harvest rain


 それは、夜遅くまで騒いで祭りを楽しんだ開拓の民の最後の一人が、暖かい毛布に滑 り込んで、あらゆる生物が寝静まった暁時にはじまった。  はじまりは、眠る娘の夢の中で、遠く、遠く聴こえてきた歌声だった。  澄んだ高い声で、静かに張り詰めた夜と朝の境界の空気に染みとおる、歌。  言葉になるかならないかのハミングは、娘の記憶の詩と重なって、眠りの淵でこんな 風に、聴こえた。   かわいた月の朝に 女は踊る   海へと還る雨を 呼び戻すため   harvest rain この地球(ほし)の者たちへ   harvest rain 空からの贈りもの  次に気づいたのは、あの幻のような雨の朝に湿度の上昇を娘に伝えた、携帯端末だっ た。無機質に響く携帯端末の信号音に、夢の中で流れる歌声を阻まれて、ぼんやりと娘 は目を醒ます。  夢心地で起き上がった娘に、天幕の隙間を抜けてふわりと強い湿った匂いが届いた。  『燈火』のレーダを見るまでもない、明らかに判る、雨を連れた雲の匂い。  ショールを羽織って、端末を手に天幕の外に出る。  まだ色濃く紺色に沈んだ暁の空の低みに、暗い灰色の雲が目視できた。  その生まれたばかりの雲を運ぶ、山から吹き降りる生暖かくも強い風。それは、この 南の谷間に呼び寄せられて降りてくた、遠い南の国から永い旅を続けた季節風の欠片だ った。  慌てて少年の天幕に飛び込んで、熟睡していた少年を揺り起こす。  祭りの疲れで眠そうな瞳を瞬いた少年に、興奮した声で娘は告げた。 「ねえ、起きて! 雨が降るわ。この谷に、雨が降りてきてる!」  最初の水滴がこの谷の大地に墜ちたのは、二人が天幕から出たのと同じ瞬間だった。    ひとつ、またひとつ、弾ける音を奏でて、天から還ってきた水滴がこの大地へと降り てくる。  ほんの数秒間は識別できる和音だったその音は、すぐに幾重にも幾重にも無数に降り 注ぐ雨の滴の音が重なって、大地を静かに揺るがすようなひとつの調べとなって響き渡る。  やがて、目の前の風景は、無数の水滴のカーテンに包まれた。  それは、幻のように細やかに降る雨とも、気象官のもたらす降雨とも、違っていた。  生物を受け入れた大地の祈りに応えて、ずっと乾ききって傷ついた土地に降り注ぐ、 豊穣の雨。  それは空から土へ、土から種へ、その大地に生きるものへと循環し、何時かまた海を 経て空へと還ってゆく、大きな水の流れを創り出す。  その営みがこの谷に訪れて、倒れた麦の穂を、ジャガイモの葉を、あらゆる生命達を 癒してゆく。  厳かで圧倒的な雨の調べに身を浸したまま、気象官の娘と少年は何も言葉を継ぐこと ができずに、ただ黙って暁に降り注ぐ雨を見つめていた。  豊穣の雨に、その髪が、頬が濡れてゆくのに任せたままで。 「ねえ、耳を澄ましてみて。雨音の遠くに聴こえない?」  やがてふと我に返った娘が、激しい雨の調べの奥から届く声に気づいて、言った。  何が、と呟く少年に、気象官の娘は目を閉じて、そっと答える。 「あの子が、雨を祈って歌う、歌声。」   harvest rain この地球(ほし)の者たちへ   harvest rain 空からの贈りもの   いつか大地を 駆けめぐり   同じ谷へと 降りてくる   季節の吐息 刻み込む   いのちの縁を 癒すもの   空から海へ 続く川   土から種を めぐるもの   いきづくものへ 続く川   実りの歌を つくるもの   季節の吐息 刻み込む   いのちの縁を 癒すもの     *

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