東京の空の下 / page6

「おじさんの写真屋って、どんな家かなぁ?」  少しだけ空けた電車の窓から吹き込む風に、柔らかな前髪をさらさらと揺らしなが ら、楽しそうにゆうちゃんが僕に話しかける。 「どうせだったら、高いビルのずっと上の方だったら、面白いのにね。」 「……僕は、ふつうの一軒家の方がいい。」 「そうぉ? きっとすごい眺めだよ、ビルの上って。」  ふたりの言葉のやりとりを乗せて、かたこと、かたこと、電車は走ってゆく。  幼い僕達がこの巨大な街へと旅してきたのは、ひとつの選択をするためだった。  身内のいなくなった北の町で、おかあさんの友達のお世話になって暮らし続けるか。  それとも、おじさんのもとに引っ越して、この街で新しい生活を始めるか。  おじさんも、おかあさんの友達も優しい人で、僕達の好きな方を選んで構わない、と 言ってくれた。  でも、好きな方をと言われたところで、平穏な日々のゆりかごから転げ落ちたばかり の僕達姉妹には、ふたつのレールが分岐するポイントに立ち尽くすのがやっとで、その 先の線路を選ぶことなんて到底できるわけもない。  じゃあ、とそんな僕達に、おじさんがこう提案した。  一ヶ月のんびりと僕の家で暮らして、ゆっくりと判断してから、決めたらどうだい、と。  口には出さなかったけれど、僕は北の町を離れることには乗り気ではなかった。  何だか、おかあさんと暮らした日々が、夢のように薄れていってしまう気がして。  おかあさんのことを忘れようとしている、気がして。  でも、ゆうちゃんの想いは、僕とは違った。  だから、この頃の僕は、ゆうちゃんに裏切られたような気がしていたのだと、思う。  ふたつの線路が、何時か別々の方向に離れてゆくことは、仕方の無いことなのに。 「ほら、青い電車が向こうに分かれてゆくよ。何処へいくんだろうねぇ。」  電車はくるりと曲線を描いて坂道を上ってゆく。この電車に乗ってから、ずっと寄り 添って走っていた青色の電車の路線と別れて。  駆け上った坂の頂上から、一瞬、遠く下町の空が広がった。  はじめは、少し緊張しながら、車窓の外へと二人でじっと目をこらしていた。  電車を降りる目印である、踏切を見逃さないように。  車窓をくるくると現れては過ぎてゆく、幻燈のような街の建物や風景。  たくさんの、たくさんの家やビル、電線。そこに住んでいる、人々。 「すごいねぇ、わたしたちの住んでた町じゃ、こんな景色、考えられない。」  感心したようにため息をついて、弾んだ声をあげる、ゆうちゃん。  そんな声が、僕の不安に満ちて不機嫌になった心をちくりと刺して、思わず僕はつぶ やいた。 「……ゆうちゃん、どうしてそんなに、楽しそうなの?」 「え、なあに、くうちゃん?」  あるいは、聞き返されなかったら、そのまま流れていた呟きだったかもしれない。  だけど、首を傾げたゆうちゃんの瞳に、僕のこぼれた言葉は増幅されてしまう。 「ゆうちゃん、おかあさんがいなくなって、さみしくないの?」  一瞬、えっ、と不思議な言葉が耳を掠めたような、表情。  その直後、大きな瞳を、きっ、と僕の方に向ける。怒って、涙を微かにためて。  だけど、ゆうちゃんは僕よりも強いから、僕の前でその涙をこぼすことは、ない。  かん、かん、かん、かん。  警鐘のように、車窓の幻燈に現れた踏切が高い調べを奏でる。  徐々に減速してゆく電車の彼方へと、残響を残して、その調べは消えてゆく。  だけど、ふたりともその高く響く警鐘を聞いてはいなかった。 「どうして……、どうしてそんなこと言うのよっ!」  ゆうちゃんが、怒った泣き声で叫ぶ。  繋いでいた手を、ぱっと振り解いて、僕のことを見据えて。  僕は、突然のゆうちゃんの変わり様に、内心しまったと思いながらも、後には引けず にその瞳を見つめ返す。  かたこと、かたこと、かたこと。  それ以上、お互い交わす言葉を見つけられないまま、ふたりの間の時間は凍りつく。  その間にも、電車は時計の針と反対向きに走り続け、幾つかの駅を通りすぎる。




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