さら、さら、さら。
のどかにゆらめく春の空気を、径を通り抜ける風が攪拌する。
その風に、淡い白の音符を散らして、桜達は今年もうたをうたう。
届いた想い、届かぬ想い、行き交う人々の様々なささやかな想いを込めて。
「今年は、他の樹に春を分け与えようなんて気は、さらさらないみたいだな。」
径に満ちた春の気を一杯に吸い込んで、華やかにうたう桜達の梢を見上げて、少年が
独り言を呟いた。
あの桜護の娘と、初めてこの桜の庭園で逢った春から、ひとまわりの季節が巡った。
うたうことのできない墨染桜を護るあの娘は、この春の訪れに何を想っているのだろ
うと、ふと考える。
以前は、自分自身も含めて、人間のことには全く興味がなかった。
でも、何故か近頃は、ふと人の想いのことを考えることが多くなった、気がする。
この径を通りすぎてゆく人のこと、姉のこと、そして、あの桜護の娘のこと。
そんなことを考えていた少年の心を見透かしたかのように、桜達がさざめきを返す。
ほんの数刻だけの、幻のような桜の夜の後も、何度か由布子は少年のもとに遊びに来た。
時には桜達にせがまれて、ふたりで音楽を奏でることもあったが、大抵は取りたてて
多くを話すでも、なく。
だから、あの老いた桜の具合も、特に娘から聞いてはいない。
でも、会話がなくとも同じ桜護だからか、傍にいても不思議と気詰まりはしなかった。
さらさら、さらさら、桜色に染まった枝々が、無邪気な娘達のようにさざめき続ける。
桜護の娘が訪れた時は、桜がまるで呼び鈴のようにさざめいて、少年に伝える。
だが、この日の桜達のざわめきは、たゆたう春の気のせいか、とりわけ大きく感じた。
何処か、悪戯を隠して微笑みをこらえている、娘達のように。
「……おまえら、何か言いたいことでも、あるのかよ。」
かるく梢を見上げて睨みつつも、少年は、径へと桜護の娘を迎えに出る。
さざめきが伝えた通りに、桜色のアーチに覆われた径の向こうに、由布子の姿が見えた。
娘も桜護の少年の姿を見付けたのか、珍しくこちらへと駆け寄ってくる。
桜の音符が雨のように散る中を、結わいた後髪を揺らして。
去年の春と同じ、桜色のカーディガンを羽織っていた。
「あなたには、伝えなきゃと思って。」
少し息を切らし気味に、桜護の少年の前に立った由布子が言葉を継ぐ。
その様子に、いよいよかと、少年は後に来る報せを覚悟した。
だが、娘が発した言葉は、少年の予想だにしない、それでいて懐かしい言葉だった。
「あの……、ごめんなさいっ。」
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