娘は、ぽつぽつと事情を語った。
名を由布子といい、街外れの丘にある小さな神社で桜護を務めていること。
境内の中央には、墨染桜の神木があり、代々由布子の一族が護ってきたこと。
ところが去年まで優雅に咲いていた桜が、この春になって不意に途絶えてしまった。
桜自身が、この庭園の桜達ならばきっと協力してくれる、と教えてくれた。
由布子は、どうしても墨染桜に、うたをうたって欲しかった。
だから、春の間何度も通って、少年の桜達から春の生気を取っていたのだ、と。
「桜達は、特に怒っていなかった。だから、きっと桜も同意の上だったんだろう。」
だったら今更気にすることはない、とでも言うように、少年は竹箒の務めに戻る。
由布子の話に特に興味もなく、話は終わった、といった風情で。
そんな少年の背へと、由布子は、ぽつりと呟きを返した。
「……それでも、桜は、うたうことができなかった。もうこの冬は越えられない。」
少年は、箒の手を止めて、もう一度桜護の娘を振り返る。
「お願いします、貴方の力で、冬が来る前に桜を咲かせては頂けませんか。」
「……断る。」
短い、少年の拒絶の言葉。
その言葉に反応して、周囲の桜の枝が不意にざわめきを返した。
まるで、歳若い娘達が一斉に不平不満の言葉をぶつけるように。
ちょっと待ておまえら、といった風情で、わたわたと手を振って桜を鎮める少年。
「何故そんなことを僕に頼む? まさか姉上が教えたのか?」
少し恨めしそうな表情で、少年は娘をにらむ。
そんな、慌てて桜を押しとどめる少年の様子に、娘は微かに微笑んで、答えた。
「ここの桜達が、貴方なら晩秋でも桜をうたわせることができるって、教えてくれました。」
「春に咲けないほど老いて弱った桜を、こんな寒空にうたわせたら確実に力尽きる。」
未だざわめく桜の枝を見上げてから、少年は諭すように静かに言葉を継ぐ。
そっと並んで、由布子もふわりと手をかざして、桜の枝を見上げる。
瞳を微かに細めて、まるでこの夕暮の淋しい梢に、淡い色を染めて咲く一面の桜の幻
を見ているかのように。
そうして、何処かうたうようなリズムで、古の詩の言葉を紡いだ。
願わくは 花の下にて 春死なむ その如月の望月のころ
か細くもやわらかい、ささやかな音楽のように空気に流れた、桜護の娘の声。
一瞬その声に共鳴して、花びらの音符で輪唱しようとするように、桜達がさざめく。
さざめきは、枝にひとひらの花弁も無いことを思い出したように、すぐに引いた。
引き潮のように静まった桜達のさざめきの後に、詩の余韻にも似た沈黙が降りる。
そんな言葉の余韻が、静かに燃え出した燠のように、娘の胸のうちに火を燈す。
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