娘は、恐々と、両手に握った操縦桿をそっと離した。
ふぅ、と、ちいさな吐息をひとつ浮かべて。
とたんに、身体中を殻のように包んでいた緊張が、空気に融けるように抜けてゆく。
その、あまりの開放感と、代わりに押し寄せる灰色の雲のような不安に、瞼の奥が熱
くなる。
ひとつ間違えただけで自分の身を打ち砕く光弾を、ただかわし続けること。
光弾を放ち、幾つもの敵機を撃墜すること。
幾人もの敵の飛空兵を、空から墜とすこと。
そんな、飛ぶことの怖さ、緊張を、娘は、絶えずこのちいさな両手に握り締めていた。
それは、他の飛空兵達のように、戦いに勝つためや、生きのびるためではなくて。
ただ、月を見ながら、ずっと、ずっと空を飛びつづけていたかったから。
何時の日か、月まで飛んでみたいとさえ、想ってた。
「静かね……。何だか空じゃないみたい。」
深く座席にもたれて瞳を閉じると、静かな音たちが聴こえてくる。
傷つきながらも、なお飛びつづけようと回転し続ける、動力機構の高い響き。
機体を一瞬とりまいて、すぐに遥か後ろへと流れてゆく、水の流れのような、空気の
音。
涙のように、空を墜ちてゆく、幾つもの雨の滴のおと。
微かに閉じた瞼の奥にまで届く、ちいさな生き物のような、警告灯の明かり。
そして、ひときわ大きく、規則的に寄せては引いてゆく、さらさらとしたマシン・ノ
イズ。
「ねえ、海に住んでいた昔の生き物って、何て言うんだっけ。」
瞳を閉じたまま、娘はふと、こんな質問の言葉を投げた。
「魚や、貝ですね…。今でも、僅かな数ですが海に生息していると言われてます。」
パイロットの質問の意図を解析しながら、機体は回答を送る。
「魚が海の中を泳ぐのって、もしかしたらこんな感じなのかもね。」
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