東京の空の下 / page14

 灰色のブロック塀に区切られた幾つかの路地を、迷いもなしに曲がってゆくと、かた こと、かたこと、と電車の調べが遠く聞こえてきた。  やがて、線路と寄りそって続く細い道へと出た。慣れた足取りで夕暮の街角を歩いて ゆくゆうちゃんと、ついてゆく僕。ふたりのちいさな影法師が、アスファルトに黒いか たちを映す。 「ほら、これ、いいでしょ。」  そっと手を離して、ゆうちゃんは左のポケットから小さな茶封筒を取り出して、僕に 手渡した。  何だろうと、封筒の折れた口をあけて、そっと手のひらの上に降ってみると、ちいさ な紙片が何枚かこぼれでた。  淡いセピア色の、長方形の紙片。かすれた黒い文字で書かれた、駅の名前。  それは、電車の切符だった。おじさんの『夕暮堂』の最寄駅の、初乗りの切符。 「緑色の電車でくるりと一周してね、ひとつ手前の駅で降りるの。そうすると、一番安 い切符で降りられるんだよ。」  少しだけ得意そうに笑う、ゆうちゃん。  僕の手のひらにこぼれた切符達。その隅に刻まれた日付は、少しずつ違っている。  この切符の数だけ、きっと、ゆうちゃんの時間は洗われて、少なくなって。  やがて、細い道の先に、踏切が見えてきた。  はじめてこの街に来た時の、降りる時の合言葉だった、踏切。 「隣の駅から、ここまで帰ってくるまでの間に、緑色の電車と青色の電車が別れてゆく 場所が、あるの。そこから、さらさらとした夕空が、見えるのよ。」 「……あの子に、教えてもらったんだ。」  うん、と少し微笑んで、ゆっくりうなずく、ゆうちゃん。  黄色と黒で仕切られた、線路と人の歩く道の境界点。  時計回り、反時計回りの線路の他に、何処かへと続く二本の古びた貨物線と、全部で 四本の線路を、またいで。  緑色の電車の円い線路の中で、たったひとつしかない踏切は、一回りした後に車窓か ら見えた時よりも、ずっと大きく思えた。 「もう、帰ろう。」  この巨大な街での暮らしが始まった踏切の前で、僕は下した選択を、言葉にする。  あのレコードの曲と、同じ言葉で。 「僕は、さみしくても、おかあさんと暮らしてた時のことを、景色を、忘れたくない。」




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