三線子持節(くゎむちゃーぶし)

去年(2005年)わたしが優秀賞を受験した時、本調子の課題曲が「作田節」で、ニ揚げの課題曲がこの曲でした。
以来何度もうたっている曲で、今では大好きな「干瀬節」より好き、とまでは言えなくても、より自分の気持ちを込められる唄になってきたような気がします。もうじき開催される野村流音楽協会関東支部35周年記念公演では、なんとこの曲で独唱デビューすることになりました。
できれば「唯ねーの十八番」にしたい、という野望も……(^^;

誰よ恨めとて なきゆが浜千鳥 (たるゆうらみとぅてぃ なちゅがはまちどぅり)
あはぬつれなさや 我身も共に (あわんちりなさや わぬんとぅむに)  

意味:
 誰を恨めしく思って鳴いているのか浜千鳥よ
 逢えないでいる辛さは わたしだって同じなんだよ

この歌には有名なエピソードがあります。
知念績高という琉球古典の大家が、ある時「子持節」の名人がいるという評判を聞いた。さっそくその人の家を訪ね、歌ってきかせて欲しいと頼んだところ、その名人は承知したもののどこかへ出かけたままなかなか帰ってこない。
いったいどうしたんだろう、と思っていたらやがて、奥座敷から涙なしには聴けないようなすばらしい「子持節」がきこえてきた……
その名人は歌うにあたって、自分が亡くした子どもの墓参りをして、悲しみを新たにしてから歌ったのであった。

そのためか「子持節」というタイトルのせいか、この歌は一般的には「子どもを失ってなげき悲しむ親の歌」と思われているようです。実際、組踊「女物狂」ではそういうシチュエーションで使われているようだし。
でも、歌詞をよーく読んで見ると、確かに別離の悲しみをうたう歌ではあるけれど、その相手は家族とは限らない。恋人でも片思いの相手でも、成立可能。ぶっちゃけた話、「思う相手に振られた悲しみを、浜辺をさまよいながら千鳥相手に愚痴っている」というシチュエーションもありかな、という気がするのです。

そのほうがいっそわたしの心情にはぴったりくるのですが……(自爆)。

[参考]
「わかりやすい歌三線の世界」勝連繁雄著 ゆい出版
「沖縄三線 節歌の読み方」大城米雄編著 沖縄教販


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