たった一度だけの雪が連れてきた東風は、少しずつ、少しずつ、春の気配を乾いたこ
の土地に届けてくる。
厚く凍てついた灰色の雲からこぼれ出たような、ささやかな日差しや、それに誘われ
た生物達の息遣い。暖かな水滴を含んだ、絹のように薄い霞雲。
そんな春に属するもの達が、やがてこの地に満ちたその時に、雨降りは訪れる。
永い北風の夜から大地を目覚めさせ、実りをもたらす雨降りは、この地に生活を営む
人々にとって畏敬の対象であると同時に、恐れの対象でもある。
天を埋め尽くす雨は、瞬く間に街に、道に、広い荒地に溢れて、渦を描いて低き地へ、
そして海へと奔流となって還ってゆく。その間、人々は不安と春の訪れへの期待に包ま
れて、高い建物や崖の上で身を潜める。
その雨降りの到来を予測し伝えるのが、観測所に住む風読みの仕事のひとつだった。
街に営む人々には、観測所の塔が力づけるように放つ、眩しい灯りの輝きで。
遠く道を往く人には、遠く響き、耳には聴こえなくとも心に届く、不思議なうたで。
暖炉の前に陣取ってようやく人心地のついた娘は、ふと思い出したように、雪の風景
の中に佇んでいた、白い真四角の紙片を差し出した。
遠い国の切手の貼られた丁寧な文字で記された手紙を、風読みは不思議そうに受け取る。
「ああ、僕の古い友人からだ。」
やがて、ふっと懐かしそうに表情を和らげて、風読みは封を開け、幾つかの便箋に綴
られた言葉を静かに読み取る。
ちょうど、寒い夜の寝る前に、身体を芯から暖める香草のお茶を、ゆっくりと味わう
ように。
暖炉の前で組んだ膝に頭を乗せたまま、様子を興味深げに見ていた娘に、風読みはこ
う問い掛ける。
「随分昔に、不思議な旅人が訪ねてきたのを、憶えているかい?」
娘は少し考えてから、頬を膝にもたれかけたまま、首を軽く横に振った。
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