地上に寄せる波の調べは、昼も、夜も、絶えることなく奏で続けられる。旅人の、遥
かな高みで巡り続ける、月のかたちに従って。
その緩やかな調べをずっと耳にしながら、旅人は海岸線に沿って急ぎ足で歩いてゆく。
冷たい空気に一瞬浮かぶ真白い吐息、そして、それよりは僅かに永い時間をかけて消
える、砂浜の足跡を、その軌跡に残して。
ずっと旅をしてきて、『機械技師』との差がここまで縮まったことはなかった。
『月帽子織物店』のあるこの地方から、次の『機械』がある場所へは、採る道の選択
肢は、そう多くはない。
その中から、旅人は海岸沿いに南へ下る道を選んだ。
これから寒い冬が来ることを考えるならば、渡り鳥に習って、暖かい地方へと向かっ
た方がよい。
そして、胸の水色の月の『機械』が、時折届ける波の調べが、何よりも旅人を導いて
いるように、思えたから。
この、最初の選択さえ間違っていなければ、この時間差ならば、きっと彼女の軌跡を
拾える、はず。
ふと、一つだけ、あの女の子に話さなかったことがあったのを、思いだす。
自分が、鳥の民の生まれで、飛ぶことのできない翼をその背に持っていることを。
(あの子の言うように、声に出して望めば、何時かもう一度空を飛べるようになるだろうか。)
一瞬想ってみたが、声には出さなかった。
砂浜や岩影を歩いて行くと、絶えず暗い夜の闇に沈んだ、海が聴こえる。
低く浮かんだ月の輝きに、波間が微かな光の粒をちらちらと映して、応える。まる
で、耳には聞えない言葉で、密やかな会話をしているように。
海を見ながらの旅は、何処かほっとするような、気がする。
(彼女に、『機械技師』に、逢いたい。逢って、忘れてしまった、大切な人のことを、
知りたい。)
今度は声には出さずに、だがはっきりと、想う。幼い日の彼女への憧れとは違う、確
かな、願い。
その願いを、水色の月と、肩にかけた小さな星空に抱きしめて、旅人は海岸線を歩い
てゆく。
やがて来る冬、そして、春へと向けて。
Fin.
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