沖縄ミレニアム旅行記4
12月31日 (木) 晴れ
朝5時半頃に目がさめて、窓を開けてみたら……満天の星でした。今日はいい天気になりそう。1900年代最後の夕日は、期待できるかもしれません。
7時頃起床。廊下に置いてあるセルフサービスのティーセットで紅茶をいれて部屋に戻り、昨日「かりゆしおきなわ」の船員さんにもらったパンで朝食。大きなチーズ入りのパンが1個まだ残っています。これは明日のランチにしようっと。賞味期限は今日までだけれど……まっ、大丈夫でしょ。
昨夜部屋に戻って来たら、ドアにメモがはさんでありました。去年の夏、八重山の離島に「寿移住」した友人から電話があったとの伝言です。朝食後、さっそく連絡を取ってみます。ダンナさんと、今年の5月に生まれた子どもと一家3人で石垣島に買い物に来るというので、離島桟橋で待ち合わせして一緒にお昼を食べようと約束しました。
「楽天屋」をチェックアウトした後、離島桟橋へ。八重山観光フェリーで竹富島への往復のチケットを買い、大きな荷物をロッカーに預けてから、離島桟橋のベンチで待つことしばし。やがて離島からの船が入ってきて、彼女たちが降りてきました。
今年のゴールデンウィーク、水納島から石垣島に渡って、当時八重山病院に入院中の彼女のところにお見舞いに行ったところ、ダンナさんの親族一同が集まっていて仰天しました。なんと「ついさっき生まれた」ところだったのです。通常出産直後の母子にはとても会うわけにはいかないのですが、ダンナさんが「友人がわざわざ東京から来てくれたんだから(ちょっと事実と違うんだけど……まっ、いっか)」と看護婦さんに頼み込んで、彼女のほうにはちょっと会わせてもらいました。でも子どもの顔ははじめて見ます。目がとても大きいのにびっくり。さすがウチナンチュとのハーフ。
ダンナさんが買い物に行っている間、ひさびさに会った彼女と話がはずみました。離島暮らしはいろいろ大変なことがあるとは思うけど、それなりに楽しくやっている様子にひと安心。
彼女は、つわりが起きた時にピイヤーシの匂いをかぐと気持ちが悪くなって、大変だったという話をしてくれました。普段はどこに生えているかもわからなかったのに、その時はどこに生えているかすぐにかぎ当てられるようになったそうです。
「それがさぁ、家の回りの石垣の上にぐるっと生えてるんだもの。まいったわよ〜」
近所の家に不幸があった時、突如知らないおじさんが家に上がり込んできたのにもびっくりしたそうです。島の外からご焼香にやってきた親戚の人が、訪問先を間違えたということらしい。表札もなければ門扉もない、沖縄の離島ならではの話でしょう。
買い物から戻ってきたダンナさんと合流し、バスターミナル横の「山海亭」でお昼を一緒に食べた後(「魚汁ランチ」おいしかったです)、わたしは一家と別れて竹富島へ渡りました。船が港を出る時、そこに停泊していた2隻の大型客船が目に入りました。一隻は「飛龍」でしたが、もう一隻は「いしかり」とあります。船籍は名古屋。なんでこんな船がこんなところに? と思いましたが、その夜のニュースで謎が解けました。「いしかり」は太平洋フェリーの船で、ふだんは名古屋と苫小牧を結ぶ航路に就航しています。年末には恒例の特別クルージングがあって、石垣市と稚内市が姉妹都市という関係なので、北海道から流氷を積んでくるのだそうです。
さて、いよいよ竹富島に上陸です。
「松竹荘」に到着し、美智江おばさんが出してくれた手作りサーターアンダギーとコーヒーで一服。おばさんが「預かりものがあるわよ」と封筒を渡してくれました。中に入っていたのは、石垣島在住の沖中夫妻の手紙と、2冊の本。一冊は「いしがきにっき まめにっき 見ちゃったよ」という文庫本サイズのかわいい本で、もう1冊は「トゥンナ」という雑誌です。
沖縄ファンクラブの八重山旅行の時に、沖中夫妻の作った「いしがきにっき」を偶然見かけて買い、その内容に感激してファンレターを出して以来のおつきあいで、今回の「トゥンナ」にも、わたしの原稿をのせていただきました。そのお礼ということで、わたしが松竹荘に滞在することを知っていた沖中さん(夫)が、用事があって島に来たついでに置いていってくださったのです。旅先での思いがけないプレゼントって、なんだかうれしい。
宿帳を書こうとしたら、おばさんが「今日はインターナショナル民宿よ」と言いました。なんと泊まり客の半分が、アメリカ人の英語の先生だったのです。男女あわせて6人。ここに来る前は石垣島でキャンプしていたらしく、裏庭には、キャンプ道具が広げて干してありました。
泊まり客の残り半分(日本人組)は、カップルが2組と男性がひとり(島旅ML会員の大谷さん)でした。
しばらく美智江おばさんとおしゃべり。当然ながら、話題はY2Kのことになります。おばさんいわく、
「わたしたちは戦後なーんにもない所からはい上がってきたんだから、何があっても大丈夫よ。水さえなんとかなれば、食べるものはまわりにあるし、石を3つ拾ってこれば、鍋が置けるでしょ。そうすりゃ何だって作れるし」
うんうん。ごもっとも。ここにいれば大船に乗ったようなものだなー、とうなずきながらも、わたしは美智江おばさんがなにげなく言った「石を3つ」という言葉にはっとしました。
沖縄のあちこちでは、いまも「ヒヌカン」と呼ばれる火の神様がおまつりされています。そのご神体は、石を3つ、三角形にならべたものなのだそうです。
河村只雄という社会学者の本の中に、電気もガスもなかった昔、火はなによりも尊いもので、それを象徴するのに火が常に燃やされ、日々の糧が料理された「カマド」が崇拝の対象となったことは何ら不思議ではなく、3つの石はそのカマドを象徴するシンボルなのではないかとあります。
つまり、「3つの石」は人間に「健康で文化的な生活」の最低限を保証する基本の基本ということであり、沖縄の人たちはそれを神様として敬意を表すと同時に、今でもちゃんと生きたサバイバル知識として伝えているわけです。やっぱり「沖縄の知恵」は深いぞ。
夕方、西桟橋に夕日を見に行きました。1900年代最後の夕日をねらってほかにも何人かカメラを持って集まっていましたが、なぜか夕方になって雲が厚くなってきてしまい、夕日はその向こうに隠れてしまいました。時折雲の隙間から光が斜めに海面を照らし出し、それはそれできれいなのですが、結局お日様の姿は全然おがめないまま日没時刻となってしまいました。ううん、残念。
夕日はついに現れず……
夜、みんなで泡盛飲みながらNHKの紅白歌合戦を見ていたら、「12時になったら石垣島で花火をあげるらしいよー」という情報が入ってきました。
見に行こう、とみんなで港の桟橋まで歩いていくことにしました。途中の道でホタルを見かけました。昨年6月に竹富島に来たときにも見かけたオオシママドボタルです。前回は幼虫ばかりでしたが、今回は成虫も混じっていてふわふわと飛んでいるのもあり、闇に目が慣れてくるとけっこうたくさん飛び回っているのがわかります。
桟橋につくと、他の民宿の人たちも集まってきました。本当にあがるのかなぁ、それはそうと、誰か正確な時刻わかる? とガヤガヤやっているうちに、対岸の石垣島から花火が……そして石垣島の港にいる船(「飛龍」や「いしかり」もいたはず)が一斉に汽笛を鳴らしました。その音が海の上を響いてつたわってきます。
実に感動的な一瞬で、思わずみんなで拍手喝采。一緒に来ていた外人さんたちが「Happy New Year!」と歓声を上げます。2000年は、新たな年の幕開けにふさわしく、インターナショナルな雰囲気のもとで明けたのでした。
2000年の瞬間(写真提供・大谷さん)
花火は108発打ち上げられたようです。終わってからみんなで集落に戻り、西塘御嶽(にしとううたき)に初詣をしてから、宿に帰りました。