東京の空の下 / page5

 時計と反対まわりの緑色の電車に乗って、踏切を通りすぎたら次の駅。  合言葉のように憶えたこの言葉と、お互いに繋いだ手とをずっと握り締めて、長距離 列車にかたこと、かたことと揺られてきた、はじめてのふたりだけの旅。  僕達には、お互いの繋いだ手の他に、もう自分達を護ってくれる暖かな体温は無いの だということ。  そして、今までの穏やかな暮らしは、列車が走り去ったレールの向こうへと消えてし まったのだとということ。  あまりにも永い旅路と絶え間無く続くレールの音は、そのふたつのことを否応なく僕 達の胸へと染み込ませてゆく。だから、僕達は手を握ったまま、ずっと何も話さなかっ た。  こうして長距離列車に揺られてこの巨大な街に来たのは、僕達がまだ十歳になったば かりの頃、そして、おかあさんが突然の病に倒れて、この世界からいなくなった、二週 間後のことだった。  ちなみに、僕達は、お父さんの顔を憶えていない。  おかあさんが僕達を生んでまもなく、遠い西の国へと写真を撮りに旅立った先で、事 故に遭ってやっぱりこの世界からいなくなったと言われている。  だから、僕達は父親というものへの意識が希薄なまま、北の田舎町で暮らして、育っ てきた。この世界に、おかあさんと、ゆうちゃんと、僕の三人で。 「すごいね、くうちゃん。人やお店がこんなにたくさん!」  ゆうちゃんは、ホームに降りるなり瞳を輝かせて、言う。 「何だか……、目がまわりそう……。」  プラットホームを行き来するあまりの人の多さに呆然として、僕はつぶやく。  人がたくさんいるということが、何だか、息苦しくて。 「どんな街なんだろ……ねえ、緑色の電車、だよね。早くさがそ!」  僕の手をぎゅっと握って、にっこりと笑うゆうちゃん。  昔から僕は気が弱くて引っ込み思案だったのに比べて、ゆうちゃんはいつも元気で前 向きで、僕の手を引っ張って走りまわっていた。  今思うと、もしかしたらゆうちゃんは、この時、僕を元気付けるために、無理をして 明るく振舞っていたのかもしれないと、思わないこともない。  だけど、不安定になっていたこの頃の僕には、ゆうちゃんのこの明るさが、何処か小 さな棘のように僕の胸に刺さったのだと、思う。  駅の高みに、幾つも並んだプラットホームでは、ひっきりなしに色とりどりの電車が 到着し、大勢の人をまるで息をするように吸っては吐き出す。  そのめまぐるしさに、何だか時計の針が風車のようにくるくる回っているような、あ るいは、時間がカセットテープのように目の前で早送りされていくような、奇妙な錯覚 を覚える。  その人と時の流れの中に、しばし立ち尽くしていた僕達ふたりを掬い上げるように、 するすると、薄い緑色の電車がプラットホームに滑りこんできた。




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