そら とぶ ゆめ Act.5  飛行夢(そらとぶゆめ) / page4


 目醒めた直後に見る窓の外は、いつも鈍い灰色に包まれた冬の終わりの雨模様で、一 瞬、今の自分が、昼と夜のどちらに属しているのか、判断がつかなくなる。  とりわけ、深い眠りに墜ちることもできずに、ずっと浅い夢の幻燈と、不安な目醒め を繰り返している、娘にとっては。  諦めたようにふうと息をついて、娘はベットから起き上がり、しばらく雨の調べに耳 を傾ける。  まだ、雨降りまでには、間があるような気が、する。でも、風読みのように、雨降り の兆しを読めない自分には、その確信は持てない。  あの雪の夜以来、繰り返し、繰り返し、夢を見続けている。  たったいま醒めたような、どこまでもひろがる空を飛び続ける夢。  あの『機械』が見せたような、鳥同士が互いを墜としあう夢。そして、自分が空から 墜ちてゆく、夢。  恐怖と、何故か憧れをもって眠りの紗幕に映るその幻燈。そして、風読みのはなし、 水色の月のこと、夢の中で呼びかける、誰か。  そんな、波のように次から次へと打ち寄せる、自分のなかの記憶と夢をどうすること もできずに。  娘は、雨の夜に、ただ、立ち尽くす。  自分の部屋を出て、塔へ続くあの扉がある居間を抜けて、風読みのもとへと、歩く。  初老の風読みは、相変わらず、静かな寝息をたてて、眠り続けている。  あの雪の夜に、病の身で、『機械』の双つの螺旋十字が巻き起こす凍てつく風の中に 立ちはだかって、拒絶の言葉で娘を救ってから、ずっと。  娘がスープやワインを匙で与えると、何とかそれを口にはするものの、意識は戻らな いまま、ずっと眠りの淵に沈んでいる。  少しやせたその手を強く握って、言葉を声にすることのできない娘は、代わりに水色 の月へと祈りを送る。   風読み、目を醒まして。わたしを、ひとりにしないで。  だが、その祈りは届くことはかなわず、風読みは、降りしきる水の滴の調べに包まれ て、こんこんと眠り続けたままだった。  これまでは、ずっと初老の風読みに護られて、この『観測所』で暮らしてきた。  まるで、生まれたばかりの赤子が、心地好いゆりかごのなかで、眠るように。  だが、あの雪の夜にゆりかごから転げ落ちて、はじめて広がった娘の世界は、不安に 満ちていた。  浅き眠りの中で見る夢、眠り続ける風読み、そして、風読みが眠ったままでまさに訪 れようとしている、雨降り。  何よりも、言葉を声に表せない自分は、風読みを失ったら、誰にも想いを届けられず に、ひとりになってしまうということ。  きっと、幼い頃、滴の森で風読みに拾われるまでずっと泣いていたわたしは、こんな 気持ちだったのだろうと、想う。  海鳴りのようにざわめく、心の不安の迷宮に、ひとり迷いながら、娘はただ風読みの 手を、握っている。     *




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