そら とぶ ゆめ Act.3  Psi-trailing / page6


 舞い降りる雪を、蛍のように揺らして通る風がひとひら、古い壁の隙間から迷いこん で、暖炉の炎を揺らす。  そのひとひらの迷い風に、ふたりの影と、空気が、一瞬揺らいだ。 「もう十年以上前の、静かな雨の晩だ。雨なのに、不思議な形の月がぼんやりと光って いたのを憶えている。」  その揺らぎに背を押されるように、風読みは、遠い記憶を手繰り寄せるように、語り 始める。 「突然、雨の墜ちる音に混じって、まるで岸に寄せる波のように聞こえてきたんだ。  『るな』、『るな』って、呼びかける声が。……その、『機械』からね。」  軽く差した風読みの指に、そっと娘は胸元の月を手にとって、見つめた。   この、お月さま? これって、『機械』なの? 「そうだよ。その月は、もともとは、僕のだったんだ。」 「……ずっと、ずっと昔から、随分永い間、持っていたんだ。もう、聴こえないと、諦 めていた。だから、突然声が聴こえた時は、心底びっくりしたよ。」  娘に話していくうちに、胸の内から、懐かしい何かがほどけるようにこぼれてくるの を、風読みは感じていた。  だが、そんな風読みの心は聴こえぬまま、娘は不思議そうに、『機械』の月を眺めて いる。 「だけど、それは僕へと寄せる波ではなかった。別の方角に、祈るように流れていた。 まるで、失くしてしまった何かを、必死に探すようにね。」 「だから、僕は「るな」と呼びかける言葉を追って、雨の中飛び出したんだ。水色の月 が捕まえる、微かな波の行方を辿ってね。」  寝椅子にもたれたまま、風読みはその言葉を、遠い彼方にいま一度聴き取ろうとする かのように微かに目を細める。   「るな」って言葉、海の波のように届いたんだね。風読みが歌う、歌みたい。  その風読みの耳に、遠い昔の言葉は聴こえず、代わりに、娘の不思議そうな、音のな い想いのつぶやきが届く。 「ああ、『機械』から伝わる言葉は、空気の中を、人の目には見えない波となって、流 れてゆくんだ。僕が雨降りの時に歌う歌も、『ラジオ』という『機械』を通して、歌を 波のかたちに変えて、遠くまで届けているんだよ。」   だから、砂浜に寄せるみたいな調べが、絶え間なく聴こえるんだね。   風読みの歌って、海と、おんなじなんだ。  揺らめく橙色の輝きに映える黒い瞳を、安心するように細めて、娘は想いを送る。  そんな想いのつぶやきに、どうかな、と少し微笑んで、風読みは話を続けてゆく。




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