だが、そんなふたりの対峙にも、鳴動がおさまったことにも気づくこともできずに、
娘は楕円形の核の中で、ずっと震えていた。
『機械』が眠りに就いたにも関わらず、両の手で抱えた頭の脳裏に、幾重にも、幾重
にも、たったひとりで空から墜ちる映像が描き出される。
それは既に、水色の月を通じて娘に届く、空を飛ぶ『機械』の見ている夢では、なくて。
それは、この夜に眠りから目覚めた、心の奥底にずっと眠っていた娘自身の遠い記憶
だった。
それを、娘は繰りかえし、繰りかえし、震えながら、想い出し続ける。
*
そのまま、どのくらいの時間が過ぎたのか。
塔の小さな窓から、淡い輝きをずっと低く投げかけていた、月の光が、消えた。
代わりに、大きく開いた側壁の矩形の底辺から、山吹と紅色の溶け込んだ微かな夜明
けの輝きが、塔の部屋に差し込んでくる。
夜の終焉を告げる淡い輝きが、ようやく娘を遠い記憶の呪縛から解放した。
恐る恐る顔をあげ、逃げるように『機械』の袂から転がり出て。
そこで、ようやく、倒れている風読みに気づいた。
風読みっ。
娘は、まるで溺れる子供がしがみつくように、風読みをきつく抱きしめて、名前を呼
びかける。
世界でただ一人、言葉にならない娘の声を聴きとることのできる、風読みの、名前を。
だが、胸元に揺れる水色の月からは、何の返事も返っては、こない。
風読みっ。 風読みっ。 風読みっ。
娘は、何度も、何度も風読みの名を呼びかける。
何より、あの墜ちる夢と同じように、世界にたったひとりになってしまうのが、怖くて。
だが、力尽きた風読みは、今にも途切れそうな浅い呼吸を続けるだけで、娘の呼びか
けには、応えない。
それでも、ずっと、ずっと、娘は風読みを、呼び続ける。
東の空から、柔らかな紅色の羽を持つ鳥がその翼をひらくように、朝焼けが広がって
ゆく。
微かに春の兆しを含んだ、湿ったほのかな早朝の風が、側壁から塔へと軽やかに舞い
込んでくる。
朝焼けは、雨の徴。一夜限りの雪は、春の始まりの徴。
朝焼けにほのかな橙に色づいた、世界を覆っている雪も、昼過ぎにはもう、跡形もな
く溶けてゆく。
その雪の下から現れた、眠りから目覚めた大地には、少しずつ、春の息遣いが満ちて
くる。
そして、もうすぐ、雨降りが訪れる。
Fin.
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