東京の空の下 / page4

「……ゆうちゃんは?」 「今日は夜勤だから遅いよ。たぶん、終電近くになるんじゃないかな。」 「仕事が仕事、ですものね……。まさかあの頃言っていた夢を、本当に叶えるとは思っ てもみなかった。」  僕は、幼い姉がこの街での生活の中で抱いた夢を思い出して、思わず苦笑いを浮かべた。 「そういうくうちゃんだって、今じゃ親父さんや僕にせまる腕を持つ写真家だものなぁ。 君達双子には驚かされるよ。」 「あの時、双子の姉と弟で、別々の選択をした時にも、驚いた?」  相変わらずのんきそうな、穏やかな表情のままの叔父さんは、問いには答えないまま で、一呼吸おいてから、静かに僕に尋ねる。 「ゆうちゃんに、逢いに来たんだろ?」 「いえ、仕事の都合で近くまで来たので、せっかくだからと思って……。」  とっさに嘘の言葉が口からこぼれる。こういう時についつい嘘をついてしまうのは、 昔からの僕の悪い癖だ。  そう、と黙って頷く叔父さん。ちょうどその瞬間にひとつの曲が終わって、リビング をひとときの沈黙が支配する。  その直後、その沈黙を洗い流すように、レコードはやわらかくも淋しいピアノの調べ を紡ぎ出した。  幼い日に、ここで短い期間を暮らした時によく聴いた、レコードの最後の曲。夕焼け の空の高みに浮かぶ綿雲のように、高く遠い歌の言葉が、僕の想いを遠い時間へと引き 戻してゆく。 「懐かしい、曲ですね。」 「くうちゃんが来るって聞いて、ふと思い出して久しぶりに聴いてみたんだ。」  僕の呟きに頷いて、軽く頭をかいて叔父さんが応える。 「写真が一瞬の時間と風景しか残せないのに比べて、思い出すことで時間を遡ることが できるのが、人の優れた所だ。」   緑色の電車 街を駆け抜ける   耳の奥で ずっと ずっと 歌が続いてる 「……実は、これが僕の部屋に届いたんです。」  懐かしい音楽が呼び戻した時間に背中を押されて、僕は鞄の中から古い封筒を取り出 した。切手が貼られていない封筒には、鉄道郵便の印だけが真新しい赤のインクで押さ れている。  そして、「くうちゃん へ。」と書かれた、拙い文字。  受け取って、そっと色褪せた封筒を開けた手に、はらはらと幾つかの小さな紙片がこ ぼれ落ちる。  これは、と小さく言葉をもらした叔父さんの手のひらには、もう十年以上昔の、ぎざ ぎざの鋏のかたちが刻まれた、古びた切符が数枚。  印字された駅名と金額は同じで、ただ日付だけが僅かに異なる、初乗りの切符達。  叔父さんは、もう一杯紅茶を淹れてくる、と台所の方へと立ち上がった。  しばらくして、間奏のゆるやかな調べに乗って、台所から僕へとぽつりと声が届いた。 「もし良かったらで構わないのだけど、この街で何があったのか、時間を遡って僕にも 教えてくれないかな?」    ***




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