフランクは、
抗議のために雑誌社に乗り込み、そこでミッシェルと出会う。
助手を務めていた青年が使えなくなったミッシェルは、
たまたま居合わせたフランクに、千フランで仕事を手伝わないかと持ちかけた。
ミッシェルが自分を陥れた写真を撮った本人だと知る由もないフランクは、
大乗り気でその仕事を手伝うことにする。
やがてパパラッチの仕事の面白さに目覚めたフランクは、ミッシェルと一緒に行動しながら、
次第にその刺激に満ちたパパラッチ生活に溺れて行く。

すごく面白かったです。
フランス映画ですが、まるでアメリカ映画のようなスピード感と迫力があり、
カメラワークも音楽もカッコ良かったです。
“パパラッチ”という言葉や職業は、決して印象の良いものではありませんが、
ミッシェルには不思議な魅力があり、彼に振りまわされるフランクの滑稽さも手伝って、
とても楽しく観ることが出来ました。
単にパパラッチという職業を描いているのではなく、
フランクとミッシェルという、2人の人物の性格や裏の生活をきっちり描いているため、
嫌な職業であるパパラッチの彼らを自然に応援している自分に気づくのです。
ストーリーも秀逸で、サエない中年男性フランクが、だんだんパパラッチとしてのし上がって行き、
逆にキレもののパパラッチ、ミッシェルがやがて撮られる側に回ってしまうという展開は、
とても見ごたえのあるものでした。
ゴシップ誌業界の裏事情を面白可笑しく見せてくれるのも、この作品の魅力の1つです。
レベル5

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ノストラダムス

幼い頃から未来を予知する能力を持っていたミシェル・ド・ノストラダムスは、
身内にふりかかる不幸などを言い当てていた。
やがて成長したノストラダムス(チェッキー・カリョ)は、人々を疫病から救うため、医学の道を志す。
しかしそんな彼を、時々悪夢や恐ろしい幻影が襲った。
そして医者として遠い町でペスト患者の手当てをしている間に、妻と子供をペストで失ってしまってからは、
その恐ろしい未来のビジョンはますます鮮明になり、彼を苦しめた。

1999年7の月、空から恐怖の大王が振って来る・・・・という、
有名なあの“ノストラダムスの大予言”のノストラダムスの生涯を描いた作品。
製作されたのは1994年ですが、阪神大震災や地下鉄サリン事件などが起こり、
被害に遭った方たちの心情や社会的影響を考えて、これまで日本では公開を控えてきたとのこと。
しかし内容はそれほど過激なものではなく、どう考えても日本の配給会社である東宝東和が、
その予言の年である今年を狙って公開したとしか思えません。
何て言っても、キャッチコピーは“観なければ生き残れない”ですから(笑)。
いつも過激なキャッチコピーが売りの東宝東和の宣伝文句を見て、一体どんな作品かと思いきや、
これはノストラダムスの伝記映画でした。
彼がどんな人間であり、どんな人生を経験してきたかということを説明するにとどまっているものです。
しかし、ひとりの人間の人生を語るには少々駆け足で、なおかつ詰め込み過ぎ。
それも、必要であろう時間経過の説明がほとんどないため、何だかよく分からない作品になっています。
歴史や時代背景に詳しい人が見れば、それなりに楽しめるのかもしれませんが、
そういうことに疎い私がこの作品を観て分かったことは、
ノストラダムスがとても善人で、女性にモテモテだったということくらいでしょうか。
ストーリー上で、彼が予言した数々の出来事については語られていますが、
“1999年7の月・・・・”という、最後の予言に関しては全く触れられておらず、
あくまで平和的に収められているので、何だか気が抜けてしまいました。
レベル2

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鳩の翼

1910年ロンドン。
没落した中流階級の娘ケイト(ヘレム・ボナム・カーター)は、
上流階級の世界にいる叔母モード(シャーロット・ランプリング)の後見人となったため、
その生活を厳しく管理されていた。
ジャーナリストである恋人マートン(ライナス・ローチ)との結婚も認めてもらえず、
叔母は彼女の結婚相手として、家柄のいいマーク卿(アレックス・ジェニングス)を選んだ。
しかし情熱的で意志の強いケイトは、そんな因習に囚われるのを嫌がり、あくまでマートンとの結婚を望んでいた。
ある時、ケイトは富豪の美しいアメリカ人女性ミリー(アリソン・エリオット)と親しくなるが、
ミリーはマートンに一目惚れしてしまう。
やがて、ミリーが不治の病に冒されて死期が近いということを知ったケイトは、
彼女に残された時間をマートンと過ごしてもらおうと決意する。
しかし純粋な友情の気持ちはやがて嫉妬に変わり、ケイトはある計画を思いつく。

98年のアカデミー賞で4部門ノミネートされた他、数々の映画賞を受賞した作品。
確かに役者たちの演技も美術も素晴らしいのですが、私はあまりこの話に乗れませんでした。
私自身が主人公の女性ケイトに魅力を感じなかったのが一番の理由です。
そのため、彼女に惹かれているマートンの気持ちも分かりません。
私はむしろ限られた時間を精一杯生きようとするミリーのけなげさに惹かれました。
だから、後半のケイトの腹黒さには腹が立って仕方ありませんでしたし、
彼女の策略に戸惑いながらも応じているマートンにもイライラしてしまいました。
ケイトが主人公のため、彼女の視点で話が語られているのが、
この作品に乗れなかった一番の理由だったと思います。
私は『鳩の翼』というタイトルは、
叔母に自由な恋愛を禁じられていたケイトの心情を表しているのだと思って観ていたのですが、
ストーリーの中で実際に言葉として出てきたのはマートンの心情でした。
それならば、最初からストーリーもマートンの視点で語ってもらっていた方が
より深くこの作品の意味するものを理解出来たような気がします。
不治の病であるミリーが、結局どういう病なのかもはっきりさせておらず、
あまり病気らしく見えなかったことも残念でした。
ミリーを演じたアリソン・エリオットは、『この森で、天使はバスを降りた』の主役パーシーを演じた女優です。
イメージがあまりにも違うので観ている時は全く気付かず、あとで知って驚きました。
レベル3

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恋の秋

ローヌ渓谷の小さな農園でぶどう酒づくりにうちこんでいるマガリ(ベアトリス・ロマン)は、
夫を亡くしたあと、娘も息子も家を出てしまい、ひとりで暮らしている。
強気で陽気なうわべとは逆に、彼女がとても孤独なことを察している親友のイザベル(マリー・リヴィエール)は、
新聞の結婚交際広告欄に投書して、彼女の結婚相手を探してやろうと企んだ。
一方、マガリの息子レオ(ステファーヌ・ダルモン)のガールフレンドで女子大生のロジーヌ(アレクシア・ポルタル)は、
マガリに自分の元恋人である哲学教師エチエンヌ(ディディエ・サンドル)を紹介しようとする。
マガリはエチエンヌの写真を見て、まんざらでもない様子だったが、
エチエンヌ自身はロジーヌのことが忘れられないままであった。
そして、マガリに事情を知らせないまま、イザベルが探してきた相手ジェラルド(アラン・リボル)が
マガリの前に現れる。

フランス映画なのに、フランス映画独特の“ねっとり”とした感じがなく、
78歳の監督が撮ったとは思えない明るさを持った作品。
各方面での評価は非常に高く、1998年のベネチア国際映画祭では最優秀脚本賞を受賞しています。
でも残念ながら、この作品は私の肌には合いませんでした。
“言葉にせずに語る”という作風に惹かれる私は、
絶え間なく続く言葉のやりとりに少々げんなり。
おまけに“人の恋愛の世話を焼く”という行為自体が好きではないため、
この作品の中で繰り広げられる恋愛ゲームに、私はついて行けませんでした。
とにかく、この作品の中の女性たちは徹底的に自分勝手。
振り回されている男性たちが気の毒に見えたのは、私だけでしょうか。
レベル2

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フェイス

ロンドン、イーストエンド。
“FACE”と呼ばれる武装強盗集団のリーダー、レイ(ロバート・カーライル)と4人の仲間たちは、
綿密な計画の上、武装して造幣工場に押し入った。
金を奪い、何とか警察を振りきって逃げた5人であったが、アジトに戻って奪った金を見ると、
それは小額紙幣ばかり。
数えてみると、予想より遥かに少ない金額であることが分かった。
彼らは分け前でモメたが、どうにかその取り分を決め、その場を解散した。
ところが翌朝、仲間のひとりデイブ(レイ・ウィンストン)がレイのところに現れ、
何者かに襲われた上に金を奪われたと言う。
レイは慌てて自分の分け前を隠してした友人の老夫婦の家に行くが、老夫婦は殺され、金も消えていた。
レイは他の仲間の所をも訪ねるが、ひとりは既に殺され、ひとりは隠し場所から金を持ち去られていた。
一体誰が仲間を殺し、金を奪って行ったのか。
レイたちは犯人探しを始めるが、そんな彼らを警察が尾行し始めていた。

この映画で私が最も注目したのは演出です。
ロバート・カーライルは『フルモンティ』の“情けない男”イメージが強く、
決して“いい男”でもないと思うのですが、この作品の彼は何だかやたらカッコ良く見えました。
ロバート・カーライルをカッコよく撮ることが出来る実力も然る事ながら、
近頃観た作品の中では、この作品のカメラワークの素晴らしさは群を抜いていました。
後半警察に進入していくシーンなどは、もう鳥肌もののカッコよさです。
いったいどんな人が撮ったのだろうと思ったら、アントニア・バードという女性の監督でした。
少し驚きましたが、才能ある女性監督の存在を知ったことはとても嬉しいことです。
『司祭』や『マッド・ラブ』という作品を撮った方なのですが、
私はこれらの作品を観ていないので、機会を見つけてぜひ観たいと思いました。
35歳だというこの物語の主人公は、24歳までは堅気だったが、その後強盗で生計を立てるようになったという男。
まともに働いていれば今の倍は稼いだに違いないという自覚はあるのに、強盗生活が止められない理由は、
まともに働きたくても世間が彼を受け入れないのか、あるいは彼が世間を受け入れたくないからではなのでしょうか。
それは彼が共産主義を捨てた、というところに深く関わっているのではないかとも思います。
しかし物語の途中で、元共産主義者だという背景が時折彼の心情に介入してくるのですが、
それがどういう意味なのか、共産主義者の心情自体が良く分かっていない私には非常に分かり難かったです。
それに加えて、人物の名前を覚えるのが苦手な私ですから、
5人の強盗メンバーの名前を覚えきれないまま物語がどんどん進行していってしまうという、
『L.A.コンフィデンシャル』状態に陥ってしまいました。
ようやく顔と名前が一致したところで、すでにミステリーの謎解きに入っていたのですが、
この“謎解き”の部分は『L.A.コンフィデンシャル』同様、大したことはありませんでした。
あくまで、登場人物たちの心情を描いた作品だと思うので、
その社会背景や登場人物の名前を把握しきれなかったということで、
作品を堪能しきれなかった消化不良の不満感が残りました。
ぜひ、もう一度観て確かめたい作品です。
レベル3.75

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知らなすぎた男

ウォレス(ビル・マーレー)は、自分の誕生日を祝ってもらうため、
アメリカから弟・ジェイムズ(ピーター・ギャラガー)の住むロンドンにやって来た。
しかし銀行家のジェイムズは、その日ドイツ人の投資家グループを自宅に招き、
商談を兼ねた大切なパーティを開かなければならない。
相手ができないジェイムズはウォレスのために、
参加型演劇体験ゲーム“ライブ劇場”のチケットを誕生日のプレゼントとしようと考える。
それは参加者が主役となり、俳優たちがその主役になった人物に絡んで、
街中で生のドラマを体験出来るというものだった。
昔から俳優志望だったウォレスは大乗り気でゲームに参加することを決めるが、
本物の殺し屋・スペンサーにかかってきた電話をゲームの開始だと勘違いし、
殺しの依頼があった指定の場所へと向かってしまう。
そこにはイギリスとロシアの平和条約に絡む陰謀が待ち受けていたが、
すっかり殺し屋・スペンサー役になりきったウォレスは、全てゲームだと思い込んで大胆不敵な行動を繰り返す。
一方、本物の陰謀に絡む人間たちは、そんなウォレスをアメリカからやって来たスパイと勘違いし・・・・・。

タイトルはヒッチコックの『知りすぎていた男』のパロディ。
私はこの『知りすぎていた男』という作品を見ていないので、
内容をパロっているのかどうかまでは分かりませんでしたが、
誕生日に弟から参加型のゲームのプレゼントをされるというくだりは、
マイケル・ダグラスの『ゲーム』にそっくり。
プロットはとても面白いのに、観終わった時すごく面白かったという印象は残りませんでした。
確かに笑えるのですが、それは一発ギャグに対する笑いです。
演出によってはもっと面白く出来そうなネタなのに、
コメディ顔の俳優、ビル・マーレーの一発ギャグの連続では、何かもったいないように思いました。
本物の陰謀に絡んだ人たちの関係が分かり難かったので、冒頭からストーリーに置いていかれた感があり、
それがコメディ部分の面白さを半減させてしまったような気もします。
レベル3

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