海岸から急な崖道を登りつく頃、ようやくふたりが住む観測所の影が見えてくる。
観測所からは、海も、人々が身を寄せて住む村も、一目で見渡すことができた。
高い塔を持つ、ずっと昔の建物跡を作りかえた、崖の上のちいさな家。
背の高く、不思議な形のそのシルエットは、灰色の空の下で見ると、何処か穏やかに
見える。
そのシルエットを見上げた娘が、ふと、何かに気づいたように、風読みに尋ねた。
……あれ、鳥さんのかたち?
きつい登りに少し息を切らせた風読みが、その問いに気づいて顔を上げると、娘は観
測所の塔の方を指差していた。
その細い指の先、古い塔の一番上には、魚のような細い流線型の風向計の飾りが、湿
った潮風を受けて、そよそよと揺れていた。
両方に伸びた細い翼で風を切って、先端につけた、丸い形をくるくるとまわして。
「鳥じゃないよ。あれはね、空を飛ぶ「機械」を模っているんだ。」
風読みは、観測所のシルエットと同じように、穏やかに答えた。
「どれくらい遠い昔だか、それとも別の世界のことだかわからないけど、人間が「機械」
を作って、空を飛んだことが、あったそうだよ。」
ふうん、と想いで応えながら、娘は軽やかに崖の上に登りついて、遠く広がる海のい
ちばん向こうを見つめる。
海でおよぐのと、空をとぶのって、おんなじ感じなのかな。
しばらく、家に入らずに、ふたりは海と空の境目をぼんやりと見つめていた。
その境目は、青い灰色の中に溶けて、ゆるい曲線を水平線の向こうに描いて、繋がっ
ているように見えた。
その繋がりの通路を抜けて、墜ちてきたちいさな雨の粒達は、変わらずに海へと降り
注いでゆく。
海は、絶え間なく続く波の調べで、護るようにその滴を受け止める。
「あの塔の中には、不思議なものが眠っているんだ。」
無意識に呟くように、初老の風読みは、言葉を潮風に乗せた。
「今は駄目だけど、るながもう少し大きくなって心が落ち着いたら、見せてあげよう。」
娘は、少し首を傾げただけで、何も伝えずに風読みの呟きを聴いていた。
はるかな海のリズムに、心をあずけたままで。
Act.1 『Eden』 Fin.
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