そら とぶ ゆめ Act.3  Psi-trailing / page10


   *  ささやかな屋根の下の、数多の眠りの淵をそっと横切って、今日が昨日へ、明日が今 日へと移ってゆく。そうして、やがて眠りから覚める者達に、変わらない朝を届ける。  そんな風にして生まれた今日が、まだ空を染め始めぬ、夜と暁の境界の時間。  そんな時間に、自分の体温を包む柔らかな毛布のぬくもりの中で、娘はくるりと寝返 りを打って窓の外を見る。一夜限りの雪はもう、止んでいた。  娘の胸の内で、ずっと、何かが小さな潮騒のようにさざめいていた。  自分のことを「るな」と呼んでいた声のこと、空を飛ぶ『機械』のこと、旅人の手紙 のこと。  物心ついた頃から胸にぶらさげた水色の月のことも、風読みがくれたものだなんて、 聴いたこともなかった。   微かなためいきをついて、毛布にくるまれて横になったままで、そっと水色の月の『 機械』を握りしめる。  やがて、眠りに就くのを諦めて、娘は枕元の灯りを燈して、何とはなしに居間へと向 かった。  暖炉の柔らかな炎がもたらしていた暖かい空気も、今は冬の夜気にすっかり溶け込ん でしまっている。  その夜気は何処か凛としていて、雪が降り続いていた間よりももっと、息を潜めたよ うな静けさに満ちていた。    無意識の内に、娘は塔の階段へと続く扉の前に、歩んでいた。  扉に手をかけて、ためらいがちに力を加えてみるも、閉ざされた『機械』の扉はいつ もと変わらないまま、少しも揺らぐことはなかった。  諦めて細い手を放して、ぼんやりと、空を飛ぶ『機械』のことを、想う。    そらを飛ぶのって、海をおよぐのと、おんなじなのかな。  遠い夏の日に、鳥のような形の『機械』が、塔の上にそよいでいたのを、思い出す。  鳥のように、翼を持った、そらを飛ぶ、『機械』。  ふと、想ってみたこともないはずの疑問が、遠い、遠い記憶を辿って、無意識のうち に、こぼれでた。    ……海をおよぐのって、そらを飛ぶのと、おんなじなのかな。  その瞬間、閉ざされていた扉が、音も無く、開いた。




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