そら とぶ ゆめ Act.6  tears (II) / page10


「……るな?」  身体を抑えつけていた苦しみと呪縛が、ふっと抜けたような気がして、床に伏してい た風読みは目を醒ました。  あの雪の夜に、娘を護るために、空を飛ぶ『機械』に拒絶の言葉をぶつけるために使 い果たした、意思の力が、戻っていた。   いったいどのくらい眠っていたのだろうと、窓の外に視線を向ける。  その一瞬の窓枠の光景と、雨音だけで、老練な風読みは、感じ取った。  雨が、降り始めている。大地をほんのひとときの間沈め、新たな春と実りをもたら す、雨が。 「るな? 何処にいるんだい?」  呼びかけても、娘の気配は何処からも感じとれなかった。そこで慌てて、まだ働きの 鈍い頭で風読みは思考する。  拒絶の呪縛をかけることは、その拒絶に相当するだけの意思を消耗する。  『機械』に向けた拒絶のために失われていた意思が、急に回復したと、いうことは。 「まさか……、るなは……。」  風読みは、衰弱した身体を起して、もう一度塔に続く扉へと、向かった。     *  激しい雨の滴が糸となって織りなした、灰色の闇を切り裂くように、『機械』が空を 駆ける。  透明な風防を逸れて核へと流れ込む風が、ふたりの前髪を揺らし、吹き込んでくる幾 つもの滴が頬を濡らす。  風を切る翼に受ける、空気の重み。その空気を蹴って、金属の翼を羽ばたかせるため に廻りつづける、動力の振動。  張りつめた空の中を、ただ一機で、ふたりで水色の月でしっかりと手を繋いで、どこ までも飛びつつける、感触。  娘も、旅人も、その感触をずっと前から知っているような、気がした。  まるで、ずっと、ずっと昔から、変わらずにふたりで空を飛び続けていた、ように。  懐かしい、風を切って空を舞う感触に心の奥底から、喜びが湧きあがってくる。  その感触を裏付けるように、娘は無意識の内に、空を飛ぶ『機械』を自由に操る術を 思い出していた。  目の前の数本の金属管と、円盤を操って、巨大な翼を旋回させ、街道の方に向けて緩 やかに下降させる。   『翼』、苦しがってる……。はやく『機械技師』を見つけないと。   でも、地上、何も見えない……。  逆に、はじめて空を飛ぶ、観測所の塔の『機械』は、その歓喜とはうらはらに、駆動 部の至る箇所から苦しそうに鈍い軋みをあげる。  『機械』はもう、永い時間を眠りすぎていた。部品も錆びて朽ち果て、本来ならばも う二度とその機体を振動させることすら、叶わないはずの、永い、時間を。  それでも、やっと主人を得て空を飛ぶことのできた喜びに支えられて、双つの螺旋十 字を必死で廻し続ける。 「街道沿いに、低く飛んでください……私が、貴方の目となって『機械技師』を見つけます。」  娘の呟きに対して、冷静に状況を判断して、安心させるように言葉を届ける、旅人。  そんな言葉に、ほっとしたように肯いて、娘は機体を低く降下させる。  目の前の文字板に、幾つかの紅色の灯火が、一瞬苦しそうに、明滅する。  晴れていれば、村の周囲の荒野が全て見渡せるはずの空の高みからは、この雨に閉ざ された大気の中では、大地の色さえも見ることができなかった。  急降下してようやく、雨の中に淡く溶けた街道と、すぐ傍らの増水し続ける河の形が、 ぼんやりと臨めた。  その淡い視界の中に、旅人は必死に『機械技師』の姿を、探す。今度は、離れてしま わない、ように。




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