harvest rain


 降雨艇がもたらした雨の後は、開拓の民の谷には、一向に雨は降ってこなかった。  空気の流れを測定していると、時折南から谷へと吹き降ろしてくる風が観測されたが、 どの風も雲や雨を連れてくるまでの勢いまでは、無かった。  そうして、開拓の民の集落は乾いたままの五の月を迎えた。  すっかり慣れた手付きで、娘は井戸の底に鉄の容器を下ろして、細い水脈から水を汲 み取る。開拓の民の命綱であるこの井戸の水も、はじめて此処で水を汲み取った頃より も随分水位が低くなっている。毎朝の仕事だけに、着実にこの谷に水が不足しているこ とを突きつけられているようで、気象官の娘を不安な気分にさせる。  唯一の水源がある井戸の周りは、必然的に開拓の民達の集会所になり、広場となる。  毎朝、娘が畑を潤すための水を汲みに来る時にも人は沢山居たが、とりわけこの朝は 生き生きとした声が飛び交い、楽しそうな賑わいが周囲を包んでいた。 「今朝は妙に賑やかですけど、何かあるんですか?」  集落の仕事があるという少年の代わりに、一緒に水汲みに来たトキに尋ねる。 「ああ、五月の祭りの準備が始まったんだよ。祭りは年に二回の楽しみだからね。」  軽々と幾つもの水の容器を抱えながら、賑わいに目を細めてトキが答えた。  そう言えば、この集落に降りた時に、ちょうど五月の祭りの頃まで滞在することにな る、といった話をトキとしていたことを、娘はふと思い出した。  気がつけば、時間はあっという間に過ぎて、もう都市へと帰還する時期が来ている。  自分はこの谷間で、ろくに水の足りない開拓の民の手助けもできないまま、結局何を 学ぶことができたのだろう、と軽くため息を浮かべた。 「……それに今年は、この一回だけになるかもしれないからね。」  ぽつりと付け加えたようにこぼれた、トキの一言。その思いがけない言葉に物思いか ら還って、娘は尋ねるようにトキの横顔を見た。 「五月の祭りには、収穫を祈る他にもう一つ意味があるんだよ。お世話になったその土 地とのお別れ、という意味がね。」 「……どういうことですか?」  今度は、はっきりと言葉にして、尋ねる。 「初夏になっても秋に収穫を迎える見込みがなければ、開拓の民は集落をたたんで、冬 を越えられるように別の集落へと移るんだよ。今年も、このまま水が足りなければ、お そらくこの土地とは別れることになるだろうね。」 「そんな、せっかくここまで育ててきたのに……。」  それまで娘の中でずっと漠然と抱えていた不安が、不意にトキの言葉の中ではっきり と現実の形を取り、その現実が娘の言葉を詰まらせる。 「そりゃあ淋しいけれど、こればかりはどうしようもない、私ら開拓の民の宿命さね。 あら、そう言えば……。ほれヨシノさん、あそこでうちの子が仕事してるから、ちょっ と行ってきなよ。ほら、水はあたしがここで持っててあげるからさ。」  元気付けるように娘の肩を叩いて、少し悪戯っぽい表情で、トキは井戸の広場の一角 を示す。遠目に見てみると、少年の周りに、開拓の民の幼い女の子や歳若い女性が何や ら集まっていた。さらにその娘達を遠巻きにして囲むように、人々がその様子を見物し ている。  トキに半ば背を押されるようにして、何処か狐にでもつままれたような風で、娘は少 年のもとへ近寄った。見ると、女の子や娘達が少年の手にした籠から、くじ引きのよう にひとつずつ何かを取っている。  しばらくぼんやりと眺めていたら、気がついたら人の流れに押されて、少年の前まで 来てしまっていた。少年は、来たのか、といった表情を一瞬見せて、娘に籠を差し出す。  雰囲気に押されるまま、手を入れて、豆のようないびつな玉を取った。  そっと開いてみると、手のひらの上に、真っ赤な大豆の粒が、ひとつ。  それを見た周囲の女性達や見物人達から、一斉に拍手と歓声が巻き起こった。 「え、何? 私、何かしたの?」  驚いてきょろきょろと見回すと、拍手に混じって、気象官さんが当たりを引いた、今 回の祭りの巫女は気象官さんだ、だの開拓の民の興が乗った声が聞こえてくる。  どういうこと、と慌てて振り向いた娘に、少年は肩をすくめて返した。 「まあ……、雨を祈る巫女さんの務め、がんばってな。」  珍しく、小さく悪戯っぽい笑みを、ふわりと浮かべて。     *

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