そら とぶ ゆめ Act.5  飛行夢(そらとぶゆめ) / page3


 窓の向こうの、灰青色のはりつめた夜気に満ちる、雨の気配。  春を呼びこむ雨というには、まだ細やかにすぎる水の粒子が、葉に、地面に、窓の硝 子に弾けて、ひそやかな音楽を奏でている。  その雨音を意識の遠くに聴きながら、浅い眠りの淵で、娘は夢を見ている。  空を飛ぶ『機械』に呼ばれて、塔を上ったあの雪の夜から、ひんぱんに見る、夢を。  その夢の中では、群れからはぐれた鳥のように、ただひとり、銀色の翼で夜空を駆け ていた。  地上を覆うように、低い空に幾重にも積もった、淡い霧のような灰色の粒子の層。  高く、高く駆けあがってその霧の層を突き抜けると、灰青色だった視界が、深い藍色 にひらけた。  藍色の空の高みまで昇っても、塵のようにちらちらと舞う粒子が一面にひろがってい て、星の灯火は見えない。  だけど、ぼんやりとした薄い衣をまとって、細く剣のように尖った月が、浮かんでいる。  その淡い黄色い光を見つけて、ようやく心がほっとする。    そう、わたしは、ずっと前から、月が好きだった。  夢を見ながら、娘はぼんやりと、想う。  眼下には、まるで雲の海のように一面の灰色が広がっていて、地上の灯を臨むことは できない。  その灰色の層の高み、ここ藍色の空には、銀色の『機械』で空を駆ける自分と、細い 月の、ふたりきり。  遠く、世界の果てまで続いている空を、ただひとり、泳ぐように駆ける。    空を飛ぶのって、海でおよぐのと似てるけど、少し、違う。  果てまで続いているのは、空も、海も変わりはしないのだけれど。  海は、まるでその大きな懐に、ちいさな自分を抱きしめてくれるように、身体を青い 水で包む込む。  泳いでいると、何だか同化して、どこまでも続く海の、波のひとつになったような気 がする。  だけど、空は、その空気の蒼へと、自分を迎え入れることは、決してない。  空は孤高で、何物も受け入れたりは、しない。だから、空を飛ぶと、果てまで続く藍 色の中で、たったひとりになる。  その代わり、空を飛んでいる時は、自由だった。  ひとりで、どこまでも、遠くへ、世界の果てまでも飛んでゆける気がした。  そんな、空を飛ぶ夢に、無意識に心の内に憧れと、懐かしさを憶える。   こんなに、ひとりで、怖くてたまらない、のに。    恐怖を憶えない夢の時は、ひとりだけど、ひとりではなかった。  何処からか、誰かの声が、時折胸の奥へと届いてくるのだ。まるで、空を飛ぶ自分を 護るように、勇気づけるように。  藍色の空に浮かんで、導きの灯のように微かに輝く、あの月のように。   あなたは、誰? あなたは、何処にいるの?  そこで、浅い眠りから、醒めた。




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