そら とぶ ゆめ Act.1  Eden / page9


 潮風にさらされてかわいた岩場を潤すように、空から雨が降りてくる。  そのちいさな滴の、ひとつひとつが旅を終えて大地に着く度に、ぱら、ぱら、とささ やかな響きを打ち鳴らす。   「るなは、本当に海が好きだね。」  黒く湿った岩場に、娘が足を滑らせないかと見守りながら、初老の風読みは話しかけた。 「雨が降るって時にも、平気でひとりで泳ぎに行っちゃうんだから。」  そんな風読みの心配もよそに、軽やかな足取りで崖道を登っていた娘は、くるりと振 りむいて、想った。    だって、雨も、すきだから。 「ふうん、村の子達なんか、雨が降るとみんな怖がって遠出しないのにね。」  穏やかな表情で少し首を傾げながら、風読みは、娘の想ったことを読んで、応えた。 「そう言えば、僕がるなにはじめて会った時も、雨が降っていたっけ。」    もう、あんまり、おぼえてない。  なかなか乾かない体を軽く震わせて、今度は、娘が少し首を傾げて、笑う。  娘は、声に出して伝えるための、言葉を、ずっと昔から忘れていた。  まだ幼い頃、ある雨の夜に、風読みが娘を拾った時から、ずっと。  だから、娘は、風読みに何かを伝えたい時、胸にかけた水色の月のペンダントに向け て、想う。  そうして、不思議と水色の金属を経た想いだけは、たどたどしい言葉になって、風読 みへと届く。  もっとも、その声にならない、たどたどしい言葉を読み取ることができるのは、風や 空気の音を聴き、優れた耳と感性を持つ、風読みだけだった。  夏の近いこの季節にしては、雨の滴は、静かなひんやりとした空気を纏っていた。  ぱたぱたと、繁みの葉を鳴らす調べに、時折、雨宿りして羽を震わす水鳥の声が、ち い、ちいと唱和する。  登り坂を歩いて、随分下に降りた海からは、変わらずに波の調べが続いている。




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