宮古への旅2007 その4(2007.6.23 - 27)
6月26日(火)晴れ
朝、またセミの声で起こされる。今日は朝の船で宮古島に戻る。
朝食後、出発まで少し時間があるので佐和田浜まで散歩。
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朝の佐和田の浜 |
浜の案内板 |
雷太さんに港まで送ってもらう途中、秘密の絶景ポイントに案内してもらう。いくつかあるそうなんだけど、高所恐怖症の気があるのであまり怖くないやつを……
とはいえ、道端に車を止め、藪をかきわけでっかい蜘蛛の巣をはらい(払ったのは雷太さんだけど)、曲がった木の幹を乗り越え……宮古諸島にはハブがいないから出来る業だけど、かなりサバイバルなルートでした(BGMは「インディ・ジョーンズのテーマ」でお願いします)。で、たどりついたのはやはり崖っぷち。
確かに、凄いほど海がきれいなポイントだった。
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透き通った海 |
地球は丸いなぁ…… |
再び「スーパーライナーはやて」に乗り込んで宮古島へ。平良港でマイミクのあびかるさん夫妻のお出迎えを受ける。あびかるさんとは初対面だが、実はもうひとりのマイミク上運天さんの紹介。わたしと上運天さんとの出会いも(石垣島の「琉歌」だったけど)以前書いたことがあるけど、なかなか面白い縁だと思う。
今回宮古に行くにあたり、向こうを案内してくれる人がいないかなーと言っていたら、上運天さんが、以前名古屋に住んでいて、最近宮古に移住した「おもろい夫婦♪」がいると紹介してくださったのがあびかるさんとその旦那さん。会ってみてわかったのだが、旦那さんはもともと宮古の人で、確かにひと目見て「あ、宮古の人だ♪」とわかる風貌と苗字の持ち主でした(笑)。
とりあえず、今日のお宿「ゲストハウスゆくい」まで行って、荷物を置いてから、島を回ることにして、宮古三角形の左側の一辺を北上。狩俣をめざす。
狩俣は宮古三角形のてっぺんにある集落。このあたりは宮古の古い習慣が色濃く残っている地域で、すぐ南には、奇祭「パーントゥ」で有名な島尻集落がある。
……と聞いていたから、竹富島や波照間島のような、フクギと石垣に囲まれて静まり返った集落をちょっと想像してたのだが、行ってみたらそうでもなかった。
県道沿いに鉄筋コンクリートの家が立ち並ぶ、ごくごく普通の集落。(最も時間がなくて集落の奥まで行けなかったので、歩き回ってみたらまた別の印象を受けたかもしれない)
「ゆくい」も県道を入ってすぐのところにあった。
ここはわたしにとっては「伝説の宿」。ここの女主人るみネェさんはわたしの三線の兄弟子浜岡さんのイトコにあたる人だし、島旅を通じて知り合った多数の友人(D介さん、せんべぇさん、文吉さん……)が泊まったことがありその話を聞かされている。もちろん夜な夜な狩俣産の泡盛「千代泉」で酒盛り、という噂も……(笑)
宮古に行く時はぜったいに泊まろう、と決めていた宿だ。
最初の観光地は雪塩製塩所。狩俣のはずれ、二又になった岬(右は池間大橋に続く世渡岬、左は西平安名岬)の間にある西の浜(波照間島のニシハマと同じで、たぶんこの「ニシ」は北の意味だと思う)のほとりにある、工場というにはこじんまりとして、やっぱり製塩所の名がふさわしい建物だ。
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雪塩製塩所&あびかる夫妻 |
西の浜。むこうは西平安名岬 |
ここは台風の時以外は年中無休。いつ行っても、おそろいのかりゆしウェア着たスタッフが、工場見学のガイドをしてくれる。わたしたちもさっそく説明を受けた。
説明はまず、西の浜のすぐ近くにある地下海水汲み上げパイプから始まる。これだけきれいな海水だったらそのまま汲み上げてもいいんじゃないのとも思えるくらいだが、琉球石灰岩という天然のフィルターを通ることによって、不純物がなくなり、ミネラル分が増強されるわけで、それを煮詰めて熱〜い鉄板に吹き付け、瞬時に水分を蒸発させてさらさらのパウダースノーのような塩をつくるところがミソ、というわけ。
西の浜の向こうには、今日の観光ツアー最後をかざる予定の西平安名岬が見える。もともと西平安名岬には風力発電の風車が4本立っていたのだけど(一時期は実験用とあわせて5本立ってたこともあるらしい)、2002年の台風で1本折れ、2003年の台風(マエミー)で2本折れて、残った1本も羽根が吹っ飛んでついこの間まで「棒だけ状態」になっていた……最近ようやく羽根の修復が完了し、単独操業開始。ちょっと寂しいけれど、ひとりでけなげに頑張ってる姿はかわいくもある。
実は七又海岸にも風車が2本立っていたのだけど、2003年の台風で全滅。今は跡形もない。
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説明係のニーニー |
雪塩のできるまで |
雪塩特製パッケージ |
工場見学の後、売店で雪塩を大量に買った。もちろんみんなへのお土産用。
ここでしか売っていない特製パッケージ入り雪塩はお土産に最適。日持ちするし、東京じゃお台場の高級イタリア料理店のメニューにまで出てくる「ブランドお塩」だから知名度もばっちり。会社用やら友達用で10箱ほどお買い上げ(笑)。
それから、名物「雪塩アイス」を食べた。
カップとコーンの2タイプがあって、わたしが食べたのは下にコーンフレークが入っているカップタイプ。暑さで溶けるのが速いから、コーンタイプは急いで食べないと大変なので(ドイツ村のマンゴーアイスで学習済み)。
以前銀座のわしたショップで「雪塩アイス」を特別販売してたことがあって、食べてみたことがあるんだけど、その時は、甘じょっぱくて微妙な味だなーと思った。
ところが、ここで食べるとほんとに美味しい。
まわりの雰囲気もあるし、ここまででたっぷり汗かいて体からミネラル分が抜けてるせいもあるのかな。
次に池間大橋を渡って池間島を一周した。
いやここの海もまた、とんでもなくきれいで感動した。池間大橋から見ると、ところどころに浅瀬やサンゴ礁があるために、さまざまな青色の濃淡のバリエーションが見られて、今日のこのまぶしいほどの日差しのおかげで光り輝いて見える。
昔初めて波照間島のニシ浜を見たとき以来の感動かもしれない……ていうかそれの二倍かも。だって橋の両側なんだから(笑)。
お昼は砂山ビーチの近くの「まほろばの里」で。
本当はここの民謡ショーが目当てだったんだけど、ショーは土日しかやっていないらしい。残念。お庭でソーキそばを食べ、涼しい喫茶コーナーに移ってマンゴージュースを飲んだ。
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まほろばの里 |
トイレの屋根シーサー |
平良地区まで戻って次に盛加井(ムイカガー)へ。これは住宅地のど真ん中にある昔の井戸。といっても、これまたかなり大きなドリーネの底に湧いている泉まで階段で降りていくという構造。伊良部島の通り池から水を抜いて、あたりに草木を茂らせたらこんな感じになると思う。
階段をずーっと降りて岩陰に入ると、急に空気がひんやりとして、涼しくなる。しかしさらに降りていき、水の湧いているところまで行くと、岩陰で光が当らないので真っ暗。携帯電話についているライトで照らしてみるまで、水場がどこにあるかもわからなかった。いちいち松明持参で行くはずはないし、昔の人はどうやって水汲みしてたんだろう。謎だ。
まだ時間に余裕があるから、ということで、島をぐるっと一周することに。島の中心を通って宮古三角形の右側の一辺に出て、そこから海沿いの道を走る。とはいっても、こちら側の県道はちょっと内陸を走っているので、海はそれほど見えず、ひたすらさとうきび畑の中を走る格好になる。
最初の日に来た東平安名崎から七又海岸のコースを取って、「ムイガー」へ。ここも断崖絶壁の下に水が沸いてるのだが、水量が多いので、崖の上からのぞいても、水槽からあふれ出ている水が見える。下までかなり距離があるので降りていくのは断念。
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ムイガー近くの海岸 |
この標柱のそばに降り口がある |
この崖の下がムイガー |
中心街平良の西里通りに戻って、お土産を買い込んでふたたび島の北部へ。最後の目的地は西平安名崎。
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西平安名岬先端から根元方向の眺め |
宮古には山はない。山のように見えるのは大神島。 |
岬の先端へは、琉球石灰岩のごつごつした岩場を歩いていくことになる(だからできればスニーカー履いてったほうがいい)。波が打ち寄せる岩場のあちこちでは、釣り人が糸をたれている(アイゴやタマンが釣れるとか)。
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向こうは池間島 |
池間大橋 |
岬の先端に行く途中、変なモノに遭遇した。
あちこちに刻み目の入った一本の木の柱……トーテムポールの出来損ないみたいな……
(写真撮ってくるの忘れた)
「なんでこんなとこにこんな柱が立ってるわけ?」としばらく考えていて、はたと思い当たった。
確か西平安名岬には、ここから色々な地点(東京、那覇、台北、石垣など)の方向と距離をしめす「道しるべ」が立っていたはず。(当時の写真はささきさんの旅行記に出てます)
つまり、それぞれの地名と距離が書かれていた表示板が、ぜーんぶ台風で吹っ飛んだわけだ。絶句。
岬に行く途中の道には宮古馬の小屋があって、数頭の馬が飼われている。
西平安名岬からの帰り、近くに車をとめて見に行った。
日本に数種類いる在来種のうちのひとつで、小柄でかわいい馬だ。
再び「ゲストハウスゆくい」まで送り届けてもらって、あびかる夫妻とお別れ。本当にありがとうございました〜。
「ゲストハウスゆくい」は、前に広い芝生の庭を持つ鉄筋コンクリートの建物。県道に近いほうが平屋の食堂棟、奥が二階建ての宿泊棟になっている。わたしの部屋は二階の一番手前。部屋を出るとすぐ前が食堂棟の上で、海の見える広いバルコニーになっている。ここがまた見晴らしがよくて気持ちがいい。もっとも夏の昼間は暑くてまぶしくて大変(その分洗濯物がよく乾くけど……)。
このあたりで泳ぐ、となると、雪塩製塩所のある西の浜に行くか、集落の前(西側)の浜に出るかだという。でもるみネェさんによれば「今日は風あるから波も出てるしねぇ……」とのこと。西の浜はちょっと距離があるので自転車と気合が必要だなぁ、と思い、散歩がてら集落の前の浜まで行って見ることにする。
県道を渡って、狩俣集落センターの前を通り、サトウキビ畑の中を歩いていくと、やがて浜に出た。
しかし風が強くて波も荒く、ちょっとここで泳ぐ気には……
あきらめて引き返し、県道沿いの狩俣購買組合に寄ってアイスキャンデーを買い、「ゆくい」の芝生の庭のベンチに座って食べた。
部屋に戻って休憩しているうちに夕食の時間になる。
ボリュームたっぷりの夕食(食べ切れなくて「ゆし豆腐」残した。悔しい〜)が終わると、いよいよ泡盛タイム。
テーブルには昔東京じゃ「泡波」と並んで「幻の泡盛」と呼ばれた「千代泉」の一升瓶が無造作に置かれ、各自適当にグラスに氷を放り込んで一升瓶からドボドボと泡盛を注ぐ……そうそう、ここのお酒はあらかじめ水で割ってあるからビール感覚で注いでも大丈夫。「ゆくい」ではビールは有料だけど泡盛はセルフサービス飲み放題、という、泡盛好きには天国のようなお宿である。
始めは同宿の人たちと呑んでいたが、そのうちに地元の人たちが遊びに来た。今夜は池間大橋のたもとにある海の家のオーナー夫妻と、ガラスボート(宮古ではグラスボートのことをこう言う)の船長さん、海の家でバイトしているネーネーという顔ぶれ。さっそくみんなで乾杯。
座が盛り上がるにつれ、いろいろな話が飛び出す。面白かったのが「伊良部島民の下ネタ好き」と「サバぬにゃーん」。
「伊良部島民の下ネタ好き」……そもそものきっかけは伊良部島の「びらふやー」での話。遊びに来ていたゲストハウス「イラブラブ」のヘルパーやってる女性がこぼしていたのが「伊良部のおっちゃんのセクハラ発言」。
そういうセクハラ発言(笑)の有無で、もともとの島の住民かそうでないかが即座にわかるのだとか。
(「びらふやー」のオーナー雷太さんによれば、おっちゃんに限らずおばちゃんの発言も相当なもの、らしい)
宮古の人なら誰でも知ってる常識なのだが、伊良部島の佐良浜と、宮古島の西原の住民はもともと池間島から移住した人たちで、今でも池間島独特の言葉や習慣を守り「池間民族」と呼ばれている(それも往々にして「誇り高き」という接頭語がつくらしい)。
腕ききの海人(ウミンチュ)が多いらしく、この点小浜島の細崎や与那国島の久部良に移住して村を作った糸満海人と似た感じがする。
で、その「池間民族」であるところの海の家オーナーKさん(ボスと呼ばれている)や船長のNさんに言わせれば、佐良浜の人は「はっきりスケベ」なのだそうだ(爆)。
ま、好意的に言えば、おおらかであけっぴろげ、とでも言いましょうか。
(Kさん&Nさんいわく、「むっつりスケベよりはっきりスケベのほうがいいさぁ」……いやそれはどっちも……)
だから伊良部島に行ったら、少々の下ネタ話には動じない根性を養っておかないと地元民との交流は無理、ってことなのかな。幸か不幸か今回はそこまで交流を深める機会はなかったので(笑)。
「サバぬにゃーん」というのは、宮古のイケメンミュージシャン、下地勇を世に出すきっかけとなった曲。タイトルだけでは意味不明のためか「Lost my sandal」というサブタイトルがついている。「島ぞうりがない〜!」という意味。
先日NHKの番組「トップランナー」に下地勇が出て、その時歌った「サバぬにゃーん」にわたしはお腹抱えて笑ったのだけど、その話題を持ち出したら案の定、島じゃあんなことは日常茶飯事なのだとか。
「ゆくい」のニーニーは「サンダル履きで出かけてゴム長履いて帰ってきたことある」とか言うし(メンバーに海人が混じってると往々にしてある事なんだとか)、「人に履かれたくないぞうりの時は、着いたらまずぞうりを隠す」だとか、「時々みんなが帰った後余ってることがあるよね(いったいどうやって帰ったんだよ)」とか、とんでもないエピソード続出。またまた爆笑させられることに。
オトーリ回して、わたしもひさびさに三線ライブやって(好評でした。民謡酒場紹介するから宮古に移住しないか、と言われた……(^^;))、島の夜は楽しくふけていくのでありました。
(結局四夜連続酒びたり……orz)