祭りの仕事を終えてふうと息をつきながら、二ノ月の煌々とした月影を導にして、少
年は天幕への帰り道を歩く。青い髪の少女と、気象官の娘のことをぼんやり考えながら。
どうしたらいいかわからないと、少女は言葉を放って、消えた。
ならば、まだこの谷が人を受け入れないと決まったわけではない。
でも、もう残された時間は無い。結局、すぐに雨が降りない限り結末は同じだろう。
そうしたら、あの気象官の娘はどんな想いを抱えて都市に帰るのだろう、と思う。
そんな事を考えながら、眩しい月を見やりつつ歩を進め、天幕が見えてきた時。
天幕の前に、ひとりの人影が佇んでいるのが、目に入った。
月灯りを受けて淡い空色を返す、開拓の民の上着に、肩と頭に巻いたショール。それ
は幼い頃からずっと記憶に刻まれた、懐かしい後姿だった。
まさか、と驚いて少年は人影の方へと駆け出した。
もう少しで呼びかけそうになったその時、少年に気づいてくるりと人影が振り返った。
「お帰りなさい、どうしたの、息切らせて。」
ふわりと微笑んで、振り返ったのは、気象官の娘だった。
「……なんでも、ねえよ。」
動揺した心を抑えて、少年は呟く。そんな少年の様子に娘は目を細めて、そっかと応
える。その瞳は微かに赤く腫れていた。
「ねえ、これから『燈火』で夜間飛行しようかと思って。狭いけど一緒に乗らない?」
観測艇の操縦席の周囲には、グリーンやブルーのシグナルが明滅したスイッチや計器
類が並んでいる。暗い星空のような計器類を、気象官の娘は軽々と操作する。
やがて、キュンと一瞬の振動が走って、観測艇のエンジンに火が灯った。
本当は一人乗りなんだけど、と笑いながら、娘は少年毎まとめてベルトをかける。
その直後、『燈火』は夜間観測機特有の静かな噴出音を残して、夜天へと舞い上がった。
白衣よりこの服の方が操縦し易いわ、と微笑みながら娘は機体を上昇させる。
山肌の影に切り取られながら、ニノ月にほの白く照らされた谷の上空へ。
「……ヨシノって、すごいんだな。」
初めての飛行の感覚と、その飛行を悠々とこなす娘の姿に、思わず少年は呟いた。
「そんなことない、あなたの方が全然すごいもの。私、どれだけのことを此処で教えて
もらったのやら。」
首を振って否定する気象官の娘の姿に、ふと懐かしい言葉が少年の脳裏に浮かんだ。
「みんな、この星について知らないことばっかりなんだ。」
『燈火』はその双つの翼にランプを燈して、静かに谷を回遊する。
まるで、月夜に遊ぶ、小さな鳥のように。
大地に寄り添うように、まだ起きている開拓の民達の天幕の灯りが、ぽつり、ぽつり
と燈っているのが見える。夜天の下に広がる大地に比べて、あまりにも小さな、花のよ
うな光のかたち。
「ひとつだけ判ったことがあるの。私、この谷が好きなんだってこと。都市に返っても
、この谷のこと、開拓の民のこと、きっと忘れない。」
そんな光のかたちを見つめて、ぽつりと、言葉を探すように娘は言った。
その娘の素直な言葉に、少年も、静かな後悔と共にひとつのことが、判った。
きっと幼かったあの日に、あの青い髪の少年に、そう言ってあげれば良かったのだ、と。
「せめて、祭りの巫女の役目だけは頑張らなきゃ、ね。あの子も楽しみにしてたし。」
そんな娘の独白に、自分も楽しみにしてると返すのだけは、やめておいた。
そのまま何の言葉もなく、観測艇は月明かりに護られてしばらく舞い続けた。
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