そら とぶ ゆめ Act.3  Psi-trailing / page16


「やめろ!」   螺旋を描く長い石段をようやく上り切り、初老の風読みが扉を開けたのは、まさに娘 が叫びを放った瞬間だった。  たった今にでも、暁の群青色の空へと飛び立たんと激しく回転する、『機械』の双つ の螺旋十字。  その螺旋十字から生まれた風が、半円球の部屋のなかで夜明けの嵐のように渦を巻く。  その濁流のような風の循環が、雪の夜の澄んだ冷気を凍てつく刃へと変えて、病んだ 風読みへと幾重にも斬りつける。 「るなは、その子は、『飛空兵』などではない!」  だが、身体を病んでいるはずの風読みは、その刃には屈せず、まっすぐに『機械』を 見据えて、言葉の刃で斬り返す。  拒絶の想いを、言葉へと封じて、『機械』へと伝える。  一瞬、『機械』の鳴動が、あたかも風読みの言葉に困惑したかのように、緩んだ。 「そして、私はもう二度と、空を飛ぶことはない。敵を墜とすことなど、二度とない。」  病んだ身体の力を奪う、その身体を凍りつかせるような向かい風に、苦しそうに顔を ゆがめながらも、言葉を連ねる。  冷気に顔を背けずに『機械』を見据え、その視線の意思と連ねた言葉で、『機械』を ねじ伏せるように。 「眠りに戻れ。 おまえが飛ぶべき空は、この世界にはもう存在しない!」  風読みの高らかな言葉を最後に、観測所の塔の時間が、凍りついた。  空を飛ぶ『機械』のうたと、風読みの拒絶の言葉が、張りつめた時の中で対峙する。  瞬きのようにも、永遠のようにも感じる、時間の結晶。    降り積もった雪が、陽の訪れとともに音も無く溶け去るように。  その時間の結晶は、 不意に、砕け散った。  『機械』の鳴動が、張りつめた糸がほつりと断ち切れたように、停止した。  その瞬間、螺旋十字の回転が生み続けていた轟音と渦巻く冷気はかき消え、あたかも 世界から音が奪われたかのように、半円球の部屋は雪夜の静寂につつまれる。  娘に呼びかける続けていた碧の明滅も、夜天に瞬いていた星座が灰色の雲に覆われる ように、光を失った。  ただ、暁へ向かって大きく開かれた塔の側壁だけが、『機械』のうたの名残を、この 場に留め続けている。    『機械』の想いが挫けるのと同時に。  病んだ初老の風読みも、また力尽きた。  凍てつく空気の流れに吹きつけられ、芯まで凍りついた身体から乾いた咳が幾度も漏 れ出し、支えていた膝の力が失われる。  そして、静寂の訪れた半円球の部屋の冷たい床の上に、倒れ伏す。




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