そら とぶ ゆめ Act.3  Psi-trailing / page17


 だが、そんなふたりの対峙にも、鳴動がおさまったことにも気づくこともできずに、 娘は楕円形の核の中で、ずっと震えていた。  『機械』が眠りに就いたにも関わらず、両の手で抱えた頭の脳裏に、幾重にも、幾重 にも、たったひとりで空から墜ちる映像が描き出される。  それは既に、水色の月を通じて娘に届く、空を飛ぶ『機械』の見ている夢では、なくて。  それは、この夜に眠りから目覚めた、心の奥底にずっと眠っていた娘自身の遠い記憶 だった。    それを、娘は繰りかえし、繰りかえし、震えながら、想い出し続ける。      *  そのまま、どのくらいの時間が過ぎたのか。  塔の小さな窓から、淡い輝きをずっと低く投げかけていた、月の光が、消えた。  代わりに、大きく開いた側壁の矩形の底辺から、山吹と紅色の溶け込んだ微かな夜明 けの輝きが、塔の部屋に差し込んでくる。  夜の終焉を告げる淡い輝きが、ようやく娘を遠い記憶の呪縛から解放した。  恐る恐る顔をあげ、逃げるように『機械』の袂から転がり出て。  そこで、ようやく、倒れている風読みに気づいた。   風読みっ。  娘は、まるで溺れる子供がしがみつくように、風読みをきつく抱きしめて、名前を呼 びかける。  世界でただ一人、言葉にならない娘の声を聴きとることのできる、風読みの、名前を。  だが、胸元に揺れる水色の月からは、何の返事も返っては、こない。   風読みっ。 風読みっ。 風読みっ。  娘は、何度も、何度も風読みの名を呼びかける。  何より、あの墜ちる夢と同じように、世界にたったひとりになってしまうのが、怖くて。  だが、力尽きた風読みは、今にも途切れそうな浅い呼吸を続けるだけで、娘の呼びか けには、応えない。  それでも、ずっと、ずっと、娘は風読みを、呼び続ける。  東の空から、柔らかな紅色の羽を持つ鳥がその翼をひらくように、朝焼けが広がって ゆく。  微かに春の兆しを含んだ、湿ったほのかな早朝の風が、側壁から塔へと軽やかに舞い 込んでくる。  朝焼けは、雨の徴。一夜限りの雪は、春の始まりの徴。  朝焼けにほのかな橙に色づいた、世界を覆っている雪も、昼過ぎにはもう、跡形もな く溶けてゆく。  その雪の下から現れた、眠りから目覚めた大地には、少しずつ、春の息遣いが満ちて くる。  そして、もうすぐ、雨降りが訪れる。                                    Fin.




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