そら とぶ ゆめ Act.5  飛行夢(そらとぶゆめ) / page8


 雨の降る外へと慌てて扉を開けたその時に、ちょうど入れ違いに宿屋に入ろうとした 男の客と、強くぶつかった。  その直後に、ずっと下で微かに響いた、ちりん、りん、りん、と鈴の転がるような、 調べ。  何が起こったかを認識して、娘は声にならない悲鳴を、あげた。  ずっとしっかりと握りしめていた水色の月の『機械』が、衝撃でその手を離れて、階 下の雨に濡れた街路に、墜ちた。  滴の森で風読みにもらった、声を出せない娘がこの世界と、人と、想いを繋げること のできる、たったひとつの鍵が。  慌てて梯子を下りて、濡れながら必死になって水滴を吸いこんだ地面を、捜す。  だが、かなりの高みから墜ちて転がった『機械』は、なかなか見つけることはできなかった。  まるで、繰り返し見る空を飛ぶ夢の中で、ぼやけていてなかなか想いだすことのでき ない、自分の記憶の、ように。  永遠にひとりになってしまう不安に、涙がこぼれそうになりながら、娘は祈るように 屈み込んで、捜す。  その時、だった。 「この、月の『機械』……、あなたの、ですか?」  無数の滴が地面を叩く響きしか聞こえなかった娘の耳に、ふわりと降りてきた、優し く尋ねる声。  振り返ると、まだ冷たさの残る空気に、灰色に煙るように降る雨の紗幕の、向こうに。  旅人が、娘が落とした水色の月を手にして、立っていた。 「あなたは……もしかして、るな、さん? 『観測所』の……。」  慌てて立ちあがった娘の、雨に濡れた長い黒髪と、その瞳の面影を見て、少し驚いた ように彼女は尋ねる。  娘は、ただ、黙って肯いて、応える。  声も出せず、想いを届けれる水色の月もないままで、あの手紙を書いた『機械技師』 が目の前にいるのに、どうすることもできなくて。  すると、彼女は拾った水色の月の『機械』を、その両手で包む込むように大事そうに 持って、胸の少し上あたりに掲げた。  湿った空気は、すう、と、深く吸って、茶褐色の瞳を薄く閉じて。  ふたりの間の空気を、ひととき、激しい雨音の和音だけが支配した。  だけど、その空気は、先程までとは微かに、違った。雨の音のひとつひとつに、何処 か厳かな緊張感と、風のような穏やかさが、流れていた。  風読みのもとで暮らしていた娘は、その空気の変化を敏感に感じ取って、おぼろげな がら気付いた。  『機械技師』が、この水色の月の『機械』のうたを、聴いているのだということを。 「そういうこと、だったの……。やっと、うた、繋がった……。」




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