そら とぶ ゆめ Act.6  tears (II) / page3


 穀物に、ほのかに甘く香る緑の香草の彩りを沿えた、淡い黄金色のスープ。  ふんわりと、真白い湯気をあげるその液体を口に運ぶと、弱った旅人の身体に、染み わたるように感じた。  暖かな毛布での、ひとときの睡眠に随分体力を回復した旅人は、ようやく乾いた上着 を身に着けて、スープを飲んでいた。  観測所の居間で、同じ水色の月を携えた、声を出さずに想ったことを伝える、娘と一 緒に。  ひとときもその姿を留めずに、暖炉の炎が揺らめいて、橙色の淡い灯りを、居間に燈す。  夜の帳が落ちたばかりの硝子窓の外には、止む気配もなしに、雨が降り続いている。  その絶え間無い雨の和音と、暖炉の炎が不規則に奏でる、ぱちぱちとはぜる調べを聴 きながら、ふたりはたどたどしく、話をした。  娘が話したのは、この地方に冬の終わりに訪れる、雨降りのこと。風読みがその兆し を読みとって、観測所の『機械』を使って光とうたで、伝えること。  逆に、旅人はスープを飲みながら、自分が『機械』に逢うために旅をしていることを、 話した。  ふたつの水色の月の『機械』を通じた会話は、ひとつひとつ、言葉を探すように、星 の巡りのようにゆっくりしていた。  特に、娘は滴の森で拾われてからずっと、風読み以外の相手に想いを届けることはな かったから、話すことに、慣れていなかったから。  雨の夜の始まりに、暖炉の灯に包まれた、そんなゆっくりとした時間が、流れていく。   旅人さんは、そらを、飛べるの?  娘が、机についた両肘に小さな顔をのせて、軽く首を傾げて、尋ねた。  突然の質問に、一瞬虚を突かれた旅人は、やがて、娘が自分の濡れた上着脱がせる際 に、背中の翼を見たことに思いあたった。 「私の翼は、生まれつき動かないのです。だから、今は、空を飛ぶことはできません。」  穏やかな口調で、娘の問いに静かに答える、旅人。   ……ごめんなさい。わたしが、言葉を話せないのと、おんなじだったんだ。 「でも、遥かな昔、翼の民としてこの時間に生まれる前、きっと私は空を飛んでいた、 と思います。だから、今でも、空を飛ぶ夢を、見ます。」  少し済まなそうに縮こまって、黒い瞳を上目遣い気味にして呟いた娘に、旅人は首を 振って、穏やかに言葉を継いだ。  そして、あの『月帽子織物店』で、想い出したことを、ぽつりと、娘に明かす。 「信じられないかもしれませんが、私は、遠い昔別の何処かで、空を飛ぶための『機械』、 だったのです。」  一瞬、それまでふたりの間に緩やかに流れてた、暖かな橙色の時間に、ふっと張りつ めた何かが、流れた。  瞳を見開くようなその緊張の中で、激しく大地を叩く音だけが、居間の空気を垣間、 支配した。   ……わたしも、くりかえし、くりかえし、空を飛ぶ夢を、見るの。   風読みが倒れてから、ずっと。  やがて、ぽつりと水色の月に呟きを残して、娘は椅子から立ちあがった。   ……風読みの具合、見てこなくちゃ。しばらく、待っていてね。     *




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