harvest rain


 くじ引きで赤い豆を引いてからというもの、その日は開拓の民達からあちこち引っ張 り回されて息をつく暇もなかった。  巫女の歌う歌を憶えさせられたり、舞い方を教えられたり、果ては祭りの衣装の試着 とかで、はしゃぐ娘達にまるで着せ替え人形のように民族衣装を着させられたり。  ようやく解放されたのは、もう西の丘陵の影に夕陽が半ば隠れた頃だった。 −−気象官の私が、雨を祈る巫女の役なんて、なんて皮肉なのかしら。  夕暮れの集落を歩きながら、早朝、トキに聞いたこの土地との別れの話を思い返しな がら、ぼんやりとそんなことを想う。  南に連なる峰が、切り立った黒の影になって空を切り取る。夕暮れの柔らかい光は、 いつも通りの風を受けて空に舞う青い砂をちらちらと輝かせながら、緩やかにその彩り を変えてゆく。  そんな風景を目を細めて眺めると、『燈火』で自分が降りてきた日のことが、随分遠 い過去のように、思える。  トキの天幕まで帰り着くと、そんな夕刻の紅い光に包まれて、杭に座ってぽつりと少 女が娘の帰りを待っていた。  心細そうに俯いて、西日に照らされた地面に小さな影法師を落として。  そう言えばここの所、少女は何処か落ち込んでいて、元気が無いように見えた。  今思うと、雨が降らずにこの土地から離れることへの、不安だったのだろうかと、漠 然と娘は思う。そして、その考えは気象官である自分の無力感を否応なく募らせた。  そんな少女の隣に、ふうと息をついて娘は座った。何処に行ってたの、といった風情 で少女が娘の顔を覗きこむ。 「お祭りの巫女に当たっちゃって、まる一日修行させられてきたの。」  そんな娘の言葉に、よくわからない、というように少女は首を傾げる。 「土地への感謝と雨が降るようにとの祈りを込めて、祭りの広場で歌を捧げるんですっ て。私、お邪魔してるただの研究員だし、歌上手くないから嫌だって断ったのに……。 何だか、まるでみんなのおもちゃみたいだったわよ。」 「うたって、どんなの? ねえ、試しにやってみせてよ。」  ぶつぶつ言いながらむくれる娘に軽くくすくすと笑いながら、少女は返した。 「だから、私は歌は上手くないんだってば……。」  ちょこんと座ったまま上目遣いでじっと娘を見つめる、期待を込めた少女の深い青の 瞳がそんな抗議の言葉を詰まらせる。じゃあこっそり練習の代わりにね、とため息をつ いて、娘はそっと息を吸う。  そうしてたどたどしく小さな声で、憶えたばかりの開拓の民の祈りの歌を、紡いだ。       南の風が谷を 越えてふいたら    女はまた今年も 種を蒔くだろう    夏の日 光浴びて そよぐ麦草    それだけ 思いながら 種を蒔くだろう    harvest rain 音もなく降りそそげ    harvest rain 傷ついたこの土地(つち)に  気がつくと娘の歌声をトレースするように、少女が瞳を閉じて、何時の間にか輪唱す るように声を紡いでいた。  言葉になるかならないかの、澄んだ高い和音のような小さなハミングが、夕暮れの空 気に透きとおって、溶け込んでゆく。 「貴方の方がずっと上手いじゃない……。ねえ、私の代わりに巫女の役、やらない?」  少女の小さな歌声に驚いて、気象官の娘は歌を止めた。 「うたって、不思議だね。何だかほっとして少し元気が出てくる。」  娘の言葉に首を横に振って、そう言いながら少女は立ち上がった。  西の低い空から、永い距離を渡ってきて紅くなった夕暮れの輝きが、少女の短い髪を 照らす。振り向いてさらりと流れる青い髪に映える紅の輝きは、ちょうどこの谷間の砂 と土の大地を想わせる。 「ねえお願い。お祭りで祈りのうた、うたって。わたし、楽しみにしてるから。」     *

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