東京の空の下 / page8

 かたこと、かたこと、僕達は、時計と反対まわりに乗ったままこの街をぐるりと廻っ てゆく。  自分が「電車」だと言い張る、不思議な少年の言葉に、つられて。  あるいは、見知らぬ土地で同じくらいの年齢の子供に出逢って、それまでずっとふた りきりで抱きしめていた心細さが慰められたのも、あったかもしれない。  電車が時計とは反対まわりに廻っても、この街の時間は、着実に明日へと向かって針 を刻んでゆく。 「どうして、わたしたちが踏切を探してるってわかったの?」  ゆうちゃんが、不思議そうに訊ねる。確かに、僕達はこの電車の中では一度も踏切の ことは口に出していない、はずだった。 「そりゃあ、自分が運んでいる人達のことだもん。それに、洗いものには敏感だから。」 「洗いものって、何よ?」  少年は、謎めいた言葉を浮かべてふわりと悪戯っぽく笑う。狐につままれたような風 の、ゆうちゃんのさらなる問いには、その表情のまま何も応えない。 「この電車は、どのくらいで一周するの?」  まだ少し不安な気分で、車窓に流れてゆく見知らぬ風景に目をやってから、今度は僕 が訊ねた。  電車が、幾つかのポイントを通過して、がたがたと揺れて減速する。  そうして、枝分かれしてゆくレールのひとつを的確に選択して、また大きなステーシ ョンのプラットホームへと滑りこんでゆく。 「この街の人にとっては、時計の針と同じように感じる。六十分、つまりちょうど一時 間で一周。」  僕達の隣の人が駅で降りようと立ち上がったのを見計らって、少年はぴょこんとシー トに座る。 「でもね、本当は一周すると、六十二分から六十四分くらい、経ってる。」 「どういうこと?」  僕の問いは、プラットホームから扉を抜けて、濁流のように車内に吸いこまれてきた 人々の勢いに遮られた。  紺色のスーツに身を包んだ男性達、奇妙な色の髪をした娘達、文庫本を読む学生、デ パートの買い物袋を手にした年配の女性。ひとつ、ひとつ、大きさも色も違う海岸の砂 の粒子達が硝子壜の中に納められたように、電車の中が沢山の人で満たされる。 「……くうちゃん、ほら、すごい高いよ。空に届きそう。」  ゆうちゃんが、少しぽかんとしたように窓の外を差す。  その細い指の先に、まるでこの街の霞んだ空を支える天の柱のように。  幾つもの、幾つもの窓を持つ高いビルが、密集してそびえ立っていた。  建設中のビルの頂上には、まるでキリンのように首の長い機械がいて、ちかちかと、 星のように先端に灯りを明滅させて、少しずつ、少しずつ、空を突き上げてゆく。  そうしてできたビルの無数の窓に燈る、灯り。そのひとつひとつに、また人がいて、 笑ったり悲しんだりして、暮らしていて。そして時間が流れて、消えていって。  そんな無限の回廊のような思考に沈み込んでしまって、何だか、泣きたくなる。 「……なんて、人が多いんだろう。」 「だから、この街の時間には、それだけたくさんの人のかなしみが積もってゆくんだ。」  電車の色と同じ、淡い翠色の衣を着た少年が、僕の呟きに静かな声で応えた。 「僕達の仕事は、この街の時間の粒子を、円く繋がったレールに乗せてぐるぐる回して、 洗い流すことなんだ。」  緑色の電車は、たくさんの人を乗せて、かたことと揺れながら加速してゆく。 「洗い流すから、その分時間はすり減っちゃって、少し短くなっちゃう。」 「洗い流すって、何を……?」  少年の言葉を、わからないながらに真面目に聞いていたゆうちゃんが、尋ね返す。  そんなゆうちゃんに、目を細めて、ふわりと笑って。 「この街の人達の、かなしみを。」




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