そら とぶ ゆめ Act.6  tears (II) / page15


 滴の森は、激しくも厳かに奏でられる音楽に、満ちていた。  常緑樹の枝々と豊かな葉が織りなす、深い翠色の天蓋。その一枚一枚の葉を潤して、 夜空から幾つも、幾つも滴が墜ちて小さな音を立てる。  その音のひとつひとつが、和音となって、調べとなって、やがては壮大な音楽となっ て、森全体に響き渡る。  夜空がこぼした、たくさんの涙達を、受け止めて。  その厳かな雨降りの音楽と、想い出して解放された記憶に、娘の瞳から、次から次へ と、真珠のような涙がこぼれ落ちる。  その涙は、水滴に鎮められながらも燃えつづける橙色の燈に照らされて、宝石のよう に輝いて、白い頬を伝う。  風読みのうたが、聴こえてくる。    森を焼くオレンジの 熱い雨にぬれながら    一度だけ空高く のぼった鳥の群れはもう帰らない    両方の手を離して 遠く別れてゆくよ 「……この森に墜ちていたわたしに、るな、るな、ってずっと呼んでくれたのは、あな ただったんだ。」  ぽつりと、娘の言葉が声になって、こぼれた。  後から後からこぼれてくる涙と一緒に、言葉が自然と声になって、こぼれてくる。   「……あの時私は、あなたとの約束を破ってしまいました。決してひとりにはしないと 誓ったのに、燃え盛る炎の前に、あなたの手を離してしまった。」  風読みのうたの詞に、静かに想いを馳せながら、旅人が呟いて応える。 「でも、こうしてちゃんと逢いに来てくれた。今度は、墜ちる時もずっと手を繋いでい て、くれた。」  あたたかな涙と、言葉が、娘のうちからぽろぽろとこぼれてきて、止まらない。  まるで、この降りしきる雨の滴の、ように。 「名前、やっと想い出した。あなただったんだ……『休まない翼』。」  きゅっと繋いだ手に力を込める、大切な『小さな月』を感じながら、『休まない翼』 は、無意識に風読みのうたを、歌っていた。  幼い日、『護り人』が自分に水色の月の『機械』を渡してくれた時に、言っていた、言葉。  きっと、この場所が、「君ガ ウタヲウタエルトコロ」なのだと、静かに想いをかみしめて。    風にちぎれた つばさからこぼれる 夢の行方を知りたい    ほほをたどった あたたかな涙の ひとつひとつに生まれる    かがやく時を呼び止めて ぼくらは歌を歌えるから    明日旅する 夜明けの天使が 君のことをきっと見つけるよ  滴の森が奏でる音楽が、まるで最終楽章の調べのように、荘厳に高まった。  夜空からこぼれる涙となって、豊穣の雨が世界に降りそそぐ。  河から、染みこんだ大地から、石の隙間から溢れだした水流が、一瞬にして流れだ し、大地を、森の樹々を沈めた。  実りを終えて疲労した大地を洗い流し、潤いを与え、新たな春を呼びこむために。  その荘厳な音楽とともに、豊穣の雨の訪れを伝えて鎮め、やがて来る新しい実りを祈 って、風読みが歌う。  その風読みの声に、『休まない翼』が声を揃えて、ともに歌う。  不意に、森の何処かから、もう一つのコーラスが、ふたりの歌声に加わった。高く澄 んだ、女性の歌声。 「『機械技師』……。よかった……。」  娘はほっと呟いて、未だ止まらない涙をこぼしながら、風読みと、『休まない翼』と、 『機械技師』のうたを、聴く。    空を見上げた 瞳からこぼれる 君の名前を知りたい    声にならずに 消えてゆく言葉が 帰りの道を遠くする    流れる星を呼び止めて ぼくらは歌を歌えるから    明日旅する 夜明けの天使に 君の名前きっと伝えるよ     *  雨降りは、夜が明ける頃まで、続いた。  ふたりは滴の森の樹々に護られて、その音楽を聴きながら、枝のたもとで何時の間に か眠って、雨降りの夜を過ごした。  暁の薄い群青色に、拡散して溶け込んで消えてゆく、厚い灰色の雲達。  少しずつ、春の暁の蒼色をを取り戻してゆく空の低みから、翠色の葉の隙間を抜けて 淡く差しこんだ光に、娘は目を醒ました。  気が付くと、森や大地を埋め尽くした水流は、みんな海へと還っていって、きれいに 消えていた。  厳かな滴の森の音楽も、風読みのうたも、もう、聴こえない。 「ほら、『翼』、見て。……私達、空から墜ちながら、そのまま月まで飛んだのね、きっと。」  淡い輝きに気付いて、娘は『翼』を優しく揺り起して、呟く。 「きっと私達、月の扉を抜けて、もうひとつの世界からこの世界へ、空の滴になって墜 ちて、きたんだ。」  『小さな月』と、ぼんやりとした『休まない翼』の瞳が見つめる、その低い空に。  淡い霧をまといながら、柔らかな黄色い輝きを燈して、円い月の扉が、浮かんでいた。                                    Fin.




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