harvest rain


 この移民星の周囲を巡るふたつの衛星の片割れが、谷間に降りた夜の闇に淡く光を投 げかける。そんなふたつの衛星は、故郷の星に倣って、一ノ月、二ノ月と呼ばれていた。  ニノ月の真白い明かりを頼りに、気象官の娘はひとり、天幕の外を何処へと無く歩い ていた。  この谷のこと、開拓の民のこと、そしてあの少女のこと。いろいろな想いが歩を進め る娘の胸の中で、浮かんで消える。  そんな胸の中の想いは、何時か水蒸気が雲を結ぶように、ひとつの想いに帰結する。  結局、自分はこの集落で何を学ぶことができて、何をすることができたのだろう、と。  気がついたら、『燈火』の停めてある集落の外れまで歩いていた。  ずっと飛行させていなかった観測艇の機体は、砂煙を浴びて薄青く汚れている。何だ か、まるで自分の白衣みたいだと思いながら、ぼんやりと機体を見つめる。  ふっと、とある事を思いついたのは、その時だった。  もしかして無意識にその事を考えていて、こんな夜に『燈火』まで歩いてきたのだろ うか、と思うと我ながら苦笑いが漏れた。雪を降らせる時に同じことをした自分の父親 を、気象官として公私混同だと思っていたのに。 −−でも、私がこの谷のためにできることは、このくらいしかない。  迷いを振り切るように心の中で呟くと、娘は観測艇のキャノピーを開いた。  操縦席に座って、計器類のスイッチを入れる。暗い艇内に懐かしいグリーンやブルー のシグナルがぽつり、ぽつりと灯る。  エンジンには火を入れないで、一瞬躊躇してから、通信電波を開いた。 「こちら観測艇『燈火』。気象局観測艇コントロールセンター、応答願います。」  暗い操縦席にぽつりと響く娘の声を乗せて、通信電波は遠い都市まで飛んでゆく。暫 くして戻ってきた電波に、自分の名と、局長宛にプライベートの通信を繋いで欲しい旨 を、告げた。 「久しぶりに声が聞けて嬉しいよ、もっとプライベート通信を使って構わないのに。」  やがて、組織の長とは思えぬ、懐かしいのほほんとした声が『燈火』に届く。 「局長、お願いがあります。緊急に降雨艇を派遣しては戴けないでしょうか。」  そんな声に対して、あくまで子としてではなく気象官として、娘は願いを伝える。 「この谷にはずっと降雨がなく、水が不足してます。このままだと開拓の民達はこの谷 を放棄せざるを得なくなる……公私混同なのは十分承知の上です。費用は私の給金で贖 います。だから、お願いです……。」 「そうか……。でもね、ヨシノ君、それはできないよ。」  数瞬の間の後に返ってきた、穏やかだがきっぱりとした返答。 「どうしてです? 貴方は昔、母さんのために降雨艇を出させて都市に雪を降らせたじ ゃないですか!」  思いもしなかった拒絶の返事に、娘は思わず声を荒げる。 「懐かしいね……。あのあと一回分の降雨代を返すまで大変だったなぁ。でも、おかげ で母さんと一緒になれて、君という贈り物まで授かったから、悔いはないけど。」  そんな娘を静めるように、そんなちょっとおどけた声を届けてから、穏やかな声に戻 って局長は応える。 「でもね、僕が降らせた余興のような雪と、君の望む降雨とでは、性質は違う。」 「何処が違うと言うのです!」 「その大地で人が生きてゆけるかを決めるのは、結局は大地の意思なのだと思う。雨が 降るかどうかというのは、多分その意思の現れにすぎない。」 「君の願う降雨は、本来人を受け入れない大地に、意思に反して人の都合を押し付けて しまう可能性がある。僕達は僅かな雨を降らせることはできるけれど、天候を操ってよ い訳では、ないんだ。」  まるで、目の前の子供を優しく諭すように、反応を見るように間を空けて。 「それを忘れると、きっと何時か僕達はこの移民星も、失ってしまう。」 「……じゃあ、気象官は、何故降雨艇を出して雨を降らせるのですか……?」  自らの無力さのあまりに熱くなる目頭を抑えながら、娘は何とか言葉を絞り出す。 「その大地の人々を、そして何よりもその大地自身を励ますためだよ。」  その言葉を最後に、観測艇を都市を結ぶ通信電波は、交互に沈黙のみを伝えあう。  その沈黙の中に聞こえた、娘の微かな泣く声へと、ぽつりと付け加えるように穏やか な声が届いた。 「正直言うと、君がその願いを僕にぶつけてくれただけで、嬉しかった。五月のお祭り が終わったら、もう帰っておいで。お土産話を楽しみにしているよ。」     *

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