やっぱり馬も好き


第6話

京阪電鉄淀駅を降りて、高鳴る胸を押さえ足早に向かう。
先日、初めて京都競馬場を訪れる機会を持つことが出来た。
ライスシャワーの記念碑に手を合わせ,さっそくパドックへ。
運の良いことにその日はちょうどエリザベス女王杯だった。

“ライデンリーダー”多くのファンの期待を背負って、
笠松から中央4歳牝馬GTレースへ挑戦したことは云うまでもない。
しかし、桜花賞・オークスでは期待を裏切り着外に終わり、
この日はとうとう4番人気までに落ちていた。
パドックでの彼女は馬体減りはないのだが、どことなく小さく見えた。
結果は、ついに夢はかなわず・・・。

今こうして、ライデンリーダーの走る姿に声援をおくれるのは、
実はある人たちの努力があったからなのである。

“テンポイント”この馬のドラマは、古い競馬ファンなら誰もが知るところである。
競馬とは?の問いに「テンポイント」と答えるファンのひとりが僕である。
その物語は、北海道の吉田牧場から始まる。

その昔、テンポイントの祖母“クモワカ”は、桜花賞2着の成績をあげながら、
翌S27年農林省から伝染病の疑いをかけられ、
京都県知事より薬殺処分の命令が下された。
馬主たちは処分したように見せ、密かにかくまい、
それから数年後、別の名前で登録を行ったのである。
クモワカはすでに数頭の子供を産んでおり、病気は誤診であったと思われたが、
馬主たちのとった行動は当然不備とされ、軽種馬登録協会との衝突を生んでしまう。
県知事の薬殺処分は、馬主の申し出により取り消しとなったが、
競馬界への登録は認められなかった。
しかし、馬主は長年にわたる協会との裁判の末、勝訴。
クモワカと、その子供たちの登録が認められることになる。

クモワカの子供の1頭“ワカクモ”は、
S41年母の果たせなかった桜花賞のゴールを1着で駆け抜けた。
クモワカが疑いをかけられ、ワカクモがその無念をターフで晴らしたのだ。
その名前は、馬主の意地だったのだろう。

ワカクモは引退後、テンポイント・オキワカなど5頭の母となる。
そして、“オキワカ”の子供こそ、あのライデンリーダーの父、
“ワカオライデン”なのである。

クモワカが薬殺されていれば、ワカクモもテンポイントも、ワカオライデンもそして、
ライデンリーダーもこの世には生まれていなかった。

ある1つの名馬の命が守られたことで、いかに多くのドラマが生まれ、
そして感動を与えてくれたことか・・・。
ライデンリーダーの血統表をながめながら思いにふけった夜であった。
馬は知る由もないことだが・・・。


このエッセイは、みみきち特派員がH7年にある紙面に載せていただいた時のものを、
そのまま掲載してあります。


第1話
第2話
第3話
第4話
第5話

第6話
home