そら とぶ ゆめ Act.6  tears (II) / page4


 螺旋のかたちを描いて、空の高みへと上昇してゆく、観測所の旧い塔の石段。  一夜限りのあの雪の夜に、たったひとりで上った時とは違って、旅人とふたりで、手 を繋いで。   相変わらず、滑らかな鉱石でできた石段は、ひんやりと、冷たい。  塔の最上階にある、灯りを燈す『機械』を見に行きたいと提案したのは、娘の方だった。  風読みの部屋から戻ってきた所に、旅人がそっと具合を尋ねて、娘が黙って首を横に 振った、その直後に。  塔へと続く『機械』の扉は、この日も娘が前に立っただけで、音もなく、開いた。  しばらくは、ふたりとも、何も言葉を交わさずに、静かに石段を上っていった。  それぞれが、手を繋いで螺旋を上ってゆく相手のことに、想いを馳せながら。  『機械』に逢う旅の中で、水色の月を通して、旅人のもとに幾度か届いた、想い。  音声になることのない、その声は、確かにたった今手を繋いでいる娘の声、だった。  遠い昔、自分が空を飛ぶ『機械』だった時に、月まで飛びたいと言っていた、言葉を 届ける人の声は、もう想い出せないけれど。  水色の月から届く娘の言葉を聴いていると、何だか懐かしくて、そして、護ってあげ なければという気持ちが、湧いてくる。  そして、記憶の奥底の鍵穴に、微かに引っかかる、「るな」という、娘の名前。  結局、旅人の思考の中に最後の鍵は見つからぬまま、『機械技師』は、この娘のこと をずっと知っていたのだろうかと、ぼんやりと、想う。  『機械』のうたを聴いた、あの塔の半円球の部屋へと続く階段を上っているのに、不 思議と恐ろしさは覚えない。  繰り返し見る、空を飛ぶ夢で、ひとりで飛んでいても、何処からか届く声を、聴いて いる時のように。  夢の中で導きの灯のように微かに輝いた月のように、旅人の手が傍に在るから。  『機械技師』は、いつか同じ水色の月を持った人が訪ねてくるから、ひとりじゃない と、言っていた。  そして、空も飛べるようになる、と。  昔、空を飛ぶ『機械』だったと言うこの旅人が、その人、なのだろうか。そして、自 分は一体何者なんだろうか。  娘もまた、その記憶の鍵を見つけられぬままに、『機械技師』のことを、想う。   ほら、あそこ、見える?  その沈黙と思考をふと破って、娘が空いたほうの手で、鉱石で造られた壁面に開いた 窓の外を指差した。   滴の、森。わたし、あの森の奥で、風読みに拾われたの。  螺旋階段の乏しい灯りに照らされた、陶器細工のように白い指が差す方角の遥かな先 に、灰色の闇と雨に霞んで。  荒野に、ぽつりと深緑と黒の影が、まるで暗い海に小さく浮かぶ岩礁のように在るの が、見える。   昔から、不思議なことの起きる、森なんだって。……わたし、あの滴の森で   風読みに逢う前は、何処にいたの、だろう。  ぽつりと声にすることなく呟かれた、娘の問い。手を繋いだ旅人も、降りしきる雨 も、未だその問いに応える術を、持たなかった。  さらに曲線の軌跡をふたりで描きながら、石段を上って空へと近づく。  月明かりの差し込まない今は、規則的に東側の壁に現れる光鉱石の灯りだけが、ぼん やりと行く手を照らす。  その薄暗い塔の通路の中で、旅人の肩を包んだ蒼い織物が、時折、ちらちらと瞬きの ような小さな光を、映した。  とりわけ、右の肩先あたりに灯る小さな月の形が、ささやかだけど確かな、光を燈し ていた。まるで、しるべのように。  やがて永い石段は、あの雪の夜と同じように、小さな踊り場で終わりを告げた。  塔の更なる高みへは、一本の金属の梯子だけが続いている。  ここで繋いだ手をそっと離して、娘が先になって、梯子を上ってゆく。  ひときわ冷たい感触の金属に手をかける一瞬、娘は閉じた扉の方を見て、振り払うよ うに、首を横に振った。




←Prev  →Next

ノートブックに戻る